永遠
「土方さん……」
「しおらしい顔なんて、お前らしくもねぇ」
土方は気づかれぬよう息をつき、そこに座れよと、腕を誘った。もう何度も繰り返してきた、ふたりの日常だ。誘われるまま膝をつき、むかいあう姿勢で座り込んだ総司は、強張った表情を穏やかな笑顔へ変える。腐れ縁と悪態をつく間柄ゆえ、本人に告げたことなどなかったけれど、総司のこの顔が、土方は好きだった。
静かな笑みを浮かべ、総司は土方の向かいに座っている。緊張感のないくつろいだ姿勢も、じゃれつくように重ねられる手も、なにもかも変わっていない。
けれど彼から伝わる気配は、かつてが陽とするなら、今は暗い陰だ。
だってそうではないか。総司は笑うとき、眉を顰めたりしなかった。笑いが引っ込んだ瞬間、泣き出しそうな顔をすることだってなかった。こんなに……、肌が冷たくもなかった。
夜な夜な総司が部屋を訪れるのを、当たり前のこととして受け入れるようになってから、もう、十数日になる。おかしな病状が出たのは、池田屋に討入りした、すぐ後の事だった。
あの日総司は血を吐き、倒れた。あたりに散った血飛沫に、斬られたのかと一瞬肝が冷えたが、命に別状はないと町医者から告げられ、土方はほっと安堵の息をついた。
見立てに間違いはなく、やがて総司の顔色は回復し、隊務にあけくれるようになるまで、さほど時間はかからなかった。ただ、倒れたあの日から、総司に不自然な行動がちらちら見え隠れするようになった。
食欲がないとぼやき、代わりにやたら湯飲みに手を伸ばす。いくら飲んでも喉の渇きが癒えないのだと言う。食事が喉を通らないなら、と、用事ついでに土産を買い、部屋に呼んでもみたが、ひとめで菓子とわかる可愛らしい包みにも、まるで関心を示さない。
総司以外の隊士であるなら、さもありなんと思えるが、妓相手に駄菓子を買いに走るような、あきれた嗜好を持つ男なのである。どう考えてもおかしかった。
何か変だということは総司も感じているらしく、しきりに首を傾げている。けれど本人にもわからないものを、土方がわかろうはずもない。
どうしようもないまま時が過ぎたある日、また、総司は倒れた。再度受けた診断は、今まで耳にしたことのない、奇妙なものだった。
総司の身体を蝕んでいるのは、治す薬すらない奇病だった。血流が鈍り、体温が下がり、やがて心臓が止まる。ものを口にせずとも命に関わることはないが、飢餓感は絶えず続き、生き血を吸えば飢えは和らぐが、今度は吸われた者に、奇病は伝染する。
打ち明けられたとき、土方は無言で頷き、みずから衿をくつろげた。ああ、血を求めてよばれたのだと、そう思った。けれど総司に嘆願されたのは、即物的な「血」ではなかった。
「触れたい……」
ずっと前から想いを抱えていたと、掠れた声で告げ、肩を引き寄せられる。抱きしめられ、息遣いさえ聞こえる距離まで近づいて、土方はふと、拘束してくる腕が震えているのに気づいた。
こんなに切羽詰った総司の顔など、今まで一回だって見た事はなかった。今はまだ、総司の身体はあたたかい。けれどやがてその熱も、なくなってしまうというのか。
震えの解けない腕を撫でてやると、土方も総司の背に腕を回し、小さく頷く。
触れたいというなら触れればいい。真っ先に求めてくれるのが自分であることが、嬉しかった。
「ごめんね」
「……何で謝るんだ」
「病を触れるダシにしたら、土方さんは断れないでしょう」
土方に肯定されたことで幾分落ち着いたのか、総司の声にくすりと苦笑が混じる。いつもの調子に戻った総司に安堵し、土方からも力が抜けていく。そのまま身体を預けてしまおうかと思ったが、当たっているようで外れてもいる総司の言葉を訂正すべく、顔を上げた。
「それが理由なら、謝る必要なんかねぇ」
総司の向けてくれた想いを、土方は知っていた。わからないはずがなかった。何かと理由をつけては触れてくるし、視線を感じて振り返れば目が合う。応えれば共に堕ちる……、それを恐れ、気づかぬ振りをしていただけだった。
あの日から、総司は度々部屋にやってくるようになった。触れるのを口実に身体を重ねることもあったが、肌の熱恋しさに、単に触れあって朝を迎える、そんな日の方が多かった。額に落ちる髪を払われるのに顔を上げると、空いた手を顎に添えられ、ゆっくりと確認するようにたがいの唇をあわせる。
生き血を啜る代わりに触れて飢えを癒したいのだと、総司は言った。それをより強く実感するのが、口づけのときだった。遠慮がちに唇を重ねているのは最初だけで、誘うように舌を絡めると、今度は噛み付くように激しく吸われる。
吐息すら飲み込もうとする強引さがもたらすのは、息苦しさと、奇妙な快感だった。
「……総司」
「何です?」
「ガキの体温みたいだな」
口づけをとき、ココが、と、土方はいたずらっぽい表情で総司の頬を手の甲で撫でる。総司の身体は日に日に冷たくなっていく。今日も、前触れたときより冷たくなったような気がする。けれどまやかしのようだけれど、触れている間だけは熱い気がするのだ。
総司の手が首筋を愛撫し、衿の奥へと入りこみ、肩の輪郭を辿り降りてくる。はだけた素肌に感じる冷たい感触など、あっという間に火照りに変わった。今感じている熱は、総司の肌に伝わっているのだろうか。もしも伝わっているのなら、伝わったまま留まってはくれないだろうか。
総司の肌を冷たいと感じない身体になりたかった。いつからか、この首筋に総司が歯を当ててくれればと願うようになっていた。
「出来るわけないじゃないですか。そんなの、無理ですよ……」
血をやるくらい構わないのに……、無意識に出たらしい土方の囁き声に、総司は驚いたように眼を見張り、次いでゆるゆると首を振った。土方はじれったさに総司の首に軽く歯を立て、浮き立つ首筋を甘噛みする。と、その瞬間、ぎゅっと強く抱きしめられた。土方は噛み跡のついた箇所を、今度は癒すように舌を這わせる。
「土方さんっ、くすぐったいですって……」
「お前となら、堕ちてもいい」
我慢できなくなったのか、身じろぎをし笑いを漏らす総司を無視し、土方は真剣な顔を向けた。堕ちたなら、もう、総司の伸ばす手の冷たさに震えることはない。
耳に吹き込まれた誘惑の言葉に、背に回したままの総司の腕が、びくりと強張る。布越しにも冷たいその腕の体温に、ますます共にありたいと思った。思うままにここを噛み、飢えを満たしてくれたらいいのにと。
土方は行き場をなくし逡巡していた手を、総司へと伸ばす。そうして、総司の頭を首筋に導くよう、ゆっくり抱きこんだ。