幻聴
視界を覆われる程に傍で、低い声が囁いている。けれど遠い。
音は確かに意味を紡ぎ言の葉となって耳に届いている。けれど聞こえない。
頭が理解を拒んでいる訳ではない。
ただ、本当に伝えられているはずの言葉を捉えることが叶わない。
―――まるで幻の声。
だから、真冬は瞬きすらままならない程に体を強張らせて、自らに向いた鷹臣の感情の読み取れない凪いだ双眸を凝視する事しかできなかった。
時計の秒針の音だけが刻んだしばらくの沈黙の時の後、腕組みをしたまま真冬を見続けていた鷹臣の顔つきがわずかに、けれど明らかに変化する。
「無視するなんていい度胸だな」
舌打ちが聞こえてきそうな声音が耳に入って、漸く真冬の体のこわばりが緩んだ。告げられた内容を質しかけて、まだ緊張が解けきっていなかった喉に声が引っかかった。
「いま、の、なんて」
「なに呆けてやがる。その間抜けヅラ、やっぱちっとも変わらねぇなお前」
理不尽に罵られても、今は憤りすら湧き上がらない。空っぽな思考の中に、与えられた科白が細切れになってふわふわと浮いている。それが次第に縒り合わされていくのを、真冬は頭を振って再びばらばらに散らす。
それた焦点をもう一度鷹臣に合わせる。いつのまにか不穏な表情が一転、やたら上機嫌そうに口角を吊り上げている――― 年上の幼馴染。彼がこんな顔をしているのは、大抵真冬にとって禄でもない事を考えている時に他ならない。現在も、そしてずっと昔も。
「もう一度聞きてぇならそれは別に構わんが……その場合、覚悟はあるんだろうな?」
問いかけというカタチにしてしても、その実返事など鷹臣は求めていなかったのだろう。確認とも違う、つまるところ、それはただの宣言。何かを言い返そうと真冬が息を吸い込むよりも早く。
落とされた言葉を、今度は一つ残らず、そのままの形で真冬の耳は拾い上げた。
呆然としたままゆっくりと瞬きをする間に、元から近かった距離が更に詰められる。……手を伸ばされたら、きっと、簡単に囲われてしまうだろう。いつの間にか解かれていた腕を一瞥して、真冬はそう思った。
聞こえた言葉は幻だ。こんなの幻聴に決まっている。
―――でも、自らを追い詰める彼の存在感は本物で、手首に食い込む指の感触もこの上なく鮮烈で、逃げようとする体ごと真冬の意識も獲らえられたようだった。
真冬、と、これまで耳にした事もない声音で名を呼ばれる。
どうしてか、涙が出た。