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誘惑の果実

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誘惑の果実


「食べないのか?」
 響がきれいに皮を剥いた林檎は桃子の両手に包まれたままだ。薄気味が悪いくらい滑らかな林檎の表面を桃子はおもむろに見下ろした。
「このまま渡されたもんだから、お陰さまで手はべったべたよ」
 恨みがましく見上げながら仕方なしに桃子は林檎に齧りついた。しゃり、と歯に当たる果肉は瑞々しく甘い。しゃりしゃりと控えめな音と共に爽やかな香りが病室に満ちる。冬の果実は丁度食べ頃で、一口ごとに果汁が滴り落ちる。顎を伝うそれが不快で拭うと、桃子は正面のベッドに座る男を見た。
「何じろじろ見てんの」
「いや?」
 にやにやと口元を緩める響を、桃子は胡乱気に見つめ返した。どうせ碌でもないことを考えているのだろう。見られていては落ち着かず、咀嚼を止めた。残り三分の二ほどだろうか。思ったより遠い道のりだ。ふと、以前神無のことを思い出した。あれはいつのことだろうか。それほど遠いことでもないはずなのに、随分と遠い昔の事のように思えた。雪だるまを作ったついでに、雪兎を作った日だった。赤い南天の実をあしらう桃子の横に神無はちょこんとしゃがみ込んで、手元を覗き込んできて、可愛いね、と微笑んだ。
「神無は兎好き?」
 問いかけると神無は迷い無く頷いた。
「じゃあ林檎は兎形?」
 再度首を縦に振ってから、首を小さく傾げた。
「なんで?」
「何だろ。連想ゲーム? 冬で雪で赤い実で兎……と来たら林檎でしょ」
 納得したように神無が微笑んだ。桃子が作ったばかりの雪兎の南天の葉の耳にちょんと触れる。寒さに頬を紅潮させた神無は、桃子を見て再び目を細めた。
 控えめに笑う神無を見ては僅かに胸が痛んだ。神無、と桃子が呼ぶたびに花が咲くように顔を綻ばせる。名前を呼ばれることがそんなに嬉しいのだろうかと呆れもしたが、臆病な猫がやっと人慣れして擦り寄ってくるように、そっと遠慮がちに横に寄って来て無条件の信頼を向けてくるのは嫌いではなかった。
 それでも、彼女を傷付けるのを止めようとは思えなかった。神無と出会った当初は鬼に捨てられたばかりで、苛立ちと落胆と、認めたくはないがおそらく悲しみとを持て余していた。神無の極々平凡な容姿と、それでありながら鬼頭の花嫁という立場、そしてそれらに頓着する様子も自覚も無く、三翼を傍に、ただいつも怯えたように周囲を見回す神名は桃子の神経を逆なでするばかりだった。どうにかしてその恵まれた立場にいる彼女を貶めたかった。絶望を味わわせたかった。
 それが見当違いの嫉妬と子供っぽい羨望であったということに気付いたのは、気付けたのは、響が最後に暴露したからだ。桃子を嬲る為だったのは明らかだったが、関係無い。響の悪趣味な性癖には苛立ちしか覚えないが、それでも自分の愚かしさに目を向けることが出来たのは響のお陰であることは認めていた。
「おい、桃子?」
「んー?」
「どこ見てるんだ、お前は」
「響」
 他方で、響の存在さえ無ければ桃子が神無を傷付けることは無かっただろう。今ならば、友情を信じる神無は桃子の言葉一つで容易に傷付けることが出来たのだと分かるが、当時は自分の言葉で傷つく人間がいるなど思いも寄らなかった。もっと直接的に痛めつけなければならない、と。だから力の無い桃子にとって響は好機に他ならなかった。
「何だよ。おい? 聞いてないだろ」
「聞いてる」
「食わないなら貰うぞ」
