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GLIM NOSTALGIA

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 幾分真面目な顔になって身を乗り出したマスタングの方に、去ろうとしていた少年――鋼の錬金術師が、逆にとん、と踏み込んできた。咄嗟に「大佐」ともあろう者がその予測のつかない動きに目を瞠る。
 そして、
「…!」
 素早い動きで鋼の手が年上の男の胸倉を捕らえ、生身の手がその頬に当てられ、目を瞠ったままのマスタングの唇に少年の唇が一瞬だけ重なった。
「………」
 唖然として動きを止める男からさっと離れて、少年はたっと軽い動きで走っていく。
「じゃーな!」
 そんな風に捨て台詞を残して。
「……………」
 マスタングは唖然とした顔で遠くなっていく赤い背中を見送る。宵闇はすぐにその赤い点を隠してしまった。
 ゆっくりと手で口を押さえ、ほんの少し乱れてしまった襟元を直しつつ、彼は小さく呟いた。
「…驚いた…」
 芸も素っ気もない言葉だったが、それだけに、彼が受けた衝撃を物語っていたといえるだろう。


 舞台ではしずしずと重い緞帳が上がっていく。客席からは割れんばかりの拍手が起こる。「奇跡の歌声」と謳われる歌姫の舞台に人々の興奮は高まるばかりである。
 幕が完全に上がりきった時、歌姫は舞台中央に膝を折って頭を垂れていた。両手をしっかりと組んで、それはまるで祈りを捧げているような敬虔な姿勢だった。
 ざわめきが水を打ったように静まり返る。
 その中でゆっくりと彼女は顔をあげ、そして、緑がかった胡桃色の瞳を開けると、観客席の奥までも真っ直ぐに見た。そうしてもう一度丁寧な、淑女の礼。
 彼女は一度息を吸い込んで、それからぎこちなく微笑んだ。緊張しているのだろう。これだけの大舞台だ。
 だが、怯むことなく、彼女は淡く染まった唇を開いた。
 舞台下のオーケストラボックスで指揮者が構えを取るのが見える。
「……おめでとう、?歌の娘?」
 階段状になった観客席の一番奥、壁に寄りかかっていた端正な男は、音のない声でそう捧げ、目を閉じた。
 まだ心は平静とは程遠かった。先ほどの少年の行動が鮮明すぎて。咄嗟に腕を伸ばして抱きしめて、深く口付けたい衝動が沸いたことを彼はきっと知るまい。そんな情動を自分にもたらしたなどきっと気づいていないのだと思うと、彼は腹立たしくさえ思ったものだ。人の気も知らないで、と。大人をからかって、と…。
 だが追いかけて、そうして、衝動の示すままに行動するなど、とても出来るものではなかった。そんなことをしても誰も喜ばない。動揺したままもう一度ホールに戻ってしまったのには、そんな理由もあった。驚きが深すぎて、行動を考えられなかったというのもある。
 しかし…。
 そんな混乱極まりない状態の彼の耳に美しい旋律が飛び込んできた瞬間、男は、呆然と目を見開いた。この曲は、と思わず呟いていた。
 
 そして、彼の脳裏では、まだ記憶に新しい数ヶ月前の出来事が鮮やかに蘇ってきていた。
 それは雪解けを待つ北の小さな町で出会った物語だった。


作品名:GLIM NOSTALGIA 作家名:スサ