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カタルシス

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カタルシス





(寝顔のほうが童顔じゃないっつーのは、どーいうことなんだろうな…)
 普段の言動によるところ大だ、と嘆息すると同時に、フランスはあまり認めたくない事実にも気付いていた。黙っていればフランスのなかではとりわけ好きな部類に入るその顔は、童顔といえど決して子供のようではなかった。そして人間くさいその緑の目が見えないと、フランスはよけい焦る。イギリスの無表情なり沈黙なりというのは、時に耐えがたいほどに、悲痛だ。怒りのために一切の表情を消してさえ、それはどこか悲しみに暮れていた。そんな理不尽に叱られた子供のような目で、恐ろしく冷徹な攻撃を仕掛けてくる。いつの時代も。
 イギリスの胸のうちに根づく悲しみのもとのようなものを、フランスは正しく掴み取ることはできないのに、ただそこにあることにだけは気付いてしまう。それにはまず間違いなく若き日の自分も関与していて、その責任は大きくはなくとも、加害側でないと言うことは決してできない。もちろんイギリスの心の持ちようがどうだろうと、今や完全な他国なのだからそれはイギリスの問題に他ならないけれども、それとはまったく別の次元でフランスは頭を抱えたくなるのだった。
 すでに全く独立した一個の存在として対等に付き合っているというのに、どうしてもそこに罪悪感を感じずにはいられない。だったら今すぐべらぼうに甘やかしてしまえばいい、と一瞬フランスの欲望が燃え上がっても、いまさら喧嘩友達以外の関係をイギリスは望んでおらず、その関係さえ内心では非常に得難いことだと思っているらしいことを、フランスは何となくわかってしまうのである。
 仰向けで寝るイギリスのゆるやかな顎のラインをなぞる。目鼻立ちのバランスもそうだが、やはり輪郭からして少年期のそれに近い。手の甲と指で何度かするすると往復しても、起きる気配がない。傍から見たら相当気色悪い絵面だろうな、とフランスは思う。なにせ自分が、寝ているイギリスの顔を撫ぜているのだ。日本あたりが今この部屋のドアを(あの礼儀正しい国がノックもしないわけはないが)もし開けてしまったら、たっぷり3秒は凝固して、沈黙のうちにドアを閉めるだろう。
 フランスはそれでもいいな、と思った。もういい加減、そろそろ、いいだろうという気になっていた。イギリスにさえ知られなければ(そしてどうせ自分に向けられる好意に恐ろしく鈍感なこの馬鹿は一生気付かないので)、自分の思いなんてもう誰に知られてもいい気がした。
 長い長い初恋で、普段はもう忘れたと思っていても、その執着はふと甦ってくる。今のように、引き金は寝顔だったりらしくない笑顔だったり、いい年した男の涙目だったりするのだが、こうして隣にいる限り、それは未来永劫訪れ続けるのだ。
 相変わらず暗い寝顔だなぁ、とまた少し胸のうちの小さな穴がキリキリするのを感じながらも、フランスはその唇に触った。下唇を左から右になぞる。乾いても湿ってもいない、ただ柔らかくて小さな部品だった。鼻からの寝息がフイ、と手にかかってきて、それは唇と違って少し冷たい。ああこれは少しやばい、とフランスが自覚しだした頃には、もう思考はさっさと次に行っていた。
(…しちまうか)
 どうせ誰も見ていないし。見ていたとしても当のイギリスが寝ていれば問題ない。さすがにフランスを前にしてイギリスが狸寝入りを続けている可能性は皆無だ。というかフランス相手に寝顔を晒すイギリスというのも、ほとんど一世紀に一度の奇跡だった。だてに生まれた時から今までを殴り合いに費やしてきたわけではない。
(起きるなよー…)
 フランスが念じながら顔を近付けていけば、イギリスの顔の上に影が下りる。光の具合が変わったことで若干刺激があったのだろうか、イギリスの目蓋が震えた。
 (まあ起きても嫌がらせとして仕掛けてやりゃいーか…)
 どうせ覚醒時なんてイギリスはうにゃうにゃしているのだ。それよりもフランスはなんとか己の熱に踏ん切りをつけて、次の一瞬からをまた「よどみなく余裕ある自分」に戻したかった。
 イギリスのけわしい寝顔からも、今更どうしようもない思いからも、早く目を逸らしたい。
「ん…」
(あ、起きたか)
 まさに唇が重なる瞬間になって、イギリスが鼻から抜ける声を出した。しかしそのまま重力に従ったフランスは、ここ最近のもののなかで、もっとも静かなキスをイギリスに贈った。柔らかくて温かい、さっき指で確かめた感触をたしかに唇でも感じられたことが嬉しくて、久しぶりにフランスは胸の内側からじわりと生まれる幸せの味を思い出す。
 だが急いで離れないと本格的にイギリスが覚醒して、即座に手だの足だのを高速で繰り出してくることは必至だ。その鈍痛は体が覚えているので、触れた次の瞬間にはフランスは上体を引こうとした。
 が。
「んんー」
「お?」
 まだ目は瞑ったままのイギリスが、フランスの後頭部に手を回してきた。もちろんそれは暴力などではなく、指先は軽く髪に差し込まれる。
(やれやれ…)
 誰と間違えているのやら。らしくないキスをしたせいか、イギリスはフランスをどこぞの美女と取り違えてしまったようだ。その行為を受けて、フランスは自然と柔らかい表情になってしまう。こんなに素直に好意に応えられるようになるとは、あの恐ろしい目つきで海を荒らし回っていた頃には想像もつかなかった。
 傷も負ったが(そして例のごとくそれにもフランスは一枚噛んでいるが)、これはひとえに新大陸坊っちゃんのおかげであると、今や世界を牛耳る力馬鹿ヒーローに感謝しながら、フランスはイギリスの首筋に鼻を埋めてみた。
 髭が当たるとさすがに女性でないことがばれると思ったので、そこは慎重に顔を動かした。
 目の前はイギリスの白いシャツと首の肌色で、イギリスの匂いしか吸い込めなくなって、フランスの頭は少しおかしくなりそうだった。
(こんな近くに寄んのは何百年ぶりだろーなあ…)
 イギリスの右手はまだフランスのさわり心地の良い金髪を軽く掴んでいる。そのまままた寝てしまったのかもしれない。いや、そもそも一度も覚醒はしていなくて、依然として夢のなかなのではないか、とフランスが疑ったその時に、フランスの左耳は確かにその空気の振動を聞いてしまった。
「……ス」
 寝起き特有の少し掠れた声で、イギリスが誰か、おそらくは思い人の名前を呼んだ。
「………………………はい…?」
それから右手の力を強めて、フランスの頭を自分の首筋にさらに押し付けた。イギリスの頬はフランスの髪に半ば埋まる。シャツの開いた素肌の部分に、かすらないようにと気を付けていたフランスの髭が当たった。
 イギリスは人の体温と密着したことでようやくそれが夢でないことを認識し始めたようだった。
「んー…?」
 おそらくまだ寝起きの浮遊感のなかで文字通り夢見心地なのだろう。対するフランスは様々な感情がないまぜになって、もはや指一本も動かせないのだった。やがてはっきりと覚醒したイギリスが、その状態に陥るのとまったく同じように。













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フランスが乙女だ。笑 24/11/08
作品名:カタルシス 作家名:万願寺