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Shina(科水でした)
Shina(科水でした)
novelistID. 3543
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願い事ひとつだけ

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「ね、トムさん。幸せにならなきゃ嘘ですよ」

静雄の手を放した時、静雄はそう言って驚くほどきれいに笑った


願いごとひとつだけ


最初は中学の先輩後輩
次の関係は、仕事の上司部下
それから、恋人同士でまた上司部下に戻ろうとしている

「別れよう」

そう切り出したのはトムだった
殴られるのを覚悟して告げた別れの言葉だった
けれど、静雄はトムの覚悟に対してちょっと驚いてみせるだけだった

「別れよう、静雄」

聞こえなかったのかと、トムはもう一度同じ言葉を繰り返した

「別れよう、静雄」
「はい。今まで、有り難う御座いました」

繰り返されたトムの言葉に静雄はそう答えて、ぺこり・頭を下げた
あまりにあっさりとした答えに、トムはギョッと目を剥く

一発二発殴られることを考えていた
骨の二・三本がいかれることも予想していた
なのに、静雄はただ礼を言って頭を下げただけだった

「殴らないのか」
「どうしてっスか」

あんまり予想外で、トムが思わず尋ねると、静雄は顔を上げて本当にに不思議そうに尋ね返してくる

「俺は、おまえと一方的に別れようとしてるんだぞ」
「でも、トムさんずっと悩んでたでしょう。すごくすごく悩んでくれて、考えてくれて、それで出した答えなんでしょう。だったら、きっとそれが一番良い答えなんですよね」
「それでも、」
「だって、俺、幸せでした」
「え」
「きっと、今までで一番幸せでした。つーか、幸せです」

詰め寄るトムに静雄は静かな声音でそう答えた
トムと恋人であった期間
抱きしめてくれた腕はあたたかくて、抱きしめさせてくれたことが死ぬほど嬉しかったから、きっとその一瞬は言葉に出来ないくらい幸福で
ただ、ただ、幸せだった

「だから、今まで有り難う御座いました。俺は確かに幸福でした」
「…静雄」
「だから、トムさん。一個だけ最後にわがまま言っても良いスか」
「あ、ああ」

静雄は意外に少女漫画のような恋愛観を持っていたから、最後に抱いてだとか、キスを強請られるのかとトムは思う
だが、強請られたのはそんな物欲的でなくもっと、ずっと、あまりにもささやかな願いだった


「トムさん、幸せになって下さい。トムさんと付き合えて俺は幸せだったけど、俺はトムさんを幸せに出来なかったから」
「な」

そんなことはないと、トムは叫びそうになった
静雄と付き合った期間、そこには確かに幸福があった
ぎこちなく伸ばされた指も触れたその先で笑う静雄に、確かに愛しさが在ったはずだ
幸せに出来なかっただなんて、そんなのは

「だから、トムさん今の人ときっと幸せになって下さい」
「…っ」
「ね、トムさん。幸せにならなきゃ嘘ですよ」

そう言って、静雄は驚くほどきれいに笑った



最後の最後に言われた静雄のわがままは、わがままなんて言えないくらい些細で悲しいくらい優しい願いごとだった


end