眼帯のはなし
どうして、何故、そんな愚考を繰り返してどれ位の時間を浪費したのだろう。ただ俺は醜いこの右目と生涯を共にしていかねばならないのかと絶望のままに死んでしまいたい気分になっていた。小学校五年生の後期だった、日に日に右目の色が変化していった。虹彩は赤みを増して白目は黒く変色していく。医者に診せても原因は分からず、数日かけた検査にも要因たるものや他の欠陥はみられなかった。怖ろしかった。最初はこのまま原因不明の侵蝕に呑まれて死するのかもしれないと怖ろしかった。しかしやがてその恐怖は醜いこの身に対するものになっていった。学校に行きたがらない俺に見かねた親が渡したもの、それが眼帯だった。俺はそれ以来、親の前でも眼帯なしではいられない性分になってしまっていた。
水の音がやたら大きく聞こえて、俺は硬直した身を凍えさせていた。どうしてこの時間にこの場所にこいつが、そんなことを考えていた俺は個室に一言の断りだけで(こちらの返事も聞かずに)入ってきたこいつを恨んだ。そして畏れた。見られた。決定的に目撃された。この醜い右目を。シャワーは相変わらず無感動に己の職を全うしている。
「忘れ物、取らせてくれ」
そんな言葉を残した源田は侵入を完全なものとして俺の横を過ぎると台に置いてあった石鹸を取り上げた。独特の香りが強まったかと思うと、奴は何食わぬ顔で横を過ぎようとする。そんな態度に沸く怒りが身を焦がした。震える腕を振りかざそうと握りしめた瞬間、奴は突然振り向いて俺を壁に追いやった。背中を直にぶつけた痛みよりも、何よりも弱い場所を凝視されていることの方がダメージが大きい。瞬間的に溢れてくる涙が次々体を伝い下りる。奴の瞳が何より怖ろしい。閉じられない右目が捉える源田は相変わらず無表情だった。悲しさを超越して、俺は止まらない涙で何かを訴えていたのだろう。しかしそんな悲痛な叫びをはね除けて、源田はこちらを見つめ続けている。
「佐久間」
呼ばれ、体が軽く跳ねた後、顎を掴まれて上向きにされ、反射的に瞑ってしまった瞳を惜しむように、源田の舌頭が右瞼をなぞる。ライトキスで締められたその行為に意味を見いだす前に、微笑みを落としている源田は俺を解放したかと思うと、濡れきって重みを増した髪を撫でて方向転換、そのまま個室を後にしてしまう。
唖然とした俺が必死で右目を覆うが後は祭り、虚しさしか起こらない。しかし絶望感があの笑顔に少しずつ溶けていくのを俺は確かに感じていた。
(いつかお前自身が虚飾を解くのを待つことにする、なんて無責任でどうしようもなく温かい思いやり)