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宵の狐、暁の鸚鵡

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曇天に覆われた空に陽は見えない。
目に写るものはと言えば、今にも泣き出しそうな空と荒涼とした大地。焼け落ちた黄金色と青紫の両軍の旗――……綺麗に染め抜かれていた筈のそれはいまや血と泥にまみれ、地面に打ち捨てられて、砂埃と共に舞って、ばたばたと音をたてている。
広い広い戦場に何故そのように小さな旗が上げる悲鳴と、もの悲しい風の音だけが響き渡るのか。
戦場にあって其処は既に戦場ではなくなっていた。


本多忠勝は、軋む体に鞭を打ちながら周囲を見渡した。
はたして其処には地獄が広がっている。
凄惨な光景であった。
今まで多くの戦場を経験してきてはいたが、こんなにも静寂に満ち、敵味方関係ない死者を出した戦はあっただろうか。己以外に今、この場に立つ者が居ない。足下を見下ろすと徳川の黄金色の鎧に身を包んだ武者が、身を焼かれたのだろう。上半身を黒焦げにして死んでいた。その隣にも同じく身を焼かれ、苦しんだのか喉を押さえたままの格好で朽ち果てた石田軍の兵士もいる。

「………!!」

それもひとつふたつではない。
大地を多い尽くすかのように死体の山が地を埋め尽くして、忠勝は生きながらにして目の前に現れた地獄の景色に声ひとつ上げることも出来ず、慌ててその場から戦地へ再び足を踏み出した。

「!!!!」

周囲に転がる死体を誤って踏まぬように、忠勝は慎重になりながらも必死で徳川本陣へと駆ける。忠勝が今まで居たのは、戦場の中でも本陣からかなり場所の離れた所だった。本当なら背中に搭載した絡繰で飛行形態を取り、本陣まで飛べれば良かったのだが、故障してしまったのか。絡繰は忠勝の声に応えず、足を必死に動かし、本陣のある前方へ視線を投げると、其処もやはり此方と同じく静まり返っていた。戦火の音や人の雄叫びといったものがさっぱり聞こえてこない。聞こえてくるのは、風の音と焼けた物が崩れ落ちて倒れる音。
忠勝は、言い知れぬ恐怖に気が狂いそうだった。

風に乗って、ものの焦げた臭いが周囲に立ち込めている。
血の匂いより、むしろこの臭いの方が強く戦場に広がっていた。鼻がじぃんと痺れて、目眩がするほどの強烈な火薬の匂いにあちこちで未だ燻る戦火の焔。夢ならどんなにいいものか。地を覆う死体の山が、此処が戦場であるという生々しい現実を忠勝に突き付けてくる。
無人の大地に己が一人。

忠勝はこの現実をすぐには受け止めきれずにいた。
せめて誰かが傍に居てくれたら違っただろう。閧の声が上がっていてくれてたらまだ、気持ちがもう少しは落ち着いていられただろう。なのに此処には屍の山しかない。閧の声どころか嘆きの声さえ、此処には何もない。


徳川石田両軍の全滅。


「……!!」


意識を失うまでの記憶が、徐々に思い出されていく。
突然の第三勢力の乱入。
戦が始まると同時にその男は、まるで影のように戦場にぽつりと降り立った。それは誰も予期する筈がなかった異形の影。遠い昔にただ一度の邂逅を果たして、ふつりと消えた男に誰もがその男は死んだと囁いた。
しかし、男は生きていた。
己の欲望を叶えるため、一度降りた舞台にもう一度上がって、宝を欲する為に障壁となる何もかもを打ち壊して甦ったのだ。


――卿らの“宝“を貰いに来たよ。


闖入者の存在に忠勝が気付いた頃には、既に時遅し――……天下分け目の大戦に仕掛けられた奇襲を予測し得なかった両軍は、混乱の極みに陥り、呆気なく瓦解した。
忠勝も奇襲を予期できなかった一人だ。
戦国最強と称されながら、あっさり敵に背後を取られ、預けられた軍勢も陣地も何一つ守ることが出来なかった。

忠勝は声もなく、慟哭した。

これで何が徳川の守護神。肝心な時に何一つ守ることが出来ず、その上あの御方にまで害が及ぶようなことがあれば――、


「…………―――!!!!」


あの御方、
三河武士の誇り、
日ノ本の太陽、


この世で唯一人、唯一人の守るべき主。


「―――――………!!!!!」



地を走り続け、どれ程の時が過ぎただろう。
開けた土地の真ん中にそこだけ小高い丘がぽつりとある。その頂を見渡せば、ゆらりと揺らめく人影があった。

影法師が主君の頚を締め上げている。
主君の顔は見えない。
ただ、抵抗する力さえも奪われたその身体は影のなすまま、ぶらりぶらりと吊り上げられて、その姿を目に写しただけで、呼吸が詰まり、思考がぶれる。
男が嗤っている。広い広い戦場に男の高笑いはよく響いた。


男が何かを喋っている。


「!!」


次の瞬間、胸を裂く断末魔が関ヶ原の地へと響いた。
そして光を放つ男の手。
閃光を迸らせ――……いや、違う。
あれは男が燃やしたのだ。


なにを。
主を。


「!!!!!!!」


煌々と、轟々と、赤が主君を呑み込んでいく。


「!!!」


ぎぎぃ、と傷んだ体が軋んで厭な音を立てても、もう構わなかった。背中の鎧がばきりと砕けた音を立てても、後ろを振り向かなかった。

ただ、跳んで。跳んで。

間合いを一気に詰めた。燃え盛る焔の合間から、影法師が此方を眺める。忠勝を見た影法師は、うっそりと微笑んだ。そうして影法師は焔から手を離した。地面に崩れ落ちる主。
何かがこの時、忠勝の中で爆ぜた。
手に握る槍を握り直し、大きく振りかぶる。
そして、かの影法師へ槍を思いきり振り切った。
作品名:宵の狐、暁の鸚鵡 作家名:沙汰