 さっと手が伸びて桃子の手から齧りかけの林檎を奪った。はっとなって桃子が顔を上げると同時に、響は果肉に残った桃子の歯形を舐めた。
「ばっ――ちょっと、何してるのよ!」
 しゃくしゃくと小気味良い音が響いて、あっという間に林檎は軸を残して消えてしまった。桃子が齧った所もきれいに食べ尽くされて、羞恥に桃子は身体を振るわせる。
「何考えてんのよ!!」
「お前がぐずぐずといつまでたっても食べないから」
「最っ低! 気持ち悪い」
 居た堪れなくなって身を翻すと腕を掴まれた。
「離してよ! 手がべたべたするから早く洗いたいの!」
「あっそう?」
 じたばたともがくが、響の手は緩まない。むしろいっそうきつく締めあげられるばかりだった。自由な手を振り上げたところで、手に触れた生温かい感触に硬直する。おそるおそる視線を下げると響が桃子の手に口寄せていた。赤い舌がちろりと肌を舐める。
「ほんとだ。甘いな」
 声にならない悲鳴を上げて、桃子はがむしゃらに腕をふるって拘束を解こうとするが外れない。
「響、いい加減にしなさいよ、変態! 何の嫌がらせ!?」
 自由だった右手も響に掴まれた。眼差しで人を殺せるならば、桃子は一体何度響を殺すことができただろうか。自由にならない手に力を込めながら、殺意を込めて響を見ると、実に嬉しそうな表情を浮かべていた。
「さっき何を考えていた?」
「ねえ、何で思考にまで干渉されなきゃいけないわけ!?」
「神無は――」
 ぴたりと桃子の動きが止まる。先程までの威勢が嘘のように凍りついた表情だ。効果覿面だな、と響は立ち上がった。背中を屈め、耳元で囁いてやる。
「神無はお前のことを信頼していた。今回の事件で神無を傷付けたのは俺じゃなくて、紛れも無くお前だよ、桃子」
「――――だから、そんなこと端から承知だけど?」
 罪悪感に苛まれながら、強く肯定する。否定など、責任転嫁などするものかと。それでいて桃子の身体は硬直していた。響は片手を解放し、それを愛おしげに抱きよせた。
「俺は切っ掛けに過ぎなかった。お前はずっと共犯だと主張してきたけど、はたして主犯はどっちだったんだろうな?」
 嗜虐的な響の声に桃子は唇を噛み、絶える。俯いたりはしない。出来たばかりの傷口を抉り塩を刷り込めるような響の行いは今に始まったことではない。それでも、かつての桃子なら自分で遊ぶなと叫んでいただろう。今は。今は背を撫でる手が優しいから振り払えない。それでも最後の意地で声を絞り出した。
「響は、結局何もできなかったわね。あんなに用意周到にしておきながら、全部無意味。一番の道化は――堀川響じゃない?」
 響は桃子の耳元で声を弾けさせた。
「確かにな。まあ、良いさ。代わりに手に入れたものがあるから」
 怪訝そうな桃子の肩口から顔を上げた響の表情に、桃子は顔を引き攣らせた。彼のものとは思えない明るい笑み。嫌な予感がした。
「一緒に暮らそうか」
「は? だから嫌だってば」
「俺は学園を出なきゃならないし、行くところもないから桃子に暫く養ってもらう。代わりに桃子は俺を見張れる。ついでにお前のつまらない刻印に引き寄せられる男も片付けてやるよ」
「あんたと暮らす必然性が無い」
「効率」
「裏があるに決まってるでしょ。そんなのにほいほい乗って巻き込まれるのなんて、もう二度としない」
 桃子の強い口調に、響は肩を竦めた。
 相変わらず、後悔も絶望も糧にしていつも何かに挑んでいるような、保身なんて知らない無謀で孤独で愚かな女だ。もう二度と、と言いながら、その言葉に傷付いている。痛みを堪えながらも、目を逸らさない。不器用な女だ。
作品名:誘惑の果実 作家名:萱野