二次創作小説やBL小説が読める!投稿できる!二次小説投稿コミュニティ!

オリジナル小説 https://novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
二次創作小説投稿サイト「2.novelist.jp」

BSRで小倉百人一首歌物語

INDEX|24ページ/27ページ|

次のページ前のページ
 

第77首 瀬をはやみ(サナダテ)



 その日、幸村は不安と僅かな喜びの混ざった複雑な思いを抱えながら、政宗の住居へ続く山道を歩いた。顔を合わせるのは久方ぶりだ。以前会った時には、政宗は一言も口をきかなかった。辛くはあったが、当然のことだと幸村は受け止めていた。
 天下分け目の戦いで東軍が敗れた後、政宗の身元を引き受けたいと自ら申し出たのが幸村だった。何故そんなことをしたのか、幸村自身にも分からなかった。総大将に次ぐ立場にあった政宗が死を免れないのは明白だった。それを覆し、他の西軍の面々に白眼視されてまで無理な願い出をしたのだ。当の政宗でさえ、冷たい視線を幸村に寄越していたように思う。
 結局幸村の申し出は受け入れられ、政宗の処遇は真田領内での蟄居に留まった。だがそれは正しいことだったのか、と幸村は今なお煩悶している。感情のままに動いたことで、政宗の誇りを、取り返しのつかないほどに損なってしまったのではないか。幸村の疑念は、石のように堅く重く沈黙する政宗の態度で確信に変わっていた。
 そういうわけで、幸村は政宗を静閑な山中の庵に案内して以来、面会を絶っていた。随分身勝手な話だ、と幸村は幾度となく自分を責めた。しかし幸村には、事態にどのような決着をつけるべきなのか、判断が下せなかった。
 逃げてばかりではならぬと送った文には、当たり障りのない返信が届くだけだ。やはり直接膝を突き合わせて話をしなくてはならないのだ。そしてその日、幸村はようやく決心がつき、政宗を訪れることにした。
 見張り番に簡単に声をかけてから、扉を軽く3度叩く。冷たく閉ざされた木製の扉が、堅牢な砦の門のように感じられた。幸村のその感覚とは裏腹に、扉は乾いた音をたててあっさりと開かれた。
 「政宗殿、お久しぶりです」
 「…真田」
 掠れた声には、何の感情も読み取れなかった。声だけではない。政宗の表情は、幸村と対面しても僅かな変化も見せなかった。
 促されるまま、幸村は室内に足を踏み入れた。元は先祖が少しの休息のために設えた別邸だから、庵自体が小さく狭苦しかった。申し訳程度に置かれている衝立で寝床と生活の空間を仕切ってるようで、その生活の空間にも極度に物が少ない。もう少し広い屋敷に側仕えの者をつけて住まわせようとも思ったのだが、政宗自身がどうやらここを気に入ったようで、供の者もつけずに、見張り番を除けばたった一人でここに暮らしていたのだ。
 落ち着かなく立ったままの幸村を後目に、政宗は火鉢の前に座る。どうやら炭を継ぐ途中だったらしい。火箸を入れると、白い灰が微かに舞う。火鉢を挟んで、政宗の向かい側に幸村は陣取った。政宗は幸村をちらりと見ただけで、すぐに興味を火鉢に戻した。
 政宗が何も言わないので、幸村はじっとその姿を観察した。閉門の身でろくに体を動かすことができないせいか、政宗の身体からはかつての逞しさが消え失せていた。加えて食事も粗末なものしかないので、随分痩せてしまった。端的に言えば、この数年で政宗は、見る影もなく衰えていた。
 そんなことを考えていると、不意に政宗の顔が幸村に向けられた。探るような視線に、幸村は思わず顔を反らした。すると政宗は大仰にため息をついた。
 「おい。何て顔してんだ、真田」
 「は?」
 「は、じゃねぇ。アンタ自分が今どんな顔してるのかわかってるのか?」
 幸村の間が抜けた返答に、政宗は微かに苛立ったように問う。だが、顔、と言われたところで、幸村にはそれを確認する手段がない。仕方がないので、幸村は小さな声で政宗に、どのような、と尋ねた。
 「氷みてぇな顔」
 と政宗は答えた。
 それは貴殿の方だ、と言いかけて、幸村ははたとここ数年のことを思い返す。そんなことを気にする余裕もなかったが、記憶の中の幸村は、ただの一度も笑っていなかったのだ。ここを訪れてからのほんの短い時間で、政宗はそのことを見抜いていた。変わらぬその眼の確かさに舌を巻く。
 「何でアンタがそんなツラする必要があるんだ?アンタは勝ったんだ、堂々としてりゃよかったのによ」
 厳しい言葉とは裏腹に、政宗の口調は柔らかい。幸村を気遣ってくれているのだろう。そんな気遣いは要らない、と幸村は思った。同時に、そんな気遣いをさせている自分自身に、どうしようもなく腹立たしさを感じた。しかしそのおかげで、いつまでも口ごもっているわけにはいかないという衝動が、幸村の中にあった迷いを押し退けた。幸村は身を乗り出して政宗に問うた。
 「政宗殿。今日は貴殿に聞きたいことがあってここへ来た」
 「聞きたいことだと?」
 幸村の口から飛び出た言葉が意外だったらしく、政宗は声を低くして問い返す。
 「馬鹿なことをと笑ってくれてもかまわない。だが某にはどうしても分からないのだ。何故、某はあの時、政宗殿の助命を申し出たのか。貴殿のためになると思ったわけではない。むしろ政宗殿の心中を慮るならば、あの時政宗殿の命を絶つことを受け入れるべきであったと、今でも思う」
 「真田…」
 政宗が半ば呆れたように呟いたのにもかまわず、幸村は続ける。続ける他なかった。一度溢れだした言葉の奔流を止める術など、幸村は持ち合わせていなかった。
 「それだけに留まらず、某は政宗殿を避け続けた。政宗殿は某の顔など見たくないだろうともっともらしい理由をつけたが、某は怖かっただけなのだ。貴殿に詰られることが」
 全てを吐き終え、幸村は肩で息をする。言いようもない疲労感がのし掛かってきた。そんな幸村を、政宗はしばらく何も言わずに見つめた。掛けるべき言葉を探しているのだろう。幸村の呼吸が落ち着いた頃に、政宗は徐に口を開いた。
 「…アンタ、そんな簡単なこともわからねぇで、今の今までぐだぐだと悩んでたのか?」
 「…は?」
 「最初はアンタがわけのわからねぇ同情心で俺の身元を引き受けるなんて言い出したんだと思ってた。もしそうだったら、俺はアンタのことを絶対に許せないと思った。だが」
 思い返すかのように、政宗は静かに目を閉じた。
 「ここで一人になって、昔のことを思い出していた。それで、アンタと初めて会ったときのことを考えてみたんだ」
 「初めて会った時のことを?」
 「ああ。あの時に、俺は思ったんだよ。この男の首を上げるのは、俺でなきゃならねぇってな」
 政宗の言葉を聞いて、幸村もその時のことを思い出す。政宗の剣捌きも、挑発的な瞳も、あの昂りも、何もかもが鮮明に蘇る。そうして幸村も、政宗の言葉を理解した。
 「某も…某も同じように感じていた」
 「そうか」
 それきり、部屋には沈黙が落ち、近くを流れる渓流の音だけが響いていた。だが、その沈黙は最初に幸村が感じていたものとは、まったく別のものだった。かつて、政宗の私室で盃を交わしたときのような、親密な空気がそこには存在していた。
 「真田」
 噛み締めるように、政宗が言う。
 「今生でアンタと討ち合うことは、今となっちゃもう無理な話だ」
 「もとより承知の上」
 「…次の世では、必ず」
 「ああ」
 その約束は、来世で結ばれようという睦言よりも、甘美に響いた。
 
 
 瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に あはむとぞ思ふ

作品名:BSRで小倉百人一首歌物語 作家名:柳田吟