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月の出を待って 前編

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 浦木の手を借りてアインを自宅に連れ帰った頃には、既に夕食時となっていた。
考えてみたら、私は朝からほとんど何も口にしていなかった。
アインを彼専用のベッドに休ませると、私はひとまずシャワーを浴びて身体をすっきりさせる。それから冷蔵庫内の食材で簡単な夕食を作り出した。
薄切りの豚肉を生姜醤油で炒め、キャベツの千切りの上に盛る。
里芋と人参を銀杏切りにして味噌汁を、冷凍しておいたセリを解凍しておひたしにする。

幼少時代から所謂洋食育ちであった私が、日本にきて和食と出会い、その淡白な味付けに魅了されて以来、自分で作るものは基本的に和食系が多くなった。
大豆蛋白を摂取していればプロテイン不足は生じないし、脂質の制限も出来る。メタボリックシンドロームが叫ばれる昨今、これほど健康的な食事はないと思っている。
調理をし、皿や椀に盛った夕食をお膳代わりに盆の上に乗せてダイニングにいくと、すぐ隣のリビングからかすかな音がした。
私は盆をテーブルに置くと、急いでパーテーションの向こうを覗き込んだ。

このダイニングとリビングは可動式のパーテーションで仕切られているが、それを収納すれば30畳の広さとなり、パーティーを開く事も可能な造りとなっている。
私はアインを落ち着かせてあげたいと考えてパーテーションを可動していたのだ。

覗き込んだリビングの窓辺で、アインが頭を持ち上げているのが見えた。
まだ鮮明にならないのか、盛んに頭を振っている。
私は安心させたくて、ゆっくりと彼のそばに近づいていき、静かな声で語りかけた。

「目が覚めたのかい?足の方は大丈夫だ。ちゃんと獣医に診てもらったから、安静にしていれば半月程で固定を外す事が出来るだろうと言われたよ。食事が出来そうなら肉を持ってくるけれど?」

私の言葉にアインの視線が反応して、顔を向けてくれた。

間接照明ですら絞ったリビングは、外からの光のみの薄明かりになっていた。
その為、暗視能力のあるアインの瞳が黄緑色に発光してみえる。

「綺麗だよ。君の瞳は…」

私はうっとりして、つい彼の頭に手を出してしまった。
途端に彼の牙が私に向けられた。
小指側の掌にアインの牙が突き刺さる。

「うっ!」

私は痛みに呻き声を発したが、手を引く事をしなかった。
動物に噛まれた時、驚いて手足を引くと傷を広げるだけだと聞いていたし、彼が怒るのはもっともだと感じていたからだ。

滲み出た血が肘へと伝い、床にポタリポタリと滴り落ちる音がし始めた。

「すまない。君の自尊心を無視して無理やりここへ連れてきたのだ。激怒するのは当然だ。怒りはあまんじて受けよう。それでも私は、私を助けてくれた君をあの山に放置する事はどうしても出来なかったのだよ。君が元気になったら、元の環境を調べて返すなり何なりを考える。だからそれまで私と暮らしてはくれまいか。苦痛を与えたり不愉快な思いをさせないと誓う。納得してもらえまいか」

私は心の底から、理解してもらえるようにと言葉を連ねた。
アインは牙を刺し込んだまま私の言葉を聞いていたが、ゆっくりと牙を離すと舌で傷を舐めてくれた。

「わかってくれたのかい?ありがとう!嬉しいよ。大丈夫。ちゃんと消毒して止血するから……。君の骨折に比べれば小さなものさ」

私は反対の手でアインの頭や顎を軽く掻いてみる。

「さて、食事は出来そうかな?神戸牛があるんだが…」

私は、食事が摂れれば骨折の治りも早まるだろうと思って告げてみたのだが、彼はそのままベッドに丸くなってしまった。

「そうか。食欲はないのか…。無理して食べなくても、明日になれば食欲が出るかもしれないし、無理ならガトーにまた点滴をしてもらうから、今夜は安心して眠ってくれたまえ」

そのまま触れていたい欲求を押さえつけると、私はそっと立ち上がってダイニングへと戻った。


残念に思う気持ち以上に、同じ屋根の下に彼が居る事に喜びを感じて……

2008/04/16
作品名:月の出を待って 前編 作家名:まお