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禁止事項は守りましょう

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6月のようなじめじめとした風が頬を撫でる。
決して気持ちの良いものではないがこの蒸し暑い締め切られた部屋での唯一自然を感じられるものだ。

「起きたか。326番」
「犬さん。おはようございます」
私を起こしにきた犬さん、こと犬士郎さん。
ふあ、とわざとらしく欠伸をしながら振り向くと湿気を逃がさない分厚い扉の向こう側から無機質なご飯が差し出された。
まるで犬の家。

「犬に飼われる犬……か」
「さっさと受け取れ。腕が痛い」
はいはい、とずっと座っていて重たい腰をよいしょと持ち上げる。
犬さんは受け取って私がご飯を食べ終わるまでずっとここにいるのだ。
「今日も見張りですか? 大変デスネ」

犬さんからの返答はなく、代わりにガチャンと普段あまり聞かない音が目の前で鳴る。
躊躇いもなくスタスタと私の領域に入ってくる犬さんは部屋の中をグルリと見回し私の方を向く。

「相変わらず何もしないな」
少しムッと頬を膨らませ服から手帳を取り出し「しちゃだめだって言ったの犬さんじゃないですか。禁止事項第十二条『服装、髪型を乱すな』十五条『派手なものを置かず必要最低限な物にとどめる』。それをちゃんと守っているだけですう」と禁止事項を読み上げる。
語尾を伸ばしてもみるがあまり似合うものではない。

「仕方ないだろう。お前が入ってきてあれこれ物を溢れかえるわ、風紀を乱すわで。本当に反省してるのか?」
「してますよ。だからこの髪飾り買ってきて下さい」
「懲罰房に突っ込むぞ」

おやまあ怖いよ。恐ろしい。私何も悪くないよ。

「風紀の確認ができたようですが、これ以上に何か? 何時もは終わったらすたこら行ってしまうのに」
「今日はできるだけ長い時間を監視してこいだということだ。目の前でのな」
「はあ、お暇なことで」
「噛むぞ」
そんなことせず遊びにでも行けば良いのに、と内心呟く。が、本人に言えば本当に噛みつかれるだろう。

ちなみに、この人の乱暴な言葉遣いはもとからのようだ。皆上手く騙されているけれど実際はかなり口は悪い。私も最初はひどく驚いた。噛む蹴る殴るぞ発言、独房に突っ込むぞなどの脅しなど……。きっと五舎のお猿さんより口が悪い。

「そんなことばっか言ってると、看守長にも嫌われますよ」
「! おまっ、そんなこと、何処で聞いた!」
顔を真っ赤にした犬さんが面白くて笑ってしまう。
これは勝てるかと思ったのも束の間。真っ赤になりながらも眉間にシワを入れ襟を掴まれそのまま押し倒されるものだからひどく頭と腰を打ちつけ可愛げもない声で喘ぐ。
「っ、はっ、何するんですか! 頭いったあ」
「お前があんなこと言うからだ。三鶴か、634番か」

正解は634番だ。というか空気で察したのを確定させたのが、だけど。

それよりもこの体勢から抜け出したくて無理だと分かるがぐっぐっと腰を跳ねさせたりよじったりするが見事に上で固められていて抜けることは出来なかった。

「分かってるならここまでしなくたって良いじゃないですか。離してクダサイ」

半ばヤケクソになり掴まれている襟を空いている両手でどうにかしてみようと試みても胸板を叩きまくってもビクともせず、むしろ手首を頭上で床にぬいつけられる。脚をバタバタとさせてみてもちゃぶ台にごんごんと数回当たっただけで、力つきてしまった。

犬さんはあああ、やめて。目を合わせないで。と叫んでしまいたくなるほどに視線を絡めてくる。
頭がぼおっとしてきて顔が腫れたように熱くパンパンになったような感覚になり、自分だけ息が荒くなり体が火照り顔が赤くなっていく。

「少し態度がでかくなってるな。たまに見にこないとこれか。またお灸をすえられたいか?」
いやいやと16にもなって子供のように首を横に振る。この人のお灸はよくきくのだ。数日は下手なことが出来なくなる。何回か体験したことがあり、思い出しただけでも震えるほどだ。

なんとか脱出しなければ……!と思いちら、と扉の方に目を向け、「……あっ!看守長様!」と叫ぶ。

「なっ!」驚きで力が抜け視線が外れたそのときにバッと突き飛ばし抜ける。
「やった! 看守長なんて嘘ですう。尻尾を振りすぎると変なところにまで噂が回りますよ〜?」

はあ、と大きなため息をつきやっぱり赤くなって大きな手で顔を覆う。その間からは図体に似合わない潤んだ瞳が覗く。
ああ、綺麗だな、けれどその瞳は私を映してくれないのか。などと傷心に浸る。

犬さんは立ち上がり「また来るからな。その時は気をつけろ」とすれ違いに私の頭に大きな手で撫でるようにポンポンとする。
瞳は私を映したがさっきの恋い焦がれる瞳とは全く違う。一人の人間として、仕事上の人としての目で映す。

分厚い扉が開かれ少し乾いた空気がさっと流れ込む。
それもガチャンという音で遮られしばらくの間コツコツと靴音が響き遠くに行けば行くほどその音はコオーンコーンと壮大なものとなる。
まるで片思いのようだ。近くにいるときはコツコツ淡々と短い浅い時間で済まされ熱が帯び、短い時間を一人またたそがれる時間は長く寂しく、段々と広がりこの無機質な部屋を包む。


手帳をまた取り出しパラパラとめくり最後の禁止事項第百三六条目の下に新しく第百三七条と書き、『恋愛禁止!!』と書き殴る。
これはけじめだ。あの人が看守長を想い看守長もあの人を想うその時まで私がすぐ隣にいればいいのだ。
手のかかる囚人でいれば、その時までは隣に立つ唯一の女なのだから。
ああ、こんな苦しい思いをするなら主任なんかさっさとくっついてしまえ。ずっと尻尾振って夫婦円満で暮らして私のことなんか忘れてしまえ。




「犬は桃太郎の後ろにつくものなんだからーーーー」
一人ポツンと呟いた言葉は部屋に少しこだまして風に吹かれ消えた。
作品名:禁止事項は守りましょう 作家名:皐月屋