02:陽子と電子の飽和
何だか今まで抱えたことのない苦しみに囚われて、抜け出そうと足掻いても無駄で、その醜態を自分が一番理解してしまうから。
どうしてこんなことになったのだろうか、恋した相手が一般的な女子ならまだしも男子な挙句が、さらにクラスの人気者ときた。
告白なんてよくされているらしいが、彼には彼女と呼べる存在はいない。
前にちらっと聞こえてきた話によれば、告白してくる女子は基本的に知らない子であるせいで、好きだとか付き合ってと言われても全くどうしようもない、ということだそうだ。
中途半端な関係を築きたくない。という誠実さがうかがえるものの、俺かすればそれはかなりの絶望をもたらした。要するに彼と本当に親しくならないかぎり、俺なんて眼中にも入らない。
彼と会話したのは、例の下駄箱を最後にしてもう2カ月も前。そろそろ夏休みだというのに、彼とは━━グリーンとは、全く交流が持てていない。
けれど図書館に行く回数は減って、視界にグリーンがいるだけでも幸せを感じるようになっている自分がいる。
このまま余計なことはせず、このままの状況を継続したって、俺からすれば万々歳だ。
それに冷静になって考えると、男同士が付き合うなんて周囲の目が許さない。
グリーンに迷惑をかけることだけはしたくないのだ。俺が自分の気持ちさえ抑えつけて、何も行動しなければ余計な事態にならないはず。
万が一、俺が告白なんてしてしまったら、その話が学校に広がれば、そんなこと怖くて想像したくない。
何より、俺に告白する勇気なんて無いけれど。
「兄貴、どうした?」
「━━━━ぇっ?」
「熱中症? 顔色悪いけど」
「ぁっ、いや、大丈夫」
不意に話かけられて対応出来なかった。
俺の双子の弟、ファイアだ。今からコンビニバイトへ向かうらしい。彼は俺の普通科高校とは違う、工業系の高校に通っている。
元々勉強を嫌う奴で、高校を卒業したら就職するつもり満々らしい。母さんの負担を減らすために俺と同じようにバイトをしている。
「それじゃ行ってくる」
「行ってらっしゃい」
俺達は携帯なんて文明の利器を持ち合わせていない。連絡を取るにはお互いのバイト先から直で家に電話する必要がある。バイト先の店長には互いに事情を説明してあるから大丈夫なものの、不便を感じる時がある。だがそんなことに文句なんて言ってられない。
(さて……勉強、しよっかな)
気が付いたらウトウトしていて、気が付いたら日付を越えていた、なんてことは良くあること。
ぼんやりとした視界の中、家の扉が荒々しく開かれる音を聞く。誰だ、なんて一瞬思った自分がバカらしい。コンビニバイトから帰って来たファイアだ。
「ああああムカつくムカつくムカつくムカつく」
乱暴に店員の服などバイトに必要なものが入っているバックをベッドへ放り投げ、シャワーを浴びに向かう彼。
その間にもファイアは何やら呪怨の念を振りまいて脱衣スペースへ。
そこから聞こえる呪詛のような呟きに顔を顰めた。
母さんが隣の和室で寝ているから、声を抑えているのは良しとするが、それにしても気分の良いものではない。
カラスの行水並みの早さで風呂からあがってきた彼は俺の前に座る。不機嫌なその仏頂面に溜め息一つ。あぁ、もう溜め息はつかないって決めてたような気が。しまったな。
ファイアは自分から悩みや苛立ちの原因を離そうとはしない。誰かから尋ねられて、初めて口を開く。
一方的に相手に自分のイライラを叩きつけることを嫌う、彼の性格だ。けれど、こんな風な態度を取られたら、誰しも相手をしなければならないと思わないだろうか。
「何かあったの?」
「……いろいろ」
「そんなにイラついたの?」
「イラついたってレベルじゃねぇ! あああ畜生あんな奴マリアナ海溝にもで沈んちまえええええ!」
よほど、バイトで嫌なことがあったようだ。それにしても誰に会ってしまったのだろうか。いや、もしくは他の店員についての文句か? 店長はとても良い人だと聞いているし。
「なぁ兄貴、一つ訊きたい! 男が男に付き合ってくれ!だなんて普通言ってくるか?」
ぶっ、と吹き出した。
声を荒げないようにコソコソ話すファイアを俺は凝視した。
「今日、南校の奴が客に来たんだ。制服から一発で分かった。多分、俺と同じ学年。レジ担当が俺しかいなかったから、そいつの相手して━━━あああ思い出したくもない! いきなりだぜ? いきなり胸ぐら掴まれて、訳分かんないまま「ずっと前から好きだったんだ、付き合ってくれ」だとさ! ハッ、まだ可愛い女の子から言われたなら俺だって跳んで跳ねて喜ぶさ。なのに相手は見ず知らずの男! 他に店員と客がいなかったから良かったけど、誰かに聞かれたらバイト辞めてる!」
まくしたてて、ファイアは机の上に突っ伏した。それはそれは、何て急展開なのだろうか。それにしてもずっと前から好きだったということは、その男子はファイアの働くコンビニを良く利用する、ということだろうか。
「もうバイト行きたくなくなる、また来るんじゃねぇかなあいつ……」
「ファイアはその人、知らないんだよね?」
「知るか、知ってる奴ならもっとショックだ、ばかやろおおお」
「相手はファイアのこと知ってるってことは、多分、何回か相手した客なのかもね」
「いちいち客のこと一人一人覚えてられっか!」
ふむ、これは困った。
完全に相手の空回りなことになってしまっている。それにしてもなぜいきなり告白なんて。せめてもうちょっとファイアとの関係を築いてからすれば良かったのに。こんなんじゃファイアはどうしようも出来ないではないか。
って、ダメだ、そういう問題じゃない。冷静になれ、男が男に告白って事態なんだぞ、弟がそんな目に遭ったんだ、肯定的に捉えてどうするんだ、俺。
「そういえば、付き合ってくれ、って言葉にはどう応えたわけ?」
「へ?…………、あれ、俺何て言ったっけ……」
「えっ?」
「おっ、覚えてねぇ、それよりも先に殴っちまったし」
「ちょ、それって大丈夫だったの?」
「しゃぁねぇだろ、意味分かんねぇもん。そしたら逃げてった」
「……あ、そう。まぁ、さすがに殴られたら諦めるかな、相手」
「そう願う。本当にもう会いたくねぇ」
げんなりとした表情で、ファイアはごろんっと仰向けになる。仕方なく、俺はキッチンへ向かった。
「あれ、何か作んの?」
「お疲れのファイアにインスタント麺でもね」
「マジで! さんきゅ、兄貴」
立ち直りの早い弟だ。苦笑しながら、鍋に水を入れてコンロに火をつける。
もしグリーンが俺に、そんなこと言ってきたら嬉しくて死にそうになると思う。けれど世の中そんな上手くいかない。分かってる。
ファイアには悪いがちょっと妬ましい。それを顔には出さず、俺はインスタント麺の袋を両手で引きちぎった。
<続く>
作品名:02:陽子と電子の飽和 作家名:Cloe