BSRで小倉百人一首歌物語
第96首 花さそふ(小政+幸村)
「政宗様、真田幸村が是非手合わせをと言っておりますが、いかがいたしますか?」
呆れ返った声音で、小十郎は部屋の真ん中で転がっている主に訊ねた。政宗は横になったまま、勘弁してくれと言わんばかりに手をひらひらと振る。小十郎の方は見ない。
「Sorry、今日は無理だと伝えてくれ…」
「…承知いたしました」
今は何を言っても無駄だろう。そう判じて、小十郎は部屋を退出する。襖を閉める直前、刺を含んで告げる。
「客人が来ると分かっていて宿酔とは…いい加減、自重という言葉を覚えていただきたい」
「待たせちまってすまねぇな、真田」
小十郎が客間に戻って対座すると、幸村は姿勢を正したまま目を輝かせて小十郎を見る。犬っころみたいな奴だな、と小十郎は思う。
「いえ、構いませぬ。それより、政宗殿は」
問われて、しばし考えを巡らせる。まさか昨晩酒を飲みすぎた挙げ句に、今にも消え入りそうな様子で転がっている、とは言えない。
「すまんが、どうも加減がよろしくないようでな」
「なんと、あの独眼竜が具合を悪くするとは…。やはり、一国を統べるというのはそれほどまでに労を要するのでござるな」
「…まあ、そんなところだ。明日にはよくなるだろうから、今日はここに泊まっていけ」
「…わかり申した」
真田が単純でよかった、と内心安堵の息を吐く。つまらない嘘ではあるが、この男をはぐらかすには充分だったようだ。
「片倉殿、折角ですので政宗殿に一言御挨拶を…」
「人払いをされているから、無理だな」
幸村の申し出を、きっぱりと断る。小十郎のすげない返答を聞いて、幸村はしゅんと項垂れる。その様を見て、さすがに小十郎も良心が痛んだ。そもそも悪いのは、客人が来ると分かっていて自制のできなかった政宗だ。とはいえ、あの状態の政宗に会わせるわけにはいかない。どうしたものかとしばらく悩んでから、先よりは少し穏やかな声で提案する。
「俺でよかったら、相手をするが。やはり政宗様とがいいか?」
途端に幸村は顔を上げて、喜色を隠すこともなく是非にと言う。その無邪気さに、小十郎は苦笑を漏らす。
稽古場へ幸村を通す。ふと、幸村と手合わせをするのは二度目だったなと思い出した。もっとも前回は幸村が相手を小十郎だと認識していなかったので、幸村にとってはこれが初めての手合わせとなる。その為なのだろうか。小十郎は先刻から、幸村が僅かに緊張を纏っている気配を感じ取っていた。
小十郎は何も言わずに、刀を構える。今ここで言葉を発するのは、あまりに無粋だ。それを幸村も解したのか、すぐに二槍を構える。
張りつめた静寂が、稽古場を支配する。戦場とはまた異なる緊張。呼吸も苦しくなるようなそれが、不思議に心地よく感じる。真剣に対峙する者同士しか共有できぬその感覚を小十郎が感じたのは、久方ぶりのことだった。
初めに踏み込んだのは、幸村だった。一気に間合いを詰めて、槍を突き出す。貫かんばかりのその勢いに一瞬たじろぐが、小十郎はそれを刀で受け止める。そのまま力任せに弾き返し、幸村の体勢が崩れたところに打ち込もうとするが、器用に先程とは逆の槍を振るって防御する。
どちらも譲らぬ攻防。小十郎はただ純粋に、楽しいと思った。幸村の腕は、技術としてはまだ未熟なものだ。だが、熱をもって踏み出すその脚が、真摯に振るうその両の腕が、どうしようもなく眩しく感じられた。伸び盛りの目映さだ。そう考えて、小十郎は自嘲の笑みを浮かべる。どれだけ得たくとも、それはもう手に入らない。
何度目かの打ち合いの後、小十郎は一息に幸村の懐に飛び込んだ。取った、と思った瞬間、小十郎ははたと気が付いた。幸村の瞳は気迫を感じさせるものではあったが、政宗と対峙する時の、あの熱を宿してはいなかったのだ。
小十郎がほんの僅かに動きを止めた瞬間を、幸村は見逃さなかった。槍を大きく振るい、薙ぎ払う。腹をしたたかに打たれ、小十郎は吹き飛ばされる。追撃が来る。すぐにそう判断して体勢を立て直そうとするが、幸村が動く気配はなかった。立ち上がって幸村の方を見ると、何が起きたのかわからないとでも言いたげな顔で小十郎を見つめていた。
「やれやれ、一本取られちまったな」
幸村から打ち合いを続けようとする意志が感じられなかったので、そう告げる。呆けていた幸村はそれでようやく我にかえったようで、慌てて小十郎に駆け寄る。
「片倉殿!申し訳ござらん!お怪我は…」
「これ如きで怪我するほど柔な鍛え方はしちゃいない」
小十郎が刀を鞘に納めると、幸村もそれに倣う。小十郎はその場に腰を下ろし、狼狽している幸村に隣に座るように言う。幸村は叱られた犬のように、大人しくそれに従う。
「片倉殿、この打ち合い、あのままならば貴殿が取っていたはずだ。なのに何故…」
驚いていた理由はそれか、と小十郎は苦笑する。幸村はこれまでの打ち合いから、最後の一撃は躱されるだろうと予測していた。それなのに小十郎がまともに食らってしまったものだから、茫然としてしまったのだ。
「それを聞くのは野暮ってもんだ。テメェが全力で振るった槍を、俺は避けることができなかった。それだけのことだ」
「片倉殿…」
幸村は随分と感じ入っているようだ。だが、自分がその瞬間に抱いた思いは、そんな称賛の眼差しを向けられるものではない、と小十郎は密かに思う。あの瞬間、確かに小十郎は落胆したのだ。真剣勝負をしているつもりになっていたのは自分だけなのだ、と。そしてそのように感じたことに、小十郎自身が心底から驚いたのだ。
「魂が揺り動かされる好敵手がいるってのは、幸せなことだ…。なあ、真田」
小十郎の言葉に、幸村は黙って頷いた。
その夜。小十郎は政宗のもとを訪れた。横になったままではあるが、政宗の体調は随分と良くなったようで、この分ならば明日は手合わせができるまでに回復しているだろう。小十郎が昼間の出来事を報告すると、政宗は楽しげに笑う。
「お前のことだから、どうせ下らねぇこと考えてて隙作っちまったんだろ?」
指摘のとおりなので反論もできず、憮然とした表情で黙る。膝の上に置いていた拳に力を込める。今ごろになって、自らの情けなさにいたたまれない思いが沸き上がってきた。
震える小十郎の拳の上に、そっと政宗の手が重ねられた。冷たくて、柔らかさのない手だ。それなのに、触れられた先から自然に力が抜けていくような感覚を覚える。その手は、安堵そのものだった。政宗から言葉がかけられたわけではない。たとえいくら言葉を尽くしたところで、小十郎の心が癒されることはなかっただろう。それを理解していて、政宗は何も言わずに手を重ねたのだ。そして目論見どおり、小十郎の心は僅かながらも解きほぐされた。
小十郎は拳を握っていた手を弛め、そのまま政宗の手を取って、大切そうに包む。
「ありがとうございます、政宗様」
そう告げると、政宗は満足そうに微笑んでから、目を閉じた。眠りを妨げぬようにそっと夜着をかけ直してやってから、小十郎はただじっと、その寝顔を見守っていた。
花さそふ 嵐の庭の 雪ならで ふりゆくものは わが身なりけり
作品名:BSRで小倉百人一首歌物語 作家名:柳田吟