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BOMBER☆松永
BOMBER☆松永
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『百鬼徒然袋―贋』 蜃 薔薇十字探偵の輪郭

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 だらだらと続く坂道を登り切って、ようやく目的の場所に辿り着くと、奥で本を読んでいた店の主である中禅寺は、僕が挨拶の言葉を口にする以前に顔を上げもせず声を掛けてきた。
「今日は何の用事ですか」
 普通古本屋に来る人間と言えば、本を売ろうとするか買おうとするか、いずれ客と呼ばれるべき者の筈である。それを何の用かと問い質すのは普通ならば妙な話に感じるだろうが、こと中禅寺と僕の関係を考えれば、決しておかしな話ではない。事実僕は、この店に純粋な客として訪れたことは一度だってないからだ。
 依然本から顔を動かさず、中禅寺は畳み掛けるように言葉を続けた。
「またぞろ榎木津のお使いですか――と言いたいところだが、生憎今回はそうではない筈だ。しかし君が単なる客としてこの店にやって来るというのは、些か僕の腑には落ちない。だから聞いているのです。何の用事ですか」
「ええっと」
 改めて問われ、僕は一瞬言い淀んだ。
「榎木津さん関係と言えなくもない――かもしれません」
 やっと顔を上げた中禅寺は、深く溜息をつくと何処か諦めに似た風情で立ち上がり、僕を座敷へと招いてくれた。


 中禅寺の奥方が入れてくれたお茶を一口飲むと、喉が驚く程熱さを感じ、体の芯まで冷えていたことに気付かされた。まもなく二月になるところだが、まだまだ寒い。
 やっと人心地ついた気分になった僕は、本題に入る前の疑問を、対面に座って紙巻きをふかしている中禅寺に投げる。
「どうして僕が榎木津さんの使いで来た訳ではないとわかったのですか」
「君が来るほんの半時程前まで、当の本人がここにいたからです」
 聞いてみれば何ということはない話だった。
 榎木津は用事があってもなくても、しばしば中禅寺の家へ訪れては猫と戯れたり惰眠を貪ったりしているらしい。だから今日彼がここにいたということは何の不思議もない。
「その際に云っていたんですよ。年が明けてからこちら、どうにも面白いことがない。関やマスカマで遊ぶのも飽きて来た。かといって、下僕の一人は年始の挨拶にも来なかったし、最近一向に顔も見せない。本六め、僕を何だと思っているンだ。このまま来ないようなら、下僕以下に格下げしてやるぞッ――ってね」
 ぞっとしない話だ。下僕以下というヒエラルキィが世の中に存在するとは思わなかったが、榎木津が云うのならばあるのだろう。少なくとも、彼の中では。それにしても――。
「――誰ですか、その本八っていうのは」
「君に決まっているじゃありませんか」
 何を今更という風に、中禅寺はさらりと云った。
「本島六兵衛だか六郎太だか知りませんが、いずれその辺でしょう」
 予想していた答ではあったが、僕は思わず肩を落とした。
 初めの頃はいつかの何とか云う人扱いをされ、冬の入り口に漸く苗字を覚えてもらい、年末になってやっと本名を呼ばれるようになったのに――たかだか一月ばかり無沙汰をしただけで、また一歩後退してしまっていたとは。
「それで君の云う榎木津関係というのは――随分間が開いたから、そろそろ御機嫌伺いでもしたいところだが、用もないのに探偵事務所など訪ねて行くのはおかしいし、自分はどうしたらいいだろう、とでもいう相談ですか」
「まあ、そんなところです」
 何だかんだと云いながら、僕は結局榎木津を心からは嫌いになれないのだと、最近になって気付かされたのだ。
 確かに彼はとんでも無く奇矯な存在で、僕のように平凡極まりない人間にとっては迷惑なことこの上ないのだけれど――少なくとも悪人ではない。もっと云ってしまえば、何処か抗いがたい魅力がある。面倒見も、まあ――良いと云えないこともない。
 つまりこんな風に、無理矢理にでも良いところを探して理由を付けてまで関わっていたいと思う程度には、僕は榎木津を気に入っているのだ。
 中禅寺は軽く眉を顰めながら、煙と共に小さな溜息を吐く。
「君ね。僕だけじゃない、木場の旦那辺りも散々忠告した筈だ。あれに関わると碌なことがないのだと。会い辛いのは結構じゃないか、これを機にすっぱり縁を絶ってしまえばよろしい」
 口ではそんなことを云ってはいるが、昨年末に敢行された追儺の儀――榎木津は鬼苛めと呼んでいたが――に出ることを促したのは他ならぬ中禅寺自身なのだが。
 そんな思いが顔に出ていたのだろうか、僕を見詰めていた中禅寺は何とも表現し難い表情を浮かべながら、それでも微かに笑うような声色で云った。
「まあ――余り気に病む必要は無いと思うな。行けば喜びますよ、彼は。恐らく素直に――とはいかないだろうけどね。場所が探偵事務所だと思うからややこしいのであって、知人の家を訪問するのに何を衒う事はないでしょう。此処に来る程度の気楽さで行ってみりゃあいい」
「――そう、ですよね」
 云って貰って楽になった。結局僕は、誰かに背中を押して欲しかっただけなのだろう。そして中禅寺は、先からそんなことは見通していた筈なのだ。何せ彼は一を聞いて百を知る程の洞察に長けた男なのだから。
 僕は何だか気恥ずかしくなって、すっかり冷めたお茶を口に運びながら独り言のように呟いた。
「それにしても――本六は無いよなぁ」
「名前を縮めて呼ぶのは、学生時代に身についた彼の習性みたいなものです。関口巽は関タツから転じて関になったし、木場修太郎はそのまま木場修だ」
 だが僕は本島六兵衛でもなければ本島六?太でもないのだ。本島俊夫という名前は、それほど覚え難いものとは思わないのだが。
「榎木津さんは何だって僕らを奇天烈な名前で呼びたがるもんなんでしょうね」
 僕ら、と云ってしまった辺り、自分のことを関口や益田と同じような下僕の地位だと認めてしまったようなものだが、今更取り繕ったところで意味が無い。
「奇天烈な名前――ねぇ」
 中禅寺は何か思い巡らすような顔をしながら、灰皿に煙草を押しつけた後――不意に一瞬だけ唇の端に奇妙な引きつり笑いのようなものを刻む。それから彼は真顔に戻ると、傍らに積んである本の中から無造作に一冊を取り出して僕に見せた。
「本島君。これは本、ですね?」
 突然至極当たり前なことを聞かれたので、ぽかんとしながら頷いた。中禅寺は頷き返す。
「そう、正しく本だ。だが、これが本であるのは、本――という名前があるからなんですよ」
 ますます意味が解らない。
 本は本と呼ばれようと呼ばれまいと、本なのではないのか。
 そんな僕の困惑には構わず、中禅寺はさながら講義をする教師みたいな調子で先を続けた。
「本――と一言云えば、それがどんなものか大概の人は解る。内容はともあれ何らかの文章が書かれた、読むための代物なのだな、とね。しかし、本という言葉がなけれは、これは文字という記号が記された、ただの紙束に過ぎない。その目的は明確ではありません。同じように――君には本島俊夫という名前があり、名前があるからこそ君は本島俊夫として世界に存在し得るのだ。名前とはね、本島君。一種の呪(しゅ)――なのですよ」


「呪――」


 剣呑な響きに、僕は思わず唾を飲む。だが中禅寺は軽く笑いながら首を振った。