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屋内と庭の間にある細長いバルコニーのようなこの場所は「縁側」と呼ばれている。腰を下ろして庭の造作を眺めるにはもってこいだ。自然を愛し、慈しみ、優しく包み込む庭。この庭を見るにつけ、庭は家人の心を映す鏡なのかと妙に納得してしまう。

「そういえば先日、桔梗が咲いたんです」

庭に見とれていたのを悟ったのか、隣から控え目に声がかけられた。独り言ともつかない口調は、「強いて会話に引き込むつもりはない」という遠慮がちな姿勢から来ている。俺なんかに遠慮しなくても、と何度言っても改善されなかった。誰に対してもそんな態度なのだと知ったのは最近のことだ。隣に目を向けると、少し低い位置につややかな黒髪があった。

「キキョウ、ですか」
「ええ。あそこに」

身長に比例して小さな手が示した方向を見やると、日当たりのよい場所に数本、真っすぐに伸びた茎が見えた。その先には青紫色の花。固い蕾を解き、正に咲き開こうとしている。

「おお……あれは美しい」
「今週中にはきっと満開になります」

桔梗の花を見守る瞳は穏やかだ。年若く見られる外見に反して老成したこの人は、どこか達観した雰囲気を漂わせている。柳のようにしなやかに、他人を受け止め、さらりと流す。消極的ともとれるその態度だけれど、尖った部分が極端に少ないこの人を慕うものは決して少なくない。もちろん自分もその1人だし、そしてこの男も。視線を落とすと、無意識に眉間にしわが寄る。

「ったく、いつまで寝てやがるんだ、こいつぁ」

ぼやき半分に呟くと、ふふっと困ったように笑って小さな手が膝の上に乗った頭をそっと撫でた。優しい手つきに、わずかに癖のある黒髪の頭が身じろぐ。遠慮のねェ奴だな。ちったァこの人を見習って慎みを持て。

「足、つらくないですかい?」
「大丈夫ですよ」

ああ、でも遠慮しすぎたらこうなるんだっけか。つらい時でも気を遣いすぎて「大丈夫」と答えるこの人のこと、今だって本当は足が痛くなっているのかもしれない。いっそ力づくで排除してやろうかと考えていると、「本当に大丈夫です」と重ねて告げられた。どうやら疑っていたのはバレていたらしい。本当に敏いな、この人は。

「ギリシャさんって、なんだか猫みたいですよね」
「そんな可愛いモンですかい?」

十分可愛らしいと思いますけど。相変わらず指先で黒髪を梳きながら、首を傾げられては返す言葉が見つからない。年長者としての自覚だろうか、とにかくこの人は小さな子供や小動物を盲目的に愛でる気質を持っている。そして、それらに準ずる、あるいは似たものであれば、たとえいくら図体が大きくとも庇護欲の対象になるらしかった。今膝の上に頭を乗せさせてやっているこの男然り、体と力ばかり持て余すほど大きくてまだまだ子供っぽいワガママの残る某大国然りである。

「なんだか、弟みたいです」

独り言のような口調で紡がれた言葉は、一瞬沈黙の中を漂って、すぐに消えた。ごくごくわずかだったけれどその声には翳りがあって、俺は相槌を忘れてしまった。

「アジアには、私の弟や妹がたくさんいます」
「……ええ」
「難しいとはわかっていても、私はその誰をも大切にしたいんです」

できますよ、あなたなら。本心から言ったのに、苦笑と共に首を横に振られてしまった。それは謙遜か、それとも自分を過小評価しているのか。恐らくは後者。この人は自分を見くびりすぎる。

「私が、いい弟にはなれませんでしたから」

きっと罪滅ぼしでもしているつもりなんでしょうね。まるで他人事だ。客観的と言えば聞こえはいいが、これは何かをあきらめている証拠でもある。自然を守り、文化を尊重し、控え目で穏やかなこの人が不意に見せる陰の部分。悠久の歴史を持つからこそ、闇は覗き込むことさえ許さないほど深い。

「日本さん、あの……」
「俺、日本の弟になれたら幸せだと思う」

自分でも何を言おうとしたのかよくわからないけれど、とにかく何か言わなければ、と口を開いた瞬間、場違いに平坦な声が俺の言葉を遮った。誰かなど確かめる必要もない。畜生、妙にいいタイミングで起きやがって。さては寝た振りでもしてたのか?

「ギリシャさん。聞いてらしたんですか?」
「うとうとしてたら聞こえた」

冬眠明けの熊のようにのっそりと身を起こし、あくびをひとつ。可愛らしさなど欠片もない。こんな弟、いても困るだけだとぜひ進言したいところだ。

「日本は、いいお兄さんだと思う」
「そんな……私など、」
「でもそういう、自分のこと悪く言うところはよくない」

びしりと顔の前で指を立て、いつになく真剣な顔をしてみせる。なんだ、そんな顔もできるんじゃねェか。いつも緩い顔してっから知らなかったぜ。

「日本を好きな人はいっぱいいるから、そんな日本の悪口言ったら失礼だ」
「はぁ……」
「みんなを大切にしたいなら、自分から大切にする」

正直、驚いた。こんな物言いのできる奴だったとは。俺にはなかなか口に出せないようなことをさらっと言ってみせる。まぁ、そんなところだけは認めてやらなくも――

「――って、どさくさに紛れて何してやがる!」
「何ってハグ」
「離れやがれ!」
「嫌だ。お前に指図される覚えないし。っていうか何でいるんだよ。帰れ。もしくは死ね」
「こンのクソガキ言わせておけば……」

こいつとの口喧嘩が始まってしまえばもう風流も何もあったものではない。間に挟まれたこの人はこの人で、「しょうがないですね」とでも言いたげに笑うだけで止めはしないし。穏やかな風がふっと吹き抜けた。独り言のような声が聞こえたけれど、空耳だったのかもしれない。
作品名: 作家名:とおる