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満ち足りるまでまだ少し

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透明なゼリーでコーティングされた、艶やかに光る苺を一粒、人差し指と親指が摘み上げる。ヘタを切り落とした部分にうっすら生クリームがついている。彼女はそれを持ち上げて、口を開けた。白く尖った犬歯と苺に劣らず赤い舌が一瞬見えて、苺は唇の間に消えていった。果肉を齧る濡れた音を聞いた気がした。指先のゼリーを舌先が掠めていった。
ボクはアイスティーのグラスに刺さったストローをわざとらしくかき回した。溶けかかった氷が弱々しい音を立てる。グラスはひどく汗をかいていて、手に持つのが躊躇われるほどだった。野生児の彼女が冷房病にならないように、温度設定が控えめになっているのだ。どうせならママもアイスクリームを出してくれればよかったのに。 手にしたフォークを下ろすと、ざっくりと派手な音を立てて目の前のミルフィーユが割れた。パイ生地の欠片が皿の上に少し散った。パイを美しく食べるのは、至難の業だ。
苺を食べ終えたサファイアも、ショートケーキを切り崩しにかかっていた。三角柱へ垂直にフォークを立てる。ふわふわのスポンジが凹んで、削り取られた。断面から、輪切りの苺の赤がはみ出ていた。

今更間違えようもないけれど、ボクたちは昔一度会って、別れて、顔と名前を忘れて、そして再会した。これは確かな事実であって、だとすれば、ボクらは出会った頃から恋に落ちていたことになる。ボクは彼女が好きだったのだし、彼女もボクを好きだと言った。昔も、今もだ。一度別たれたのにも関わらず。それは随分と運命的なものだと、ボクは思う。運命的にボクらは再会し、そして、今に至る。こうやって向かい合い、黙々とケーキを食べている。
果たしてこれで満足なのだろうか。

「…ルビー?」

不意に呼ばれて顔を上げる。フォーク片手に、青い瞳がボクを見ていた。

「まぁた、小難しいこと考えとると?」
「…“小難しい”って、」
「うまかもの食べてる時くらい、余計なこと考えんと、単純に『うまかー』って思った方がよかよ」

折角のご馳走やけんね、と、彼女はまたスポンジを切り崩した。

「(じゃあキミはつまり今、ケーキが美味しいってことしか考えてないんじゃないか)」

溜息をつきたくなるのを抑えて、ボクは視線を落とした。倒したミルフィーユの一番下のパイ生地をつつくと、それはあっさり剥れてケーキはますます無惨な姿になった。無理矢理割って、カスタードと一緒にフォークで掬って口に入れた。間が抜けるくらい、ざくざく、ざくざくいう音が耳の中で響いた。
運命だ何だと言ったって、何かが特別変化するわけでもない。ボクらはそれぞれのやり方でそれぞれのケーキを食べているだけだ。満足だろうか。傍にいるだけで何もいらないような気もするし、まだ足りない、という気もする。実際ボクらは今傍にいるけれど、果たして、どうだろう。

「…………」

しばらく考えて、ボクはフォークを置いた。
とりあえず、傍にいるだけでは駄目だ。そんな結論が出た。少なくともボクは、触れずには、いられない。満足は、出来ない。

「サファイア、」

触れたくなって手を伸ばした。