敵中横断二九六千光年4 南アラブの羊
ドレイクの方程式
「……というわけです」
と藪は言った。甲板上の特設パーティ会場だ。カクテルグラスの中の酒をひとくち飲んで、
「全然浮かれる気になれない……」
ため息をついた。場を囲んで話を聞いていた者達が苦笑する。
ひとりが言った。「両親揃って降伏論者か。冥王星をやったってのに考えを変えたわけじゃないんだな」
「変えるわけもないんじゃないすか」
「まあねえ。けど、アンドロメダ?」
「アンドロメダ」藪は言った。「『〈イスカンダル〉はそこにあると聞いたけれど本当か』って」
「なんて応えたの」
「だから、『機密だ。言えない』ですよ。そしたら、『やっぱりそうなんだなあ!』」
「そう思わせておけばいいじゃん」
「まあそうなんですけどね」
言ってギョウザを手に取り、食べた。地球では〈ヤマト〉が行くのはマゼランだという話が漏れて広がっているらしい。けれどもそれを信じる者はほとんどおらず、真に受けるのは自分の両親みたいなのだが、しかし歪めて受け止める。
交信のときに父は言った。『アンドロメダというのはお前、二百光年先なんだぞ。ワープで行って戻ってくると、〈ウラシマ効果〉で地球では二百年が経っているんだ。つまり、お前は一年で地球に戻ってこれんのだ。偉い先生がそう言っている。わかったらすぐガミラスに降伏しろ。今ならまだ間に合うから!』
『父さん』と藪は応えて言った。『アンドロメダまで〈二百〉じゃなくて二百万光年だよ』
『やっぱりそうなんだなあ! アンドロメダまでお前は行こうとしてるんだな! このバカもんがあっ!』
すべてこの調子だ。藪の親は元々マルチ商法だとか創造論とかいったものにすぐ騙される者ではあったが、地下都市に住むようになってからいよいよおかしくなっていった。今ではもう完全に、人の言うことをちゃんと聞かない。自分の見たいことだけを見て、信じたいように世界を歪める。アポロは月に行っていない。異星人は存在しない。天の河銀河の中には地球しか知的生命はいないのだ。
なぜなら、〈ドレイクの方程式〉でそうなっているからだ。だからガミラスは冥王星で地球を守る地球人類の同族であり、イスカンダルはアンドロメダから地球を侵略にやってきた悪い宇宙人に違いないのだと、藪の父親は得々とテレビ電話の画面で言った。
「うーん、なかなかそこまで行くと……」
「手の施しようがないでしょ」藪は言った。「けど、マトモな人間だって、どの程度ウチの親と違うんだろう」
〈ドレイクの方程式〉か、と思う。そんなもの正しく理解できないという点では地球の大抵の市民はおれの親と変わらぬはずだ。ウラシマ効果にしても同じ。たぶん、大半の人々は、『アンドロメダまで二百光年でマゼランより近い』と言われりゃ『そうか』と簡単に頷いてしまう。
その一方で波動砲に冥王星を一撃に吹き飛ばす力があると聞いたなら、『なら、十発も撃ったなら宇宙のすべてを引き裂いてしまうに違いない』なんてなことを言い出したりする。冥王星が壊せるんなら、十発で、宇宙が全部壊せる計算じゃないですか。ああ、恐ろしい、恐ろしい。人はなんというものを、造り出してしまったんだあ。
なんてなことを言って本気で信じたりする。普通の人は宇宙に赤道があるのを知らない。マゼランが天の南極にあることも。それが天の川銀河の周りを回る子供銀河であることも。
十四万八千光年もの距離から地球の危機をどのようにして知ったというのか。なぜ波動エンジンの造り方は教えるけれどコスモクリーナーの造り方は教えない、欲しけりゃ船一隻で取りに来いなどというのか……そんな疑問を並べても決して深く考えはしない。『それはきっと地球を試しているのだろう』とひとこと言っておしまいにする。
そんな答で納得ができる人間は薄らバカだ。
藪にはそうとしか思えなかった。そうだがしかし――とも思う。おれの両親は狂っているが、それでもひとつ、正しいことを言っていたのじゃないか。
もちろん、意味は違うにしてもだ。この話には裏がある。〈イスカンダル〉を信じれば、何か恐ろしい罠にはまる、と――その考えは正しく思える。
〈コスモクリーナー〉はナノマシンであるという。それをタダで欲しいかと言われて『ハイ』と頷けば、自分がそのちっぽけな機械にされてしまうとか……。
またギョウザをひとつ食べ、それを焼いてる場の方へと眼を向けた。主砲の第一砲塔まわりに卓が並べ据えられて、戦闘機のパイロットだとわかる黒服の者達がホットプレートに向かって手を動かしている。うちひとりに眼が止まった。
「古代一尉か」
と言った。いつか、左舷展望室で見た男だ。あのときは、何も知らずに『あんなのがどうしてここにいるんだろう』と感じただけだったけれど――。
「やっぱり〈主役〉って感じだよな」
いま見直して、自分などとは違う人間なのだとわかる。エプロン着けてギョウザを焼いてるだけだというのに、居るだけで、『何があっても心配すんな、おれがなんとかしてやらあ』、なんてなオーラを発しているかのようだ。
しかし先輩のひとりが言った。「何言ってんだよ。お前だって〈スタンレー〉ではよくやったじゃないか」
「かもしれませんけどね」
言ってまた航空隊の長を見る。冥王星で〈ヤマト〉のエンジンはおれの親父の望み通りに止まりかけた。それを防いだのは誰よりもこのおれなのかもしれない。
けれど、やっぱりあの人とおれじゃ全然違うだろう。古代一尉は華形(はながた)でおれは裏方。きっと、どこまでいったところで――考えながらカクテルを飲む。〈シンガポール・スリング〉というらしい。悪酔いのしそうな味だなと藪は思った。
作品名:敵中横断二九六千光年4 南アラブの羊 作家名:島田信之