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敵中横断二九六千光年4 南アラブの羊

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ラッフルズ・スタイル



「いいかな笹恵(ささえ)。それに舛男(ますお)君。確かにわしらは敵に勝った」

通信室で〈ヤマト〉機関長の徳川彦左衛門は言った。向かっている画面には彼の娘とその夫が映っている。

「しかし喜ぶのは早い。むしろ今は気を引き締めねばらならんときなのだ。わしらはまだ赤道の敵に打ち勝ったに過ぎんのだから」

『セキドー?』

とササエさん。徳川は酒を何杯も飲んでいて、自分が言ってはいけないことを話しているのに気づいていない。「ウム」と力強く頷いて、

「そうだ、赤道だ。笹恵、お前は〈シンガポール・スリング〉という酒を知っているか。舛男君、君はどうだ」

『はあ、いえ……』

とマスオ君。義父がこんな調子のときはとにかく逆らわないことだと身に知っている顔である。どうせこの交信は三分間に制限されて、それが過ぎたらこの老人が帰るまで絡み酒の相手をしなくていいのだ。

徳川は言った。「そうか、では教えてやろう。〈シンガポール・スリング〉とは、ジンと、ええと、なんとかと、なんとかとをなんとかしたのを炭酸で割ったカクテルだ。だが本当の〈シンガポール・スリング〉は、実はそのような酒ではなかった。オリジナルのレシピでは、炭酸でなくパイナップルのジュースで割るのだ。それは〈ラッフルズ・スタイル〉と呼ばれる」

『はあ』

「〈ラッフルズ〉とはシンガポールをマライから奪い取った男の名前だ。ニューヨークのマンハッタンをインディアンから騙し取ったオランダ人と同じことをマライでやった。ごく一部の先住民を取り立てて、残りの99パーセントを奴隷にする。そうして絞った甘い汁で酒を割り、白人だけが泊まれるホテルで白人だけが飲んでいたのがラッフルズ・スタイルのシンガポール・スリングなのだ。舛男君、わかるか」

『はあ……いえ、すみません。ボクには船のエンジンのことは……』

「猿人。そうだ。かつてヨーロッパの白人は、有色人種を猿と同じだと考えていた。未開の地の先住民に魂はない。神が自分らの奴隷にするため、はびこらせておいたものだと……そんな理屈でラッフルズは自分の行為を正当化し、暴虐の限りを尽くした。マレー人を鞭打ち死ぬまで働かせながら、劣等種族に良くしてやってる気でさえいたのだ。当然ながら日本のことも、自分の造った港から海を北東に行ったところに猿人の国があるとしか思っていなかった。せっかく奴隷貿易で儲けさせてやろうと言っているのに、話を聞かないトクガワという男がいる。許せん。いつか成敗してやると、そう言ってな……」

『はあ。ええと、今からでもボクに徳川の姓を名乗れということでしたら……』

「舛男君。かつて昭和の戦争で、日本はシンガポールを落とした。ラッフルズの像を倒し、〈昭南島(しょうなんじま)〉と改名させた。しかしそれは日本が犯した大きな間違いだったのだ」

『今の名前でいいということ?』

「その通りだ。つまりわしがいま何を君に言いたいかと言うとだな」

言ったところに娘の笹恵が、

『アッ、愛子です。愛子が来ましたよ、お父さん!』

叫んだ。そして、『おじいちゃん!』と言う声とともに、三歳ばかりの女の子が画面の中に入ってくる。

「おお! 愛子!」

徳川は叫んだ。同時に、交信終了まであと十秒を報せるサインが表れる。

「愛子! 愛子!」

『おじいちゃん!』

交信終了まで九、八、七……。

「愛子! 待っとれ。必ずだ。必ずわしはお前のためにマゼランへ行って戻ってくるからな!」

『おじいちゃん!』

と孫娘。徳川は画面に張り付き、その顔に頬ずりせんばかりにした。ガラス越しに対面しているわけではないのだから、そんなことをするとカメラの写界から外れて向こうの画面には映らなくなってしまうのだが、そんなことにも気づかぬようすだ。

「愛子ーっ!」

と徳川はまた叫んだ。交信終了まで四、三、二……。

『マゼラン?』

と笹恵が言った。しかし徳川はオウオウと声を張り上げて泣くばかりで、彼女の声は耳に入っていなかった。

交信終了。真っ黒になった画面の前で、しばらくの間、徳川は泣き声を上げ続けていた。