GRAVE DIGGER
PART.1.0
適当なところから、世界は始まる。
「皆さん、見えるでしょうか、栄華を誇った旧世代の城が今またひとつ、無残にもその歴史に幕を閉じました。」
濛々と灰色の砂煙が辺りを満たす中、甲高い声でキャスターは言葉をカメラに吸い込ませてゆく。顔を上気させまくし立てる彼女の肩を通り過ぎ、カメラは避難する住人をそのレンズに収めた。不安げな表情の人々の流れを追う。その時、端にちらりと移った小さな影は
逆の方向へと向かっていたが、倒壊する建物の轟音に気をとられたカメラマンは気づかなかった。
少女はその機会を待っていた。彼女の小さな小さな手を握る母の手が、僅かに緩められた瞬間、弾かれたように少女は列の流れに逆らって走り出した。
「ユリィ……っ!?」
母の声を振り切り、小さな体が人波を逆走してゆく。
「きゃっ……」
だが、いくらもしないうちに押し流され、バランスを崩した少女は小さな悲鳴をあげると、そのまま流れの真っ只中に倒れこんでしまった。うつろう人波は止まらず、少女の姿は雑踏にかき消される。……かのように思えた。が、
「大丈夫?」
「あ……」
少女に影が落ちる。見上げると、少女の父より幾分若いであろう青年が人波から少女を守るように跪いていた。逆光にシルエットが濃くうつる。
「……っと、ちょっと端に行こっか。」
そう言って少女の手を導く程度にやんわり掴むと、立てられたポールのある所まで連れて行く。そこでもまた少女から盾になるような位置に立ち、目線を少女に合わせ膝を折った。厚めのパーカーのフードをゆったり被り、少し白くなったGパンに手を載せている。頑丈そうな腕時計は近所に住む四つ上の従弟の少年が持っていたものに似ている。その手が、ふわりと軽く少女の頭をなでた。
「ケガは……してないみたいだね、よかった。パパとママからはぐれちゃったのかな?」
青年の口調は柔らかく安心する響きがあったが、少女は口を閉ざしたままうつむいた。ここで母に連れ戻されてしまっては、わざわざ戻ろうとした意味がない。それに、この青年が何者かもわからないのだ。優しそうな人物がその通り優しい心の持ち主であるとは限らないことを、今年六歳になる少女はもう十分承知していた。
もうひとつ。
「目……」
「え?」
高さはきちんと合わせているのに、髪に隠れた青年の目が自分に見えていないことが、少女を不安にさせた。嘘つきは目を合わせない。少女にもその経験はある。
「ああ、これ……。怖がられるから、見せないようにしてるんだけど……」
そう言って、青年はこともなげにひょいと前髪を上げた。少女の目が僅かに見開き、青年が少し困ったように苦笑する。が、次の一言に今度は目をぱちくりと瞬かせた。
「うさぎのマーシィみたいだわ」
「うさぎ」
「学校で飼ってるの。茶色いロップイヤーで、お兄ちゃんみたいなきれいな赤い目をしてるの」
「……どもっス」
そう言うと、軽くだが再び前髪を戻し、青年は頬を掻いた。ああそうだお母さんを探さなきゃ、と呟く。そのタイミングで背後から声が響いた。
「エリィ! もう、どうして勝手なことをするの!」
「ママ……」
人波を掻き分け、母が駆けて来るのが見える。追いつく前に走ってゆきたかったが先ほどよりも人の密度の濃い列の中を少女が越えるのは、どう考えても無理そうだった。
「心配したのよ! 急に走っていってしまうんだもの!」
「だって……」
抱きしめられ、少女は困ったように母の首に腕を回した。悪いことをしたとは思っていたが、いたずらに行動を起こしたわけではない。
「ママが見つかってよかったね」
ふと、青年と目が合う。ああもしかしたら、だってマーシィと同じ目をしてるもの、きっと……。にこりと笑い、そのまま歩き出そうとする青年に、少女は声をあげた。
「まって! うさぎさん!」
うさぎ? と訝しげに振り返る母から身を離し、少女は青年を見上げた。
「エリィ、この人は?」
「さっき転んで、私を助けてくれたの」
あら、と弾かれたように立ち上がり、少女の母がぺこりと頭を下げる。
「ありがとうございます、娘がご迷惑をおかけして……」
「いや、住民の皆さんの安全を守るのが仕事ですから」
青年は恐縮したように、言葉を返す。その幾分奇妙な物言いに疑問符を浮かべ見返した母に、青年は今気づいたかのようにポケットから小さな手帳を出した。少女もテレビドラマでそれを見た事があった。警察のものだ。
「一応、そこで誘導してるのと同じ職なんです。……今日は非番だったんだけど、この騒ぎだから」
そう言うと、立ち並ぶ建物の隙間から姿を見せる大きなビルへ目を向けた。ビルからはいまだ煙が上がっており、遠くでサイレンが響いている。なんだか急に怖くなって少女は母の袖をぎゅっと掴んだ。
「4番街と通りはもう完全封鎖になっています。ここまでくれば建物の倒壊による二次被害はもう流石に無いとは思うんですが、これだけ人も多いし……なるべく早めに、指示のあった地区まで避難してください」
さっきの柔らかい口調とは別人のように真剣な表情で、青年が流れへの道をあける。母が今度こそ離れないよう、痛いほどに少女の手を握った。
「ええ。本当にありがとうございました。……さあ、エリィ、行くわよ」
「……うさぎさん」
青年が目を向ける。高さがあるせいで青年の赤い目は何にも隔たれることなく少女に届いていた。
「くまさんが」
少女はぽつりとそれだけを言った。うさぎの目が首をかしげる。
「くまさん?」
「あのね、おとうとなの」
静止しようとする母を手を軽くあげて留め、青年はぼそぼそと喋る少女の話を注意深く聞いた。ようやく少女の逆走のわけを知って、娘の身を案じる母は深く溜息をつき、青年はその勇気に苦笑した。
「セントラルホテルのロビーに、くまさんがまだいるんだね?」
「そうなの。でも、四番街はもう行けないって」
締めくくり、少女は縋るように青年を見た。うさぎさん、と小さく呟く少女に、青年は最初の時のようにまた柔らかく微笑んだ。
「わかった。くまさんは俺が必ず探してきてあげるから、君はママと一緒に先に安全な所へ避難しなさい」
ぽんぽんと軽く頭を叩かれ、青年は母に向き直る。パーカーのポケットからメモ帳を出すと、何かを走り書きし、少女の母に差し出した。
「えっと、後でここに連絡を取ってみてください。それで、第三課のアスラ……アッシュって言えば多分繋がると思うので」
そう言うと、青年──アッシュはフードをとり、少女とその母に向きなおった。一瞬、母のがあっけに取られたように少女の手をゆるめ、少女は今度こそ目に見えて目を輝かせた。
「アッシュは、うさぎさんじゃなくて、わんちゃんだったのね」
子供らしい、偏見も何も無いそのストレートな物言いにアッシュが笑い、未だどう反応すればよいか考えあぐねているらしい少女の母を見た。
「人狼の警官はここいらじゃ俺くらいだからすぐ分かると思います。……じゃあ、俺はくまさんを探すんで。さ、君もお母さんと一緒に行って」
「うん。ありがとう、お兄ちゃん」
「市民の安全を守るのが、俺たちの役目っスから」
作品名:GRAVE DIGGER 作家名:麻野あすか