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空跳ぶカエル
空跳ぶカエル
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わたしは明日、明日のあなたとデートする

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 カウンターに十人ほど座れば満員になってしまうような小さな店だった。若い夫婦二人だけでやっている。思えば、今夜はあまり誰かと話したいような気分ではなかったので、もっと大きな店で飲んでいれば良かったのかも。平日の夜ということもあるだろうけど、よりによって客が私一人というのも間が悪い。
「いつまでこちらにいはるんですか?」
 めげずに奥さんが話しかけてきた。今度はちゃんと会話しよう、と思うのだが、
「さあ?」
 ダメだ。精一杯笑顔を作っているつもりなのだが。まあ今の質問は私にも答えようがないのだけど。
 さすがに奥さんも、私の話しかけて欲しくない空気を悟ったらしい。
 にこやかな表情は崩さないが、この客は好きに飲ませておこう、と決めたようだ。
 店主夫婦が話しかけてくれなくなったので、勝手なもので寂しくなった私は、ふと地図を買っていたことを思い出してバッグを探った。
 京都の市街地図を出して広げてみた。明日(昨日)はどこに行こう。
 丹波橋の高寿のアパートには行ってみたいな。そんなに古いアパートでもなかったから今はまだないかもしれないけど、どんな様子なのか見てみたい。高寿の大学も行ってみたい。特に裏山の貯水槽。それからもちろん宝ヶ池にも。枚方にも行ってみよう。高寿のお祖父さんがやっている自転車屋さんが同じ場所にあるはずだ。
 私はマーカーペンで行きたい場所に丸印をつけていった。枚方は京都の市街地図には載ってないので、地図の余白に「枚方」と書いた。
 なんか私、まるっきり観光客だな、と自嘲気味に思った。息子に遺言まで残して、決意してこちらに来たのに、それもどうやら歴史の大きな流れの中では一人のちっぽけな人間の「定められた行動」に過ぎず、任務が終わった私は地図を広げて観光名所に印を付けている。
 そのとき、頬を涙が伝うのがわかった。自分では泣いてるつもりはなかったのだが、涙が勝手に瞼を乗り越えているようだ。酔っているせいだろうか。視界の隅で奥さんが気遣わしげな表情で私を伺っているのが見えた。

 その時。
 視界が歪んだ。最初は何が起きているのかわからなかった。日本酒一合くらいでこんなに酔うなんて、と思ったくらいだ。
 歪んだ店内の光景に知らない別の景色が重なって見えることに気づいたとき、私は何が起きたのか悟った。「調整」だ。でもまだ前の「調整」から六時間くらいしか経っていない。こんなに早く来るなんて信じられないけど、この現象は「調整」それも二十歳の時に高寿と最初に会った日の(高寿にとっては最後の日の)「不安定な調整」そのもののように思えた。
 店主夫婦が目を大きく見開き、凍り付いたように動きを止めたまま私を見つめている。その顔と繁華街らしい夜の街を行き交う人々の顔が重なった。不意に繁華街の光景が消えて真っ暗な光景が現れた。居酒屋の狭い天井に満月が見える。カウンターの下に満月の光を反射しながら揺らぐ川が見えた。
 徐々に居酒屋の光景が薄くなっていくのがわかった。その時、私が考えたことは滑稽にも、「このままだと無銭飲食になってしまう」ということだった。私は消えてしまう前にせめてお金を払おうと、バッグを掴んで立ち上がった。すると今まで固まっていた店主夫婦がはっきり恐怖の色を顔に浮かべて後ずさった。奥さんは奥の棚に背中でぶつかり、鍋や食器類が音を立てて厨房の床に落ちた。
 次の瞬間、居酒屋の店内の光景が私の視界から消えた。
 気がつくと私はアーケード街の真ん中に立っていた。深夜らしくほとんどの店はシャッターが降りていた。人は遠くの方に何人か見えるだけだった。
 気配を感じて左を向くと、カフェらしい店があった。もう閉店したらしく店内には掃除をしていたらしいウエイトレスが一人いるだけだった。彼女は目を大きく見開いて口に手を当てていた。ガラスに映り込んでいる私の姿を見てその理由がわかった。
 私の姿は半透明になっていて、私の紺色のワンピースから背後の店のシャッターが透けて見えた。さっきの居酒屋でも、店主夫婦には私が透けて見えたのだろう。叫びだしそうな彼女の姿も薄くなり、暗闇に融けるように見えなくなっていった。
 自分の居場所が目まぐるしく変わるのに意識がついていけなくなりつつあった。頭痛と吐き気が徐々に増していた。心底怖い、と思った。

 私の視界が暗闇となり、不安に駆られて周囲を見回すと、遠くにビルらしい灯りが見えた。すぐに目が慣れてきて、今が深夜ではなく薄暮時か夜明け前くらいの時間帯だということがわかった。そして私は大きな池の畔に立つ東屋の中にいるらしい。ここは見覚えがある場所だ。すぐにあの宝ヶ池の東屋だとわかった。
 ふと人の気配を感じて後ろを振り向くと、ほんの十歩ほどの距離に恐怖に顔を歪めた少年が立っていた。思わず彼に助けて、と言ったときには彼の姿も消えていた。
 彼の片頬に浮かんだケロイド状の火傷の跡だけが目に残った。
 気がつくと私は、今度は暗闇の中に立っていた。頭痛と吐き気と恐怖で立っているのも辛かった。
 その時遠くで甲高い音が鋭く鳴った。音がした方向を見ると明るい光源がこちらに近づいてくるのが見えた。
 警笛の音が頭に響いた。まるで丸太で頭をガンガン殴られているようで、私は耳を抑えてその場にしゃがみこんだ。その時、私は線路の真ん中にいることがわかった。鋭い音は警笛で、どうやら電車がこちらに近づいているらしい、と頭では理解できたが身体は動かなかった。
 電車は甲高いブレーキ音を響かせながら突進してきた。その甲高いブレーキ音が私の頭を苛んだ。もうしゃがんでいることすら辛かった。
 耳を塞いでその場に崩れ落ちながら、私は接近してくる電車を見ていた。薄暗い車内照明の中にいる、必死の形相の運転手の顔まで見えた。
 結果はどうあれ後悔はしない、と高志に言った自分の言葉を思い出した。
 そうだ。後悔はしない。結果は多少不本意だけど、それは仕方ないと最初に覚悟したはずだ。でも後悔はしないけど、やっぱり高寿に会いたかったな、とも思った。
 私が崩れ落ちるのと同時に、電車がほとんどスピードを緩めないまま、私の頭上に覆い被さってきた。

 そしてすべてが暗闇となった。