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Cb.Senza sordino

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広い防音室に響くAの音が少しずつ低いそれに移り変わっていくのを聞きながら、譜面台に載せたスコアを捲っていく。
マーラー交響曲第1番「巨人」。大学でこれだけのオケを作ろうとした教授に感嘆したけれど、そのオケを任されることになった時は大きなプレッシャーと焦りを覚えたのがまだ記憶に新しい。
教授の編成したメンバーのリストに載る名前はこの音楽大学三年生の中でも有名な名前ばかりで、学園祭の大トリを飾るに相応しいオーケストラに違いなかった。
練習初日の今日は日曜日。この一段高い台の上から見えるメンバーの表情は、各自予定の詰まっていたであろう休日を返上して集まるだけあり真剣その物だった。
チューニングの音の波が防音室を満たすと次第に乱雑な音の波が引いて、途端冷えていく空気に背筋を汗が流れていくのを感じる。乾いた唇を静かに舐めて、捲っていたスコアを第三楽章の先頭ページまで急いで捲ってから小さく息をついた。
指が震える。
まさか、本当にこのエリートたちを自分が束ねなくてはならないだなんて。

「水谷、緊張すんなよー!」

睨み付けていたスコアから声のした方へ顔を向けると、こちらを向いて座るメンバーの最後列にティンパニーの向こうから笑顔を振りまく田島の姿があった。
左手に纏めて持った枹をくるくると回してご機嫌な田島はさっさとやろうぜ、と声をかけてくれる。
一年の時からの仲の田島のお陰で、少しだけ肩の荷が降りた気がした。

「指揮科の水谷文貴です。俺には勿体無さ過ぎるこのオケを振らせて貰うからには一生懸命やるんで、よろしくお願いします」

ぺこりと頭を下げると、あちこちから声が飛んでくる。水谷気張れーだの水谷くんよろしくーだの。聞き馴染んだ声もいくつか混じっていたことに安心する。
左から鋭い視線をぶつけてくるコンサートマスターの阿部が小さくさっさとしろと言うので、さっそく指揮棒を取り出した。

「百枝先生から聞いてると思うけど、今日の練習は第三楽章からやるよ。ティンパニーとコンバス、荘厳に、憂いを持って。…一度通します」

コンマスの阿部の睨むような痛い視線を受け流して、ティンパニーの下降から始まるこの曲を恐らく喜んでいるだろう笑顔の田島を見るといつの間にか真剣な炎を瞳に宿らせていた。
作品名:Cb.Senza sordino 作家名:東雲