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雪割草

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「父上、意味がまったくわかりません! どこへ行くのですか?」

「今から説明する。少し待て」

 父娘が辿りついた先は庭の隅に建っている蔵の前。
そこには古い物や、漬物などが入っているはずだった。
 又兵衛は傍に寄ってきた下男に鍵を頼み、それを受け取ると彼を遠ざけた。
蔵を開けた又兵衛は早苗に命じた。

「お前は蔵に入るな。着物が汚れでもしたら、ふくがぶちギレてわしが酷い目にあう。」

「はい…」

 しばらく父は蔵をかき回し、なにかを一心不乱に探していた。
そして彼は歓喜の声を上げた。

「あった! これだ!」

 蔵から出てきた父は埃まみれだった。
早苗はそれを見て不安に駆られた。

「父上、母上に叱られませんか?」

 満足げな又兵衛の顔は一気に曇った。

「しまった…」

 哀れな父に少し同情した早苗だったが、気持ちはすぐに違う所へ行った。

「それより、父上。何が見つかったのですか?」

「そうだった。これだこれ!」

 彼が大事そうに手に持っていたのは、小さな壺。
早苗はその壺に見覚えがあった。
 梅干しが入ってるが、絶対に食べたらダメと言われていた代物だった。
それ故、思ったままの事を口にした。

「…梅干しをどうするのですか?」

 しかし、又兵衛は急に神妙な面持ちになると小さな声で言った。

「…これは梅干しではない」

「…では、なんですか?」

 早苗は気になり、父の言葉を待った。
又兵衛は、さらに小さな声で言った。

「…秘薬だ」

 初めて聞く言葉に、早苗は驚いた。

「…秘薬? 何の秘薬ですか?」

「…変わり身の術を会得するための秘薬だ」

 重大な情報を小出しにする父に合わせ、早苗も少しずつ聞き出すことにした。

「変わり身とは…何に変われるんです?」

「性別を変えるだけだ」

 早苗はこの言葉にピンと来た。
先ほどの父の言葉の意味がわかった気がしていた。

「…では、女を男に、ということですか?」

「そうだ。これでお前は男になれる。そうすれば晴れて御供ができるということだ。わかったか?」

「はぁ…まぁ…だいたいは…」

 しかし壺に秘薬が入っているとは信じがたかった。
そのうえ、男になるなど、到底考えられなかった。

「…本当に、効くのですか? その中身、かなり古そうだし。腐ってるんじゃ…」

 埃をかぶった壺を見て、早苗の気分は萎えていた。
中身を見るのが恐ろしかった。
 しかし、又兵衛は大真面目に言った。

「疑うでない。先祖伝来の由緒ある秘薬だ。絶対に効く」

 『先祖伝来』という言葉が引っ掛かった早苗は、父に問うた。

「あの、ご先祖さまって…」

「…我が家の先祖は忍びだ」

 うっすら感じていた早苗だったが、やはり衝撃を受けた。
忍びには少なからず偏見が付きまとう。
 少し不安になった早苗に、又兵衛は優しく言った。
 
「…既に薄いから心配はするな。それにな、我が家はその辺の忍びとは違う。自信を持っていい」

「…どのように違うのですか?」

「この秘術を持っていた事が大きく違う。これを使って良い働きをしたからこそ、水戸藩の一藩士として生活で来ている。覚えておきなさい」

「はい」

 すこし誇りが持てた早苗は父に返事をした。
珍しく、当主らしい一面を垣間見たがそれはほんの一瞬だった。

「本当なら次期当主の平太郎にも教えんといかんかったが、とんと忘れておった! はははは!」

 根っからいい加減な父親の姿に早苗は溜息をついた。


「さて、何か質問は?」

 父にそう聞かれた早苗は少し考えた。
するとある不安が首を擡げた。

「…一生男のまま、などということは無いですよね? 心まで、男になったりしませんよね?」

「大丈夫だ。心配無用」

「…本当ですか?」

 いつもの父を見ている早苗は不安を拭いきれなかった。
しかし、彼は自信満々で安全性を謳い、さらにこう言った。

「もしもだぞ。もしもお前が男のままになったら、まず助三郎に泣かれる。そして怒られる。更には、ふくに半殺しにされる。わしはそんなの絶対にイヤだ。だから大丈夫だ」

 呆れながらも、早苗は彼に向かって言った。

「父上を信じてこの秘薬、使います。ご老公のお供をします」

 すると又兵衛は喜んだ。

「よう言った! それでこそ我が橋野家の娘!」


 
 蔵の鍵をしっかり閉めると、又兵衛は早苗に言った。

「仕事のついでに、将来の旦那様の普段見られないところも見ておくといい。後々のためにもなるからな」

「そうですか?」
 
 助三郎とは幼馴染。ほとんどのことは知っているつもりの早苗は、父の助言を深くは受け止めなかった。
 そんな彼女のそっけない返事に、又兵衛は自信の体験談を聞かせ始めた。

「わしなんか、ふくの舞い姿に惚れて勢いで結婚してしまった。最初は良かったが、今はあの性格だ。あんなに怖いとは思わなかった」

「…そうなのですか?」

「舞っている時は可愛い綺麗な女子だ。わしが勇気を出して声をかけた時も、すごく可愛かった。今も怒らなければ可愛い物を…」

 本当は妻のことが好きな又兵衛の戯れ言を早苗は聞き流すことにした。


「それで、父上、秘薬はいつ飲めば?」

「そうだな…今夜寝る前だな」

「今晩ですか!?」
 
 既に夕方、急すぎる事態に早苗は驚いた。
しかし、又兵衛は考え有ってのことだった。

「秘薬は、寝ているあいだに効果が出る。
明日の朝起きたら、お前は男の姿だ」

「…明日の、朝?」

 実感が全くわかない早苗は戸惑った。
明日の朝、自分は自分で無くなる。
 彼女の不安そうな様子を見た又兵衛は少し申し訳なさそうに言った。

「すまんが出立は七日後だ、それまでにすることが山とある」

「そうですか…」

「まあ、変わり身の『術』が身に付く。己の意思でいつでも元の姿に戻れる。変幻自在だ。そう心配するな」

 その言葉で早苗の不安は大分和らいだ。
そして、父に約束した。

「では、寝る前に必ず」 

「楽しみにしてるぞ。お前の男前の姿」

「あまり期待しない方が身のためですよ」


 二人で笑った後、又兵衛は屋敷の中には入らなかった。
彼は、仕事の続きをするつもりだった。

「これから御老公に代わりが見つかったと伝えに行く。いいな?」

「はい。あ、あの、父上。助三郎さまには…」

 一番の不安要素は許婚。
正体を知れば必ず反対する。仕事どころではなくなる。
 足手纏いになってしまう。

「心配するな。わしの親戚の『男』ということにしておく。その方が都合がいいだろ?」

「はい」

「では、行ってくる」

「言ってらっしゃいませ」

 早苗は父を見送ると、自身の覚悟を固めるために自室へと戻った。

作品名:雪割草 作家名:喜世