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スプリング ハズ カム

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桜の蕾はほとんどが開き切り、景色を文字通りの桜色に変える頃。
4月。
まだ朝方には肌寒い。
しかし、この部屋の窓は小さく開かれていた。

 窓の隙間から一枚の桜の花弁が滑り込んで、窓際のベッドに眠る男の頬に音も無く着地する。
その微か過ぎる重みは平和な彼らの朝寝の妨害には到底成り得はしない筈だった。
滑らかな桜色の頬に桜の花弁を乗せたままくうくうと男は眠り続ける。
しかし、男を抱いて寝顔を観察していた男の恋人はその愛らしさに泣きそうに表情を歪めた。
もちろん、不快なことなどひとつも無い。
ただ、やり場の無い愛しさに悶えているのだ。

(ほっぺたに花びら!かわいいなあちくしょう!)

 彼は眠る男を抱いて飽きもせずに寝顔を眺めつつ、爪先を丸めては伸ばしたりしてぶるぶると震えている。
そうすることで健気に、しかし気色悪く愛しさを発散させようとしている男の恋人もまた男だった。
同性同士、普通とは言い難いかもしれない。
けれど二人にはごく自然で、この上なく正しい関係だった。

 悶えながらも息を詰めて恋人の寝顔を見守る男の名は、アーサー・カークランド。
生粋の英国人である彼は日本の大学に通っている。
そして、その腕に抱かれて安らかな寝息を立てる男は、本田菊。
アーサーと同じ大学に通っており、学年は一つ上。
年齢はアーサーより二つ上。
彼は熱心すぎるサークル活動により昨年必須単位を下回ってしまった。
そのため他人より一年長い大学生活を余儀なくされている。

 菊にしろアーサーにしろ、成績は悪くなかった。
むしろ優秀で、奨学金で暮らしている二人の生活は平和なものだ。
加えて、菊はサークル活動という名目で仲間とともに同人誌を製作している。
売れ行きはとても好調で毎回大がつく黒字。
アーサーはアーサーでその容姿を生かして雑誌の読者モデルをしている。
人気はなかなからしく、小遣いにしては結構な額を稼いでいるらしい。
アーサーとしては趣味でもある紅茶の知識とその技術を生かして喫茶店で働きたかったのだが、「アーサーさんは、飲食店で働いてはいけない」と菊をはじめとした周囲の猛反対を受けてしまったのだ。
アーサーはすっかりしょげかえった。
しかし、恋人の背中にえもいわれぬ哀愁を感じた菊が「アーサーさんの美味しい紅茶を飲んでいいのは、私だけでしょう?」なんて絶妙なフォローを入れたものだから周りはその扱いの上手さに感心しきりだった。
しかしその実、「そ、そうか!菊がそういうなら仕方ねーな!お前だけに淹れてやるんだから感謝しろよ!」なんて言いながらも顔を真っ赤にして嬉しそうなアーサー。
そして嬉しそうな笑顔で礼をする菊。
この二人は間違いなくただのバカップルなのだ。

 アーサーは、菊の眠りを妨げぬようにと細心の注意を払いながら腕枕をしたままで僅かに身を起こす。
そうっと唇を菊の頬へと寄せると音も立てない触れるだけの口付けを落とした。
続けて、うすい花弁を咥えて取ってやる。
ううん、と小さく呻くような声が聞こえてアーサーはぎくりと固まって菊の様子を伺った。

(…良かった、起きてないよな)

 もっとも、菊は昨晩から明け方まで求めに求めて抱きつくされて、身体を拭われる間にぜんまいが切れたように眠りに落ちていた。
それがまだ昼前の今、少々の刺激で覚醒するなんてあり得ないだろう、とアーサーには漠然とした自信もあった。

 アーサーは性的な欲求に対しては正直だったが、なぜか好意を素直に伝えることを酷く苦手としていた。
だからこそ、彼は眠る恋人に普段なら到底達成することのできない愛情表現を試みる。
これは既に、週末の安心感からか激しいセックスを強いてしまう金曜の次の日、つまり土曜の朝。
今日みたいな日のお決まりになりつつあった。
密かな、けれど愛するものの前ですら素直になれない彼の大事な時間。

 露になっていた肩が肌寒い。
小さく身震いするともぞもぞとまた腕枕をしたまま布団に潜り込む。
菊の肩まで布団を引き上げてから、空いた片手で腰を抱き寄せてやるのも忘れない。
風邪なんかひかせては恋人失格だ。

「…きーく。きく、きく」

 小さく小さく呼んだ恋人の名前は、思ったよりもずっと甘えたような声色で静かな部屋に響く。
アーサーは気恥ずかしくなって苦く笑った。
そっと、自分とは全く正反対に滑らかな黒髪に指を差し入れる。
しっとりとコシがあるのにさらりと指通りの良い髪の毛は梳かしてやるまでもない。
けれど頭を撫でてやるように何度も何度も梳かしてその感触を楽しんだ。ほう、とアーサーは感嘆の溜息を漏らす。

 恋人という色眼鏡を外したとして、しかし菊は美しい、とアーサーは思う。夜みたいな圧倒的な存在感を示す黒髪とオニキスの目。早くあの宝石に自分を映して。念力を送るようにじっと目元を見つめていると、うっすら朱が差して腫れているらしいことが分かった。そういえば、とアーサーは昨晩の行為を思い出す。

 数時間前、まだまだ外は暗い時刻。
菊はアーサーの下で過ぎる快感に伴う異常な気分の高揚に泣いていた。
そんな菊がかわいくてかわいくて、快感に泣く菊の顔を強引に見ようとアーサーは背けられる顔を覗き込む。
無論、アーサーとしては好きな相手の愛らしい泣き顔を堪能するつもりだった。
しかし、アーサーの期待は全くいい意味で裏切られた。
菊はごしごしと力任せに涙を拭ってからアーサーを睨み付けたのだ。

 その時のことを思い出したアーサーは、またもやこみ上げてくる愛しさを発散させるためにぶるぶると肩を震わせる。
彼の友人曰く、元ヤンのアーサーにとって健気な菊の反抗は最高の挑発でしかなかったのだ。
菊には気の毒だとしか言い様がない。
けれど、ますます泣かされ続けた菊の瞼が腫れているのも至極当然の結果といえた。

 髪を梳いていた指先はその赤い瞼に触れた。
文字通りに、腫れ物を扱うように優しく。
そこは他の皮膚よりも熱を持ってアーサーの指先をじわりと熱くする。
腫れて厚くなった瞼に罪悪感が募った。

「…菊がかわいいから、苛めすぎた。悪かったな、ごめん…、す、すき、だ。菊、ちゃんとすきだぞ」

 相手が聞いていないのにも関わらず、アーサーの言葉はたどたどしい。
眠る恋人を相手に、勝手に一人顔を赤らめてぶつぶつ一方的に愛を囁いて許しを請うその姿は滑稽かもしれない。
それでも普段はなかなか素面では口に出来ない気持ちを吐き出せた彼は、満足そうに笑みを浮かべた。

 ふうわりと、午前の春風が窓から流れ込んだ。
風は火照ったアーサーの頬を撫で、続けて菊の髪の毛をさらさらと乱していく。
心地好い。
アーサーは再び訪れた眠気に誘われるままに目を閉じた。
まどろみの中、アーサーは呟くと隣の愛しい人を抱きなおす。

「愛してる、俺の菊」

 寝ぼけて発された言葉。
腕の中の菊は不意に耳まで赤く染めてきゅうと縮こまるとアーサーのシャツを掴む。
けれど、アーサーは幸か不幸か、既に幸せな夢の中にいてそれには気付かなかった。

作品名:スプリング ハズ カム 作家名:おかゆ