だからおねがい、だまされて、
「なあにいさん、」
「んー?」
「めをとじて?」
小さな頃した他愛ない遊び。
外では酷く容赦なく力強い兄が休日は俺の前で俺の言うことを聞いてくれるのが嬉しかった。
ほんの些細な優越感だったんだと思う。
しゃがんでくれと言えばしゃがんでくれ、目を閉じてくれと言えば目を閉じてくれる兄に『ああ愛しい』と思ったのはこの頃だった。
己の前に膝をつき、閉じられた瞼をそっと指でなぞった。やわい皮膚の下にくりりとまるい感触。
そこは、急所だ。
ヒトの体でも国のからだでもそれは同じ。脆い場所をまるで無防備に差し出されている。兄は、全部知っていてわらう。
閉じた目のふちの睫をほんの少し摘まんで引っ張った。ふつり、と何本か抜けて指のあいだに残った。親指と人差し指の、あいだ。こよるようにもてあそぶのに自分の口元が持ちあがるのがわかった。
「ヴェスト?」
くす、と自分で笑ったのが聞こえたのだろう。兄は不思議そうな声で俺の名を呼んだ。けれどこれをどう説明するのか。俺はもう一度くすとわらってなんでもない、と彼に言った。まだもうすこし。いいか?こう聞けば兄があたりまえだと同じよう、くすりとわらって答えてくれるのを知っていた。
「にいさん?」
「ん…?」
立ち上がれば俺はその胸元までもない長身。外であれほど暴れているとは思えない痩身。
俺の前に膝まづいて今は俺よりも低い位置にあるその顔。呼べば目を閉じたままおれを、みあげて、
おれは尋ねた。
キスしても?(俺をあなたの、ものにしても?)
戦いに出るものではなく屋敷でくつろぐために纏われた優雅な線のきれいな服。
ふわふわと、俺のすきなやさしい感触のする襟元にそっと手を入れてなぞる。
指先でほんの少し首を、てのひらいっぱいでその上に続くあごのラインを、
いつも口付けるのは、俺だけだ。このひとは、してくれない。
くす、とわらって『ああお前が望むなら、』と許可をくれるだけ。
「…にいさん、」
「ん…?」
「…なんでもない、」
きれいできれいな俺の兄さん。
両手で、そっと捧げ持つようにその顔を持ち上げた。
俺は尋ねる。キスしても?返ってくるのは同じことば。
「…ああ、俺のドイツ」
お前が望むなら。
聞くたびに喉の奥が重くなる、あなたのことば。
「ありがとう」
うれしい。
でも苦しくてたまらないから。
――わるいこに、なろうとおもうんだ。
すき、と口で言いながらあいしていますと心でつぶやいて、そっと、そのくちびるに息をする自分を重ねた。
ちろり、と動かした舌につつみこんだ両頬がぴくりと動くのがわかった。
いつもと同じ速さで顔を離してぱちりと目を開けてしまったひとを見た。
「…にいさん?」
ヴェスト、おまえ、
顔が言っていた。でも、ことばになんか、させてあげない。
なあに?どうしたの?と首をかしげて、ほほえんだ。
「だいすき、」
しんじて。
でもこれは、ほんとう。
何も言えなくなったひとが困った顔をして俺を抱きしめた。ほんのわずかの、香水のかおり。
(…だいすき、)
どこから香るのだろうと胸元に顔をすりよせた。
俺の背を抱くひとの顔は、みえない。
fin.
かわいいこども。
ちいさな欲望。他愛ない。
自分の思う意味でしか考えず受け取らず、許しているといつか大変なことになる。
作品名:だからおねがい、だまされて、 作家名:榊@スパークG51b