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森林浴

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それは木々の葉も落ちきった、寒い日のことだ。肌に焼けつく熱が遠のいた途端、日の暖かさが恋しくなったふたりは、散歩途中立ち寄った草原で、沈む太陽を眺めていた。

「そろそろ戻らねえと日が暮れちまう」
「いいじゃないですか。ほら、綺麗ですよ、夕焼けが」

土方が早く帰ろうと促しても、沖田はなかなか腰を上げようとしない。いったいどれくらいここにいたのだろう。土方はひとつため息をついた。草原に着いた頃の白く緩い日の光は、もう茜色に変わっている。今は鳥の群れが羽ばたく音が遠くから聞こえるばかりだ。仕方なく沖田の指差す方を眺めれば、夏より確かに赤さを増した太陽が西の空を照らしている。

土方が地平線を眺めていると、突然沖田がはっとしたように立ち上がった。自らの足元をじっと見て、途端になにやら嬉しそうな顔になる。

「ね。夕暮れ時の今は影が長いから、俺もすこしは大きく見えますよ」
「お前、必死だな」

沖田はここ最近土方に身長をからかわれてばかりいた。それゆえ夕日に伸びる影を見て、微かな夢を見出したらしい。

「言っておきますけど、俺が歳三さんより背が低いのは年齢のせいですから。
 その年になれば歳三さんなんて、すぐに抜かしてみせますよ」

「へえ。まぁせいぜいがんばれよ」
「……いま、心の中で俺を馬鹿にしましたね」

土方のどうでもよさそうな態度に沖田が頬を膨らませる。誰のせいでこんなに必死になっていると思うのだ。どれもこれも、土方が沖田の背の低さをからかうせいではないか。散々こちらの心中を煽ったのだから、影だけでも大きくなりたい子供心を酌んでも、罰は当たらないのではないだろうか。

なんだか面白くなかったので頬を膨らませたまま土方の袖をぐいぐいひっぱる。土方は怪訝な顔をしていたが、沖田が立てと言っているのだと思い当たり、ようやく帰る気になったのかと腰を上げた。

立ち上がれば沖田よりさらに長い影ができる。沈む夕日でできた影は、大人ふたりぶんくらいはありそうだ。子供は面白いことに気がつくな、と土方が内心感心していると、隙を見て、沖田が足先で土方の影を軽く踏んだ。

「ひとの影を踏むなよ」
「歳三さんを踏んでる訳じゃないんだから、いいじゃないですか、影くらい」
「でも、頭んなかでは俺を踏んでるんだろう」
「やっぱりわかります?」
「本当にかわいくねえ……」

「踏まれたんだから、歳三さんが鬼ですよ」

唐突にそういった途端、沖田はどちらともなくかけて行ってしまった。取り残された土方は、なぜか突然はじまった”影踏み鬼”に呆然とした。しかし沖田はどんどん先に行ってしまう。次第に小さくなる背中に、土方は頭に手をやりため息をついていたが、仕方ないから付き合ってやるか、と沖田を追うため走り出した。

☆  ☆  ☆

「惣次郎っ、本気になって逃げるなよ!」
「歳三さんこそ目が本気じゃないですか」

たかが遊びだというのに、やるとなったらとことん本気になってしまうのが沖田と土方だ。最初こそ手加減して走っていたふたりだが、暗さ移ろう空の下、いつのまにか息が乱れるほど足を速めていた。

しばらく沖田を追いかけることに勤しんでいた土方だったが、ふと、沖田が進む先に森があることに気がついた。昼でも薄暗い鬱蒼とした森だから、滅多に人は入ろうとしない。けれど沖田はどんどんそちらへ足を進める。土方はさすがに慌てた。

「馬鹿! 惣次郎、戻って来い」
「嫌ですよ。歳三さんが追いつけばいいじゃないですか」

俊足といわれる土方ではあるが、呆然とした時間が長すぎた。あたりはもうすっかり暗い。互いの顔さえ良く見えないほどだ。ようやく沖田に追いつき、暗闇にうごめく気配に目を凝らすと、沖田は森の入り口付近で立ち止まり、追いついた土方に小さく手を振っている。

「もう、踏めませんね、影」

のんきな沖田の声に土方はどっと疲れが出た。肩から力が抜けてしまう。確かに暗くて影すらない。けれどそんなことどうでもいいのだ。森に踏み入れず待っていた沖田にほっと安堵の息を漏らし、ついで沖田を怒鳴りつけた。

「ったく、だからガキは嫌なんだ!」
「最初から、森には入らないつもりでしたよ」
「だったら……、そう言ってから逃げてくれ」
「それじゃあ鬼ごっこにならないじゃないですか」

何を言っているんだか、と沖田はちいさく笑い、今度は違う方へ駆け出そうとする。その気配に、冗談じゃないと土方は沖田の腕を掴んだ。しかしあせったものだから腕を捕らえた途端、石につまずき膝をついてしまう。それでも沖田の腕は離さなかった。

「影なんてあやふやなもん、どうでもいい。捕まえちまえば逃げらんねえだろ」

土方は勝ち誇ったような顔で、早く帰るぞ、と掴んだ腕を引こうとする。けれど逆に、引く力より早く沖田にその手を引かれ、膝をついたままの姿勢で抱きつかれた。腕全体を使ってぎゅっと頭を抱きこまれ、土方は訳のわからない沖田の行動に動きを止める。

「こんなところ掴まなくても、俺は逃げられやしないのに」
「……なんだと?」

たった今逃げたばかりじゃねえか、といいたげな土方に苦笑して、沖田は微かに首を振る。そしてそのまま静かに土方の額に唇を寄せた。

身長を気にするのも、影の背の高さに憧れてしまうのも、どれもこれも土方のせいだった。土方に勝てるものは今のところ剣しかない。でも、それだけじゃ足りないのだ。

追いつきたいし、追い越したい。土方のひとことに傷つくし、そのひとことでうれしくなる。土方はもう、腕だけじゃなくて沖田のいろんなものをその手で捕まえているではないか。逃げられるわけがない。今だって、結局土方の伸ばす手を待ってしまった。

「ま、俺も相当馬鹿ですけどね」
「……わかってんなら、すこしは利口になれよ」

利口になってしまったら想いが伝わらないではないか。それは無理だとまた首を振る沖田をみて、土方はどうしようもないなと沖田の頭を軽く撫でた。その撫で方はやっぱり子供に対するものだ。

ほんとうに、このひとはちっともわかっていない。

微かにあたる口づけすら単なる偶然だと思われるのは、すこし寂しかった。せめて夕暮れに伸びたあの影くらい、背丈だけでも伸びればいいのに。土方の額に今度は自分の額を押付けて、沖田は消えた茜色の空にそっと願をかけた。
作品名:森林浴 作家名:みお