アダルトサティスファイ
忘れてしまう以前に記憶していたことすら忘れていたというのに、今更になって思い出してしまう。それが一体自分の中にいくつあるか、数えていればきりがないけれど、耐えられないものは少なくとも今ここにある。
出血量だけを見る限り命に別状はないとはわかっていても鉄のにおいはおぞましく鼻をついて気持ちが悪かった。浅い切り傷が幾重にも刻まれた脇腹が、裂けた布の隙間からちらちらと覗く。
「竹谷」
「俺は平気、だから。ちょっと頭くらくらすっけど」
「帰れそうか、立てそうか、」
「お前は先に帰っとけよ。俺はちょっと休んでる」
傷よりも敵の鉤爪に塗られていた毒がまわるのが心配だ。自分よりも幾らか背の高い竹谷を担ぐのは骨が折れるだろうが、これ以上ここに留まることはおそらく愚行であろう。
「よっ…、痛くないか」
「ん、悪いなァ、久々知」
こんな状況下であっても困ったように笑えるこの男を小憎らしく思う反面、どこか安堵感をおぼえる。
元はといえば、竹谷が傷を負った原因はこいつが敵にとどめをさすよりも逃走を優先したせいだからだった。奴の息の根を止めてからでも俺達ならばなんとか他の追手から逃げ切れたと思うが、それが十割の確率であったかとはいい切れない。そして最後尾を自らかって出、結果的に仲間の背で苦痛に喘ぐこの姿を愚かだと評することは俺にはできない。
「三郎たちは、大丈夫かなあ」
「お前は自分の心配しとけ」
先頭を走っていた雷蔵と三郎は先に忍術学園に帰還しているはずだ。あまりに俺達の帰りが遅くなるようであれば救援を呼んで貰うよう頼んである。
「なんでさっさと殺さなかった、って先生にどやされるぞ」
「はは、そりゃあ、帰りたくねー」
「馬鹿か」
膝が痺れるのを堪えながら一歩一歩を踏み出す。苦痛であろうとも会話を途絶えさせてはならない、意識を飛ばされてしまっては大変だ。
「まあ、次はちゃんとしろ」
「おう、」
ちゃんとしろ。そう変化を促す言葉とは裏腹に俺は、竹谷の甘さとしか呼べぬ行為を内心では容認していた。できればこのまま、どこか不完全な甘さを孕んだままであって欲しいと願う自分は確かにいる。それは世間が望む忍びとしての姿とはかけ離れていると十分承知の上であるというのに。
お前は変わるべきだよと、迷いなく正しい答えをいえるのが大人とでもいうのか。ならば俺はそうでなくて構わない、変化してゆく姿など見たくはない。
作品名:アダルトサティスファイ 作家名:梅田にと