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【幻水2】香りに言葉をのせて【カミマイ】

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 扉を開けた副長の声に、マイクロトフは書面から顔を上げた。
 同盟軍からこのマチルダに帰り、マイクロトフがすぐに始めたのは騎士団の再建だった。絶望の中にいたこの国を立て直すのは簡単なことではなかったが、カミューがいつも隣にいたことがマイクロトフは心強かった。
 そして騎士団がほぼ立ち直り、改めて騎士団長を二人にという騎士たちの声にカミューは真剣な眼差しでこう告げた。
 グラスランドに発つ、と。
「どうした?」
 マイクロトフは息を切らせて扉を開けた副長を不思議そうに見つめた。副長は嬉しそうに興奮している。
「手紙がっ、カミュー様からの手紙ですっ!」
 カミューの名前にマイクロトフは敏感に反応した。わいてくる嬉しさに頬も緩む。
「きたのかっ」
 マイクロトフは立ち上がって副長に駆け寄った。その顔は笑っていた。
「ええっ。こちらです。マイクロトフ様宛ですが、私たちも嬉しくてっ」
「そうか…久しぶりだからな」
「ええ、団長も嬉しそうでなによりです」
「ああ、嬉しいぞ」
「では、ごゆっくりお読みください。あ、あの書類はきちんと処理してくださいね」
「ああ、わかってる」
 釘を刺すのも忘れない副長に苦笑しながら、マイクロトフはうなづいた。早く封を切りたくて仕方なかった。
 一番目の手紙はカミューが発ち一ヶ月で届いた。家族と久しぶりに会えたと、自分がいなくてもちゃんと仕事をしているかと、そんな内容だった。続いて二通、三通と届いたがマイクロトフは一度も返事を出さなかった。カミューの手紙の消印はいつもマイクロトフの知らない地名で、いつも違う場所からだった。きっと送ってもカミューの手元に届くのは難しいだろう。
 カミューがグラスランドに帰ると、もうここには戻るつもりはないと聞いたとき、マイクロトフは心臓をナイフ刺された思いがした。しばらく呆然とし、ただカミューを見つめていた。カミューは目を伏せて、静かな表情をしていた。
 ずっと共にいるといったではないか、一緒にマチルダを動かそうといったではないか、ずっと自分を愛してくれるといったではないか。マイクロトフはそう葛藤し、だが何も問わずに、そうかと短く答えた。
 一緒にいきたいと思い、一緒にこいと言われることを微かに望んでいた。たが、カミューがそれを口にすることはなかった。言われたとてマイクロトフはマチルダを去ることはできなかっただろう。
 カミューからの手紙は半年ぶりだった。自分が返事を出さないのを気にしたかとマイクロトフは不安に思っていたが、杞憂だったのかもしれない。この半年間、ずっと手紙が来るのを待っていた。
 少し震えた指で封を開け、中の便箋を取り出す。
 微かに良い香りがする。
 不思議に思って封筒の中を見ると、まるで稲穂のような花を乾燥させたものが入っている。
「なんだこれは?」
 微かな香りの元はこれだろうか。取り出して鼻に近づけると良い香りがする。これがドライフラワーという物だろうか。
 マイクロトフはカミューがどういう意味でこれを入れたのか不思議に思ったが、椅子に座ると手紙を開きそれを読み始めた。






 手紙の内容は、いつもと変わらなかった。
 元気でいるかとか、マチルダに変わりはないかとか、カミューの状況。事務的なことで終わっていた。それはまるで親友のような。恋人であった事実を忘れたかのような。
 何度も、何度も読み返した。そんな手紙を、マイクロトフは悲しく思い笑った。心が暖かい。消えかかっていた心のロウソクにまた火が灯る。
 まだこんなにも彼を想っているのかと驚き、そんな自分が誇らしくも思えた。
「マイクロトフ様?」
 急に自分を呼ぶ声が聞こえ、びくりとした。前を見ると、副長が立っている。
「何度もお呼びしました。どうかされましたか?」
「いや…少しぼっとしていた。扉の修理の書類だろう? ちゃんとできている」
「ええ、それも頂いておきますが…カミュー様の手紙はどうでした?」
「……相変わらずだ。読むか?」
 マイクロトフは手紙を差し出すが、副長はゆっくりと首を横に振った。
「貴方はいつもそうおっしゃられますが、カミュー様は貴方以外に見られたくないと思われてると存じますよ」
「……どうだかな」
 マイクロトフは目を伏せた。
「……微かに、良い香りがしますね」
「ああ。これだ、きっと。ドライフラワーと言うんだろう?」
 封筒の中からそれを取り出した。それを受け取り、副長は鼻に近づける。
「ああ。ラベンダーですね」
「ラベンダー? ああ、あの紫の花か、これ」
 マイクロトフは感心するようにそのラベンダーを見つめた。
 はっとして思い出す。
 カミューの手紙は、最後に「香りに言葉をのせて」と締めてあった。良い香りなので自分にも、という意味にとっていたが、これはもしかして。
 急に立ち上がったマイクロトフに副長は驚いた顔をしたが、それを気にせず書棚に向かいある書籍を探した。兵法の書とは全く違う装丁なので、すぐ見つかるはずだ。
「……あった」
 以前メイドからもらった花言葉辞典だった。それを丁寧に取り出すと、マイクロトフは「ら」の項をめくり花の名前を探した。
「マイクロトフ様?」
 返事をしないマイクロトフに、副長は苦笑してその姿を見守る。
 以前、カミューから花束をもらったことがある。チューリップとカスミソウの小さな花束。自分には似合わない可愛らしさに、恥ずかしかったが嬉しくていつも眺めていた。その時メイドからもらったこの本。それでその花束の意味を知って赤面したのが懐かしい。
「ら、ら、ラ、ラベンダー…」
 マイクロトフは目を見張った。
 体が固まる。まるで時間が止まったかのように思えた。
 気がつくとと手元から本が落ちていた。
 カミューが去って今、マイクロトフは何度も追いかけようかと思い悩んだ。けれど、その度に生まれ育ったこの地を、部下たちを捨てられないなど、言い訳に逃げて、もしかしたらカミューは自分から離れたくて去ったのかもしれないなど、女々しいことを考えては自分を叱咤していた。
 きっかけが欲しかったのだ。決断するきっかけを。
「団長っ?」
「すまない、クロイド。俺はグラスランドに行く」
「えっ?」
 勢いよく振り返りそう言ったマイクロトフの眼差しは真剣だった。何かを決意したその顔はとてもりりしい笑みを浮かべている。
 マイクロトフは驚いて呆然とする副長を無視し、笑いを抑えられないといった顔で執務室の扉を開けた。
「ちょ、ちょっとマイクロトフ様っ、何を……っ」
 支度をするといって自室に向かって走り出すマイクロトフを、副長は慌ててそれを追いかけた。乱暴に扉が閉まる音がする。



 手紙の返事は出さない。会って話す。
 マイクロトフは笑っていた。
 こんなことされて追いかけずにいられるか。










『ラベンダー:あなたを待っています』