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奇跡の人

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いつもそうだった。彼はいつも風のように現れては去っていく。しかしその割に、随分と後を引くような仕草と声で、俺の平性をかき乱す。彼は実にうまい。ナニが?それは俺の口からは、とてもじゃないけど言えない。

「旦那は、こーゆーの嫌いだと思ってました」
「ん?」
「…めんどくせェでしょう」

薄汚れた宿の一室で煙草を吸う彼は、普段ガキどもと一緒に笑っている姿より何倍も魅力的だ。俺が首を傾けて、彼の付けた跡を見せつけると、彼は悪びれる様子もなく笑う。

「別に俺はめんどくさくねェじゃん?困るのは、沖田くんだし」

煙草の煙なんて毎日となりで浴びているはずなのに、こうして近くにいるとやけに息苦しくて、俺はのろのろと布団から出ると服を着始めた。さりげなく最低なことを言われているはずなのに、随分と俺の感覚は麻痺してしまっていて、むしろ刺のある言葉じゃないと落ち着かなくなっている。

「へェ、俺のこと、信用してるんですかィ」

身体を重ねている以上、もう言葉の駆け引きなんて無意味なものでしかない。だけど俺達はいつも、口を閉じることはなかった。

「俺が誰にも言わないとでも?」
「……沖田くん」

窓際に腰掛けて煙草の煙を吐き出す姿は、やはりあの男によく似ていた。だけどあの男はこんなふうには笑わない。あの男はいつだってつまらない線の上をいったりきたりしている。

「言えるわけねーだろ。お前が」
「…そうですかね?」
「土方に」

この人は俺にとっての、ちょっと大袈裟な言い方だけど、奇跡だった。あの男の俺が嫌いな部分をすべて取り除けば、きっとこの人のような人になる。そしてこの人は俺のそんな身勝手で理解し難い気持ちも、なんとなく理解して、俺の側にいてくれている。おそらく彼にとってはただの遊びだろう。だがそんなこと俺にはどうでもよかった。彼に他に愛してる女がいようが、沢山いる遊び相手の一人だろうが、どうだって。

「近藤さんに、の間違いでしょう」

呆れるような顔で煙草を味わう彼の前で、ひととおり隊服を着終えた俺は、窓の外を見つめた。陽はすっかりと落ちてもう外は暗い。言いかけた俺に気づいたのか、彼が手招きをした。煙草の火を窓の淵で器用に消しながら。

「お前はぜんぜん、めんどくさくなんかねーよ」

そう言いながら彼は、結ばれていなかった俺のスカーフに手を伸ばす。近くに寄ると彼の煙草の匂いがして、俺は思わず瞳を閉じてしまいそうになるのを堪えた。

「褒められてます?俺」
「褒めてるよ。俺の周りはお前なんかより、めんどくせーやつだらけよ」
「ああ、わかります。俺の周りもそうなんで」

彼がスカーフを結び終わる。とても綺麗に結ばれたそれ。彼は立ち上がると俺に口付けをした。やはり煙草臭かった。

「もっと、めんどくさくなってくれても、いいくらいだぜ?」

彼の言葉の意図が読めなくて、俺は黙った。こうしてあの男と彼を重ね、自分の欲のために彼を利用している。こんなこと以上の我儘なんて浮かぶはずもなかった。

「…旦那…どうしちまったんですか。そーゆーの、一番嫌いでしょう」

目を逸らして逃げるようにそう告げると、頬に触れていた彼の手が離れた。

「そうだな」

煙草の匂いと同時に気配が遠ざかる。彼は、畳の上に投げ捨てられるように置いてあった部屋の鍵と、そして刀を忘れずに手に取る。

「ほれ」
「…ども」

俺の刀が寸分の狂いもなく手元へ投げられた。こういった日常的な仕草や何もかもが、彼の生き様をありありと映し出していて、時折なぜかすごく苦しくなる。彼の日常の全てを知っている奴らが羨ましく妬ましい反面、それを毎日目にしていたら俺はどうにかなってしまうだろうと思う。だから結局この距離がいいのかもしれない。望まなければ会うことも無いこの距離のほうが。

「行くよ」

彼のあとをついて薄汚れた一刻だけの部屋を出る。彼に見つからないよう、首筋の跡を隠すようにきつく結ばれたスカーフを、すこしだけ緩めた。
作品名:奇跡の人 作家名:ゆめ