三者鼎立恋模様
イチゴ牛乳を一口飲んだ後甘ったるい味に顔をしかめながら、思いついたように臨也が言った。
「突然どうしたのさ。あと、わかってて飲んでるんだろうけど、それ静雄のだからね。」
甘いものが好きな彼が好んで飲むピンク色のパックを指差して言えば、知ってるとなんでもないかのように返された。甘すぎると文句を言いながらも、臨也は備え付けのストローを使ってまた一口飲む。彼は自分で買ったペットボトルのお茶にはまだ一切手をつけていない。俺の隣の席で突っ伏して寝ている静雄が起きたら、また壮絶な追いかけっこが始まるのだろう。そうなれば、授業は中止になるかもしれない。午後の授業が無くなったら、きっと早めに帰れる。ならなくても、どさくさに紛れて帰るぐらい簡単だ。静雄や臨也の手当てという名目があればセルティも許してくれるだろう。1人で留守番しているだろうセルティを想って、俺の胸は高鳴った。
「顔、にやけてるよ。気持ち悪いなあ。」
「静雄といい君といい、全く失礼だね。まあ、俺が気持ち悪かろうと気色悪かろうと、セルティが今日も素晴らしければなんの問題無いからいいけどね。そして、今朝『いってらっしゃい』をしてくれたセルティの可愛らしさと言ったら、」
「うるさいよ新羅。シズちゃんが起きちゃうじゃん。」
至極つまらなそうな顔の臨也は、そう言いながらまたイチゴ牛乳を飲んだ。全く失礼だ。静雄が起きようと起きまいとどちらでもいいくせに。
「というかさー、いつの間にシズちゃんのこと呼び捨てになったの?昨日までは君付けだったじゃん。」
「昨日からだよ。静雄が呼び捨てがいいって言うもんだからさ。」
「ふーん。」
なんでもないように相槌を打って窓を見る臨也の顔には、面白くないとはっきり書いてあった。ああ、面白いなあ。静雄が絡むと臨也は、年相応の反応を見せる。平均よりだいぶ上の造形の顔に男子高校生としては一般的なその表情。本人はそれを苦々しく思っているみたいだけど、中学からの友人の俺としてはなかなか微笑ましいものだ。
「それで、俺が女の子だっけ?」
「ああ、話戻すんだ。まあいいや。新羅が女の子だったらさ、シズちゃんはもうちょっと聡かったかもねって話だよ。」
「あはは、何それ。臨也らしくないね。もしもの仮定にあまり意味は無いよ。」
「意味が有るか無いかなんて些細な違いだろ。それこそ、新羅にはどうでもいい話なんだし。」
臨也は鼻で笑って、イチゴ牛乳のパックを揺らした。どうでもいい話ねえ。チラリと、教室前の廊下に目を向ける。俺の前の席を陣取って、我が物顔で座っている彼には、途方に暮れているその席の持ち主であるはずのクラスメイトが見えていないようだ。かわいそうに。しかし、俺にはどうすることもできないので、臨也の言うどうでもいい話にのることにした。
「まあ仮に俺が女の子だったとして・・・。うーん、静雄は今のままな気がするけどなあ。というか、『聡い』静雄って想像できない。」
「新羅今結構酷いこと言ってるからね。まあ、聡いというか、今よりはっていう意味だし。自覚ぐらいはできそうじゃん。」
「自覚?してどうするのさ。」
シャーペンを置いて、ペンケースから消しゴムを取り出しながら聞いた。聞かれた臨也は、赤い線の入ったストローを細い指でくるくる弄びながら苦笑い。臨也にしては、珍しい顔。
「ああ、そうか。そうだね。シズちゃんだし。」
「あれ、終わり?君って勝手に1人で話終わらせるの好きだよね。」
消しゴムをペンケースに戻す。シャーペンを手に取ろうとしたが、ストローに飽きた臨也が代わりに手にしているのを見て諦めた。くるくるくるくる。臨也の手の中で華麗に回される俺のシャーペン。眺めていると、ほんの少しの出来心が芽生えたのでどうでもいい話をそのまま続けてみる。
「なら、臨也か静雄が女の子だったら良かったんじゃない?そうだったら、俺が月下氷人になってあげても良いかな。ああ、でも今もそんな感じかもね。」
「・・・新羅の性格もたいがいだよね。」
はあ、とため息をついて、臨也はまた甘ったるい味を口にする。そろそろ中身は空になるんじゃないだろうか。横目でちらりと隣の席を見る。話の中心に勝手に立たされているイチゴ牛乳の真の所有者は、いまだ夢の中のようだ。良かったですね先生。まだこの教室の平穏は保たれているみたいです。
「シズちゃんが女の子なんて想像できないね。無理。」
「じゃあ、臨也が女の子。静雄は君に手を上げないだろうし、だいぶ変わってくるんじゃないかな。ひょっとしたらひょっとするかもしれないしね。」
「冗談じゃない。」
臨也の声色が変わった。
「そんなのつまんない。ダメだ。面白くない。」
無表情。ああ、だから面白い。
「臨也、これはどうでもいい話だったでしょ。」
「そうだよ。だから、つまらなくったから終わりでいいよ。」
「勝手だねえ。」
授業終了のベルまであと数分。臨也は空っぽのイチゴ牛乳を俺の机に置いたまま、哀れなクラスメイトの席から立ち、教師の諦めの視線を無視して、教室を出た。俺は仕方ないので置いてきぼりにされた未開封のペットボトルの蓋を開け、少し乾いた喉を潤す。
さっきの臨也と俺の話はどうでもいい話で、なら何故臨也は少し楽しそうに教室を出たかというと、一向に起きる様子のない静雄の手の甲に昨日つけられたであろう鋭利な刃物による切り傷がうっすらと残っていたからだ。
彼は、自覚していない。彼は、自覚している。
だけど、彼らは望んでいない。
救いようのない話だ。いや、逆なのかな。
だけど、だから、この2人は面白い。
俺は自覚しているし、望んでいる。
彼らの気持ちは知っているが、よくわからないし、わかりたいとも思っていない。
(ああ、早く静雄が起きて、臨也を追いかけて、授業が中止になって、帰れますように!)