リドル・メーカー
人は十五歳の時たくさんいろいろな事を考える、と。
けれど雲雀恭弥は考えなかった。
物心着いたときから彼に両親がいなかったことも、おそらくは祖父にあたる老人との山暮らしの理由も。義務教育の内容を年齡が一桁の内に修得することを要求された理由、サバイバルなんて字面では現しきれないほど過酷な生活を強いられた理由も、雲雀は考えたことなどなかった。
何故なら彼はそれらの事象の価値を正しく把握していた。
両親がいないことを考えるのは今更無意味。義務教育を早く修得したことで時間を得た。この時間で法律を網羅し社会を効率よく利用する方法を探しだす。過酷な生活は自分の身体機能をどこまでも高めてくれる。
雲雀は老人の死によって生まれた財産の起源についても考えはしなかった。否。それは正しくない。老人に遺産は存在しなかった。生前老人の名義であったろう財産のことごとくが雲雀の名義に書き換えられていたこと、その中にけして小さくはない広さの土地があった理由にも、興味がなかった。彼はただ自分の視点から価値をつけていくだけだった。
だって、考えて何になる?
考えれば、きっと人生における問題の殆どを発見するだろう。世界をきっと「?」で埋め尽くせるだろう。
けれどそんなこともうとっくに他の人間が行っている。答えなんてもうごまんとある。その時の気分次第で望み通りの答えを探しだせるほどに。
考えるだけ無駄だ。
生まれてから15回目の春にはすでに雲雀はそう結論を下していた。自分がしたいこと、それを行える能力だけを持っていた彼はシンプルで身軽だった。好き、嫌いで世界を二分することを躊躇わなかった。思い悩むことを知らなかった。
どこまでも飛んでいける鳥のように彼は憂いなど無かった。
15回目の春が過ぎ夏がきて秋が訪れるまで。
彼の、その持論は打ち砕かれる事がなかった。
誰かがこんなことを言った。
人は十五歳の時たくさんいろいろな事を考える。そして人生の問題を殆ど発見する。
その後は、それに慣れて、そして――――。
格言か名言か。言ったのは誰だったのか。覚えてなどいないがもし目の前にそいつが現れて、再び同じことを言ったなら。己はさて、どうするだろうかと雲雀は思いを馳せる。
彼は考えることを覚えてしまったので、答えを出せた。
10年前の15の雲雀恭弥であったなら、その不吉な預言者を地に沈めただろう。
一体どんな心情でいったのかは知らないが、その言葉は雲雀恭弥にとって予言だった。天気予報よりも大当たりだった。ちくしょう今思い返しても忌々しい!
では、今の己はと言うと、やはり同じようにするだろう。するしかない。
何故なら雲雀恭弥は、10年前、自分の世界を疑問符で埋め尽くしてしまう存在と出会ってしまった。
そして出会ってからむこう10年。それまで考えてこなかったことへのしっぺ返しが来たように、どっかの誰かが言ったように、大量のクエスチョンマークを脳内で生産する破目に陥ってしまったのだ。その量は生半可ではなく、疑問をひとつ解消するたびに眩暈がした。自分はこのはてなの大群によって脳死するのかと唇を幾度もかんだのだ。
それでも、雲雀はわかっていた。この脳内を埋め尽くす疑問が全て解決したならば、きっと再び己は元通りになる、シンプルな、悩みひとつない己に戻るだろう。
何事にも結局は影響されない、という己の価値を、浮雲の性を、彼は言われるまでもなくわかっていた。
だから10年間。雲雀はひたすら自分を悩ませている存在を時々小突き回してきた。二度と会わなかったとしてもうまれてしまった問題は解消されない。いっそどこまで己を考えさせることができるのか試してもみたかった。いやなことはさっさと済ませたいので傍にいたのだ。
その努力があったからなのか、雲雀恭弥の中の「?」は徐々に徐々に減っていった。
15歳の時発見した、問題の群れを見つけては咬んで咀嚼しを殆ど発見し終えた。答えを見つけることができた。だからあと、あと少しなのだ。
あと少しで、全部の疑問が消えて、もう二度と雲雀は何事も考えなくて済む日々がやってくる。
なのに雲雀はたった一つ、どうしても解消できない答えがある。
何故、なぜ。
沢田綱吉を見ると、咬んで殴って引き裂いて突き飛ばして抱きしめて首を絞めてキスをしたくなるのか。
何度考えても答えが出ない。
答えが出せないから、雲雀は沢田綱吉の傍に今もいるのだ。
――人は十五歳の時たくさんいろいろな事を考える。そして人生の問題を殆ど発見する。
その後は、それに慣れて、だんだんにそれを忘れていく。――シャドンヌ