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ネメシスの微睡み~接吻~微笑

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ネメシスの微笑 6 



「──っ!?」

 先程とは比べ物にならぬほどの強さ。痛みで顔が歪む。払い除けることも許されず、力任せに抱き竦められた。
 それでもなお、もがく私を羽交い締めるようにして、教皇はゆっくりと撫でるように恐るべき言葉を吐き出した。喩えるならば、冷えた闇が全身を包んでいくかのような感覚。先刻の教皇とは違う、何か得体の知れない者の存在があった。

「哀れなものだな。サガはもう、おらぬというのに。余が……この俺が、この手で──屠ったのだから」

 教皇から放たれた言葉の矢。それは鋭く私の胸に突き刺さった。耳を疑うような告白。それは容赦なく、深々と私の胸を射抜いたのだ。

「う……そ…嘘…だ……」
「嘘ではない。この手で余が屠ったのだから。サガと……前教皇を」

 殊更に優しく宥めるように囁かれる言葉に狂わされ、虚脱感に襲われる。もがいていた両腕は力を無くしてだらりと落ちた。
 なぜ、と乾いた声で力なく問いかける。頭の片隅に抱いていた危惧。もしかしたらサガはもう──この世界にはいないかもしれないという恐怖。ずっと否定し続けてきたこと。ばくばくと鼓動が限界まで速まっているが、思考が追いついてはいけなかった。

 何故?

 この教皇はバルゴを下賜された時に立ち会った人物ではないということは感じていた。秘密裏に代替わりされたのだと思っていた。だが、そうではなく、その座は力で奪い取ったものということなのだろうか。

「余がサガのごとく振る舞うことがおまえの勘に触ると云うが。ならば、おまえは何だ?おまえはバルゴでしかないというのに。まるで“シャカ”のように振る舞い、シャカのようにサガを求め、そして……惑わすのか。我らは粛々と来る聖戦の時まで、ただ生かされている道具にしか過ぎぬというのに」

 仮面を通してさえも感じる、憎しみの眼差し。私を射抜く教皇の憤怒。そして、底知れぬほど深くて、深すぎるほどの悲しみ。
 私は私でしかないというのに、まるでこの教皇は私を、私という存在そのものを許さない、認めないと云わんばかりだ。
 教皇が私を憎もうが許すまいが、そんなことはどうだっていい。憎みたければ、憎めばいい。でもなぜ……その中心にあるものが悲しみなのか、理解し難いものだった。

「独り善がりのくだらぬ感情に溺れ、聖闘士という枠から外れたサガなど、聖域にとっては不要のモノ。いや、行き過ぎた正義を振り翳そうとする、害成すものでしかなかった。老いぼれもまた同様。そのようなものを生かす必要などない。聖域の則に従い、駆除したまでのこと。おまえもまたヤツらと同じく独り善がりの正義に溺れ、聖域の則に従わぬというのであるならば──」

 全身に掛かる圧力が倍増した。屈服させんばかりの小宇宙。激しい憎悪の炎と相反するような、あらゆる粒子さえも凍らせる悲憤の渦に包まれようとしたその時、僅かな隙間を縫うようにして透明で柔らかな絹織物のように肌を撫で、
包み込まれていくような感覚に陥る。


 シャカ、ここは聖域というところだよ。
 アテナが降臨した折にはアテナと共に
 地上の平和と愛と正義を守るために
 私たちは……いるんだ──



 心閉じたままの私に緩やかに語りかけてくれた優しいサガの囁きが、憎しみと悲しみが混じり合う炎を払う風のように私の耳を通り過ぎて行った。
 誰よりも聖域を愛していたであろう尊いサガの命。その命を奪ったという教皇。聖域は……サガよりも、前教皇よりも……この悪しき闇を纏う教皇を選んだというのか。
 閉じる事を忘れた双眸から滲み出た涙が、零れ落ちた。
 
「教皇ぉーーーっ!」

 吠えるような叫びとともに、奥底から迸る激流の小宇宙を開放した。心が張り裂けて行くのを感じながら。