一年前から出来レース
「・・・それはまた、どうして?」
その日、臨也は、無理矢理作ったと言っても良いどうしようもない理由で、宿敵のいる池袋の街に降り立った。帝人に会いたくなった。
狙い通り紀田と園原杏里といつもの三叉路で別れた帝人を捕獲して、近くのスタバに引きずり込んだところまでは良かった。いつものコースにいつもの捕獲方法。「暇なんですか?」と嘲る帝人の視線にさえ堪えられれば、臨也にとってそれは至福の時間に他ならない。
ところが今日は帝人の様子が違った。
臨也が一方的にまくしたてるのは、それもまたいつものことで、帝人がそれに対しての反応を「へぇ」「そうですか」に絞っているのも、つまらないとは思いながら、臨也は納得してはいた。何度も言うがそれがいつものことなのだ。
だから珍しくも話の途中で「臨也さんは、」と話の腰を折った帝人の態度が気になった。買い与えたソイラテはまだ半分も飲み干していないのに、飽きてしまったのかストローの先がぐちゃぐちゃに噛み潰されている。
帝人がもう一度「臨也さんは、」と口を開く。カフェオレ飽きちゃったから帝人くんのソイラテ頂戴、と開こうとした臨也の口は、相反するようにゆっくりと言葉を殺した。
「臨也さんは、なにがしたいんですか?」
「・・・なにって?」
「臨也さんといると、どうしたいんですか、なんて愚問を人に投げかけたくなります」
「・・・それはまた、どうして?」
「・・・自分で考えてください」
少しばかり臨也へと向いていた帝人の意識は、どうやら選択を間違えたようで、また窓の外を走る車や人ごみに向いてしまった。
なにがしたいのかと問われれば帝人くんと話がしたいんだよ、で済んでしまうその会話を、繋げようとして失敗した。どうしたいんですかなんて聞かれても、臨也の手持ちでは上手い答えが出せない。
どうしたいのか。上手い手だと思う。求められているのは結果で、理由ではない。自分が動いたことで、僕にどんな反応を返して欲しいんですか。僕にはなにを望んでるんですか。暗にそう言った帝人の攻撃を、臨也は逃げるようにして茶化した。そうするしかなかった。けれどそんなことは関係なく、恐らく今日はもう、帝人の機嫌は直らない。
(でもだって、正直抱きたいとか言っても、引くでしょ)
しかも100%、どうぞ、なんて答えてくれはしないだろう。そんなことがあれば自分はこんなに苦労してはいない。
こうして何度も帝人をお茶に誘ったり、食事に誘ったり、はたまた情報を与えたりしてきたその理由が、まさか君を抱きたいからさ!なんて言えるわけがない。帝人を絆す、そのための仕掛けだなんて絶対に知られてはならない。そんなことがあれば完全に臨也の『負け』だ。
(・・・・・どうしようかな)
正直困ってしまった。何を言えば良いのか、いつもは意識しなくとも雄弁に語る己の口が、今日に限って、・・・いや、今この時に限って、ぷっつりと黙り込んでしまっている。
虚ろに外の景色を見ている帝人の視線はもう自分には戻らない。それが臨也を焦らせる。だって多分帝人はもう、気付いているのだ。
「・・・帝人くんは、どうしたいの」
「なにがですか」
「俺にそんなこと聞いて、どうしたいの」
「さぁ」
「・・・・・」
「臨也さん次第です、そんなの」
だってどうせ帰らせてはくれないんでしょう。だったら僕には臨也さんの答えを待つしかないです。僕帰りたいんです。家に帰って寝たいんです。それが僕のしたいことです。どんなことを言われたって、僕にはそれが一番です。
「でもそれを選べないから、臨也さんの言葉を待ってるんです。それを茶化して何になるんですか」
「・・・ごめんなさい」
「謝って済むなら警察はいらないんですよ、知ってますか」
「・・・うん、ごめんなさい」
「謝るくらいなら答えてください。早く。早く早く早く。あと3分で」
臨也さんは、どうしたいんですか。
もう一度、最後通告を告げるかのように帝人が口を開く。実際臨也にとってそれは、最後通告といっても過言ではなかった。だってこんなに、追い詰められている。
長い間回りくどい行動でごまかしてきたことを、帝人はとっくに見抜いてしまっている。欲求の意味を求めている。臨也がそれに気付いた時点もう、この賭けに臨也の勝ちはなかった。
臨也が沈黙して手持ち無沙汰になった帝人が、ぐちゃぐちゃに噛み潰したストローでソイラテを飲む。もうそれ吸えないでしょと小さく笑うと、そうですねと帝人が答えた。じゃあもうそれいらないよね、と帝人の手からソイラテを奪って、ついでに薬指にキスをする。虚ろな目がゆっくりと臨也を捕らえた。今しかなかった。
「帝人くん、」
俺を、好きになってください。
告げるつもりはなかった。告げれば臨也の負けだった。好きだ、キスしたい、セックスしたいだなんて、自分が告げなくても、流れや雰囲気で彼が受け入れてくれれば、それは成立する。
臨也にとっての『勝ち』はそれだった。
自分より相手の方が恋をしている、その関係性でもって、帝人を抱きたかった。そのために用意された仕掛けで、臨也は賭けに出た。けれど、いつだって相手より有利な立場でいたい。臨也がそういう男であることを、見抜いた時点で帝人の勝ちだった。今まで甘んじて臨也の誘いに乗っていたのは、それもまた、帝人にとっての賭けだったのだろう。
(帝人くんは、俺が思ってるよりずっと、頭がいい)
そして帝人から見た自分は、多分思ってたよりずっと頭の悪い男であったはずだ。気付かれていることを前提で今までの自分の行動を見直すと、信じられないほど必死で恥ずかしかった。それはもう死ぬほど。消し去れるものならいくら払ってもいい。
「帝人くん」
「はい」
「帝人くんは、それで、どうしたい?」
羞恥心をごまかすように、もう一度あの問いかけをしてみる。先ほど臨也さん次第です、と言った彼の、今の反応が気になった。
本心を告げたことで、臨也はまた、新たな賭けを始めた気になっていた。
「・・・そうですね、僕は、」
一瞬の間のあと、すこし言いよどんだ帝人の視線は既に臨也から外れていて、ソイラテは彼の手に取り戻されている。ぐちゃぐちゃになったストローを遂に蓋ごと外して中身を一気飲みした帝人が、すぐ横にあるゴミ箱に紙コップを投げ捨てながら、静かな声で答えを出した。
「僕はやっぱり、帰りたいです」
バックを手に席を立ち上がった帝人は、今まで臨也が見たこともない様な綺麗な顔で笑っていた。開放されたことへの喜びを溢れんばかりに撒き散らして、ソイラテご馳走様でした、ともう一度小さく笑う。
臨也はその顔を見ながら、(機嫌)(直ったのかな)なんて、どこが他人事のように考えていた。
始まってから2分の賭けは、やはり臨也の負けだった。
作品名:一年前から出来レース 作家名:キリカ