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　わたしは犬です。名前はぽちと申します。
　ご主人様の名前は日本さんです。でもこれは名前というよりは呼び名です。本当の名前は本田菊と言います。
　日本さんは人間じゃありません。でも、動物でもありません。彼は国という、少し変わった生き物なのです。わたしには違いがわかりません。優しくていいひとだから大好きです。
　菊、というのはお花の名前だそうです。死に行く人を見送る花なのだと、日本さんはおっしゃりました。私は見送る側ですから、と少しだけ悲しそうに笑っていました。
　だけど菊は種類が沢山あって、可愛い小さな花もあるのよ。座敷童さんがにこにこ笑って教えてくれたので、わたしも菊という花が大好きです。
　わたしが座敷童さんと縁側でひなたぼっこをしていると、よっと、と男性の声がして、すとん、と生け垣を乗り越えて長身の男性が姿を見せました。

「お！　ポチ、元気だったか？」

　にこにこ笑顔でわたしをわしゃわしゃと撫でるのは、プロイセンさんです。日本さんと同じで、別の国の化身なのだそうです。日本さんは彼をギルベルトさん、と呼びます。
　また玄関じゃないところから入って、もう。と座敷童さんは言いますが、