手の届く距離
兄様、なんて呼ばれているけれど、私達は双子だった。実際には私はあの子より一時間もお兄さんでは無い。けれどお互いの性格故なのか、物心付く頃にはそうなっていて、さして違和感も抱かなくなっていた。
「兄様、兄様!」
今日も菊は私を兄様と呼ぶ。学校からの帰り道。夕焼けに照らされた街と黒く長く伸びる影はなんだかノスタルジック。精々十数年しか生きていないけれど、それが私の此処までの道のりで、遠い昔それこそ烏が鳴くまで二人で遊んだ事を思い出した。
そう言えばあの頃も菊は私を兄様と呼んでいたのだろうか?なんて考えていると、兄様、と一際大きな声で呼ばれた。
「聞いてますか?」
「聞いてますよ」
「コンビニ行きませんか?今日、確かコンビニ限定のお菓子新発売するんですよね、確か」
優しい茜色の光に頬を染めた菊が自慢げに笑う。私はただ黙って、自分の鞄の中を漁る。不思議そうにしている菊に箱を一つ押しつけた。
「これですよね?」
「え?な、いつの間に!」
「忘れる訳無いでしょう?私菊よりコンビニ好きですもん。ちゃんと押さえてますよ」
だから行く必要ありません。そう暗に意味してる事に気付いたらしい。私にそっくりでそうでない顔に不満の色が滲む。
世界がもっと大きく見えていた頃なら頬まで膨らましていたのだろうな。なんて思ったら少し微笑ましくなってきた。けれど笑ってしまったりなんかしたら、更に菊の機嫌は斜めにひん曲がる事だろう。顔の筋肉を引き締めて同じ顔を見返す。嗚呼、これじゃまるでにらめっこ。これなら昔から得意だ。菊に負けた事は一度も無い。
「しょうがないですねえ」
けれどもう大人になりましたからね、折れてあげますよ。
私が溜息を吐いた途端、ぱああと菊は表情を明るくする。双子の事を鏡なんて表現する事もあるけれど、実際はこんなもの。確かに似ている所もあるけれど、案外全く別の生き物だったりする。
「兄様大好きですっ!」
「兄様じゃなくて、コンビニ大好きです、なんでしょう?」
全くこれだから菊は。なんて言いつつ足は軽い。コンビニに行くなんて些細な事なのにスキップでも始めそうなぐらい上機嫌の菊に思わず私まで嬉しくなってしまった。
昔からそうだった。菊は小さな事にも幸せを見出せて、隣に居る私にまでそれを分けてくれた。
周りから見ると菊ばっかり私の事を慕っているように見えるらしいけれど、実際はそんな事も無い。ずっと隣に居てくれる辺り、そこは菊も気付いてくれているようだ。兄様なんて名ばかりで、甘えてるのは私の方。これからもし疎遠になってしまう事があったなら、菊を真似て今度はこちらから寄り添おうか。菊、菊。なんて。
「あ、兄様。見て下さいよ、あれ」
自動ドアをくぐるなり、目敏く何か見つけたらしい菊が一番手前の棚に向かう。後ろから付いて行って、手に取られた箱を横から覗き込む。
「期間限定抹茶味、ですって。知ってました?」
「いえ、知りませんでした」
「来た甲斐あったでしょう?ほら、兄様が好きそうな味ですし。ね?」
ふんわり笑った菊の可愛い事可愛い事。たまに本当に自分の片割れなのか分からなくなる。私こんな柔らかい表情は出来ない。
愛しくて仕方無くて、私と同じ位置にある頭を撫でてみた。少し恥ずかしそうにしながら、でも嬉しそうにしてくれる菊に少し胸が苦しくなった。
それからダラダラとお菓子の陳列棚を中心に二人で徘徊した。嬉々として籠の中に次から次へとスナック菓子を放り込んでいく菊に、お金は自分で払って下さいよ、と突っ込んでおく事も忘れない。ついでに仲の良い友達二人と一緒に食べるのだと、徳用サイズのポテトチップスの袋の下に一つ饅頭を潜り込ませた。私はこしあんが好きなのだけれど、と思いながら手に取ったのはつぶあんだった。味の好みも似ているようで微妙に違う私達。
「兄様、兄様!肉まん食べませんか?」
会計を済ませようとレジに並んだ途端菊が言いだす。
「もう肉まんの季節は終わりましたよ」
「えー。良いじゃないですか。食べたいものは食べたいんです」
「全く。そんなに食べてばかりでは太りますよ?」
「兄様細いですからきっと大丈夫です。私も太り難い体質の筈」
なんだその滅茶苦茶な理論は。そう突っ込む前に横から楽しそうな雰囲気が漏れて来る。何にしようか悩んでる横顔にそんな事を言っても無駄だろう。
無いとは思うけれど、菊が太ったら朝に二人で走り込んででもみようかなんて考えてみた。案外それはそれで楽しいかもしれない。
「兄様、兄様!」
「このコンビニのあんまんはこしあんですよ?良いんですか?」
「え?どうしてあんまんにしようとしてるの分かったんですか?」
どうして、と聞かれてしまうと困ってしまう。自分でも理由が分からなかった。いつも菊は散々迷った挙句ほぼ毎回肉まんに落ち着くのに。
ただなんとなく、今日はあんまんにするんじゃないかな、と思ったから。それが真実だけれども、そんな曖昧な答えを返すのも何だか気が引けた。
どう答えようと迷っているとくすくすと菊が笑う。
「菊?」
「兄様はちゃんと私の事分かって下さっているのですね」
「……まあ、双子ですからね。他の誰よりもお前の事は分かっているつもりです」
自分でも随分馬鹿な事を言ったものだと思ったけれど、菊は笑ってくれた。
確かに誰よりも近くにいる自信はある。けれど菊の事なんて全然分からない。それはもどかしい事だけれど、だからこそ私はあの子に惹かれたり、恋しかったり、愛しかったりするのだろう。
「遅くなりますからあんまんは帰ってから食べましょうね」
「はい、兄様」
菊はあんまん二つを入れたビニール、私は大量のお菓子を詰め込んだ袋を下げて、二人でまた帰路に付く。
それにしても、籠の底から饅頭が出てきたのを見た時の菊は可笑しかったなあ。営業スマイルさえ貼り付けずに作業していたアルバイトの表情する変わるぐらいの慌てようだった。思い出すと可笑しくて、今度は隠さずに菊の隣で笑った。
「何笑っているんですか?兄様」
「いえ。……ところで菊。たまには手を繋いで帰りませんか?昔みたいに」
「え?手を繋いで、ですか?」
目を丸くしている菊に頷いてみせる。らしく無いなと思いつつ、なんだかそんな気分になってしまった。
なんだか少し恥ずかしくなってきて、夕日があまりにも綺麗だった所為にする事にした。誰に何か言われた訳でも無いのに、聞き苦しい言い訳だ。
「喜んで」
頬を綺麗に紅潮させながら笑った菊はまるで華が咲くようだった。そっと差し出された掌の形を確かめるようになぞってから指を絡める。じんわり伝わる体温が少し切なくて、慕わしいなあと改めて思い知らされた。
「嗚呼、一回手を繋いでしまったら、家に帰っても離し難くなってしまいますよ」
私の代わりにそう言った菊に答える為に、指先に少し力を込めた。繋がった影は相変わらず長く遠く伸びている。