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喪明曲

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01月光が足音をはこぶ



桜が、咲いていた気がする。
咲き誇る桜の木のことは覚えてはいない。だけど薄紅色の花びらを見たのはよく覚えている。
その男が初めて屯所の門をくぐったとき、彼は己の肩にかかっていた花びらを払っていた。
何処から拾ってきたのか、真新しい薄紅色は黒い隊服の上で、ただ鮮やかで。
そしてその日のことは俺の記憶にも鮮明に残っている。

「伊東鴨太郎です」

僅かに口の端を上げていただろうか。感情を表に出したのはただそれだけ。
彼から差し出された手を握ったのは近藤さんだが、その体温など簡単に想像がついた。
桜の花びらを連れてきた男は、言葉も表情も冬のように凍ったまま。
春はまだ訪れたばかりだというのに、目の前の男からはその気配がまるでない。

真冬のような男だ、真っ先にこう思った。
突き刺さるような視線は、氷のように鋭い。発せられる言葉にも温かさはない。
自分も人情味あふれる温もりに満ちた人間とは程遠いが、この男もそれに近いようだ。
ただ少し違うのは、彼の場合、口ではやわらかい言葉を選んでいるところだろうか。
礼儀正しく育ちのいい雰囲気は伝わってくる。だけどどれも感情が籠っていない。
閉ざしている。そう感じた。彼から伝わる冷たい空気は、ここにいる人間すべてを拒んでいる。

これはまた、面倒なのが来たな。

伊東に屯所を案内する近藤さんの後ろを歩きながら、俺は一段と苦い煙草を吹かす。
春の晴れた空に、その灰色の煙は妙に浮いているように見える。
それはまるで、たった今入隊を果たした伊東のようにどこか異質なものであった。
消えていく煙を見ながらそんなことを思っていた。


その夜は近藤さんが突発的に伊東の歓迎会を開いた。
酒が飲めるというとやたらと上機嫌になる輩ばかりなので、結構な人数が狭い部屋に集まる。
最初のほうに挨拶やら何やら堅苦しいものがあったようだが、乾杯してしまえば何も関係ない。
みんな好き勝手に飲み続け、これが誰の歓迎会かなんてもう覚えている奴はいないだろう。
その確たる証拠として、歓迎会の主役である人物が会場から消えている点が挙げられる。
近藤さんの隣を用意されていた筈だったが、もぬけのからになっている。
泣きながら酒を飲んでいる近藤さんに尋ねてみても、「お妙さん」の話しか聞けなかった。
重いため息をつきながらもう一度部屋の周りを見渡す。
既に酔いつぶれているものも居るが、そこに伊東の姿はやはり見当たらない。
ほっとけ、いつもの俺なら確実にそうした。だけど今夜はどうしてか違っていた。
ふと、視界に入ってきた襖が気になった。それは見慣れているいつも通りのものだ。
きっちりと閉じていたはずの襖に、隙間が見える。白い襖の間に外の暗い線が引かれている。
俺はその黒い隙間に吸い込まれるように、席を立った。

冷え切った夜の廊下をひたりひたりと音もなく歩く。
隊服を脱いで私服で開かれた宴会だったため、着流しの裸足が冷える。
春とはいっても夜はまだ冷え込む。夏の寝苦しい夜も困ったものだが寒いのも面倒だ。
何でもすぐに面倒だと思ってしまうのは自分の良くないところだと理解はしている。
だけど縁側に座り込んでいる見慣れない薄茶の髪を見つけた時も、やはり面倒だと思った。

いつからそこに居たのか、寒そうな素振りも見せないからよくわからない。
伊東は俺を見つけると、いかにも営業用の笑みを浮かべながら「こんばんは」と言った。
月明かりに照らされた未だ見慣れないその顔は、昼間とは違う印象を思わせる。
髪の色も目の色も肌の色も、色素が薄い。弱々しい月光の下ではそれが際立って見えた。
しかしどうにもその顔が気に食わなかったので、俺は彼の隣に腰かけて煙草を取り出す。
いつものように火をつけて肺に煙を取り込むと、何だか色々と吐き出したい気持ちになった。
隣にいる男の横顔を見ると、益々その思いは強くなる。


「嫌いか、」


煙を吐き出すのと一緒に、口から零れていた。
頭で考えずに出てきた言葉ほど性質の悪いものはない。
ふいに歪んだ伊東の横顔を見て、嫌というほどにそれを実感していた。
深い緑の瞳が揺らぎ、ゆっくりと開かれかけた彼の口から、何か言葉が出るのが恐ろしい。
だから俺は、その言葉を耳にする前に自分の声を被せた。

「酒は。」
「あぁ、お酒か」

継いで出た俺の言葉を聞いて伊東は安堵の息を吐いていた。
横顔からも先ほどのような不安定さは消えていた。一定に保たれた水面がもう一度広がる。

何を、問われたのだと思ったのだろうか。

酒を飲む席のこと、大勢で騒ぐこと、冷えた夜のこと、真選組のこと。
たくさん挙げられるが、どれもこの男を揺らがせるものではないと思った。
咄嗟に零した俺の問いに伊東は短く「得意ではない」と言って会話はあっけなく終わった。

俺はただ夜空を見上げながら煙草の本数を増やす。
伊東はただ庭を見下ろしながら黙り込んでいる。
遠くからは宴会の馬鹿笑いが聞こえてくるだけで、何の音もしない。
時折吹く冷たい風が草木の間を通り抜けるだけ。とても、静かだった。
この空間が心地よいとも思わないが、避けたくなるものでもなかったので、俺は座り続けた。
しかしそんな沈黙を隣に座る男が突如、引き裂いた。

「ひとつ、答えてもらえるかな?」

やんわりとした口調と言葉の割には、明確な答えを欲しがっているような質問だった。
それに気づいた瞬間、俺にとってこの空間はひどく嫌なものへと成り下がる。
だからと言って去る訳にはいかない。この男から逃げるなど無様なことはしたくはない。

「君は何のために、刀を握っているのか」

俺は夜空から視線を伊東に移す。彼は真っ直ぐにこちらを見ていた。
思えばこれが、彼と初めて目が合った瞬間だったのかもしれない。
真正面から捕らえた彼の双眸は、青い草木とは違う類の、緑をしていた。
あぁ、呑まれる、と己が感じたことに驚いた。

「…護るためだ」

何を、とはあえて言わなかった。伊東もそのことに気づき、ふっと鼻で笑う。
随分と苛立たせるような笑いだったが、伊東はそれ以上何も言わなかった。
緑の目が離れて、また横顔に戻る。それは先ほどと違い、明らかな拒絶の色を表していた。
もう話すことはない、ということなのだろう。だったら自分から立ち去ればいいものを。
あくまでも縁側から離れようとしない伊東にまた小さな苛立ちが生まれる。
この感情は嫌だ。じわりじわりと染み入るような黒い靄のようなものが広がってくる。
伊東を見ているとそんな感情が湧いてくるのだ。
奥底に確かに生まれてしまったものを認めたくはないがその重みが存在を主張している。
不愉快だった。とても腹立たしい。捨てられるのならば捨ててしまいたい。
だがそれは生意気にもしっかりと根を張ってしまっていて、消せる気がしなかった。
感情に取り込まれる前に、すっと立ち上がる。座ったままの彼は目をよこそうともしない。
そんな彼の態度も何もかも気に食わない俺は、最後にまた要らない口を開く。

「お前は、どうなんだ」

横顔のまま、ちらりと目だけこちらに向けた。それも一瞬だけ。
今度は先ほどのような不安の色は見えない。至って「普通」の伊東だった。
作品名:喪明曲 作家名:しつ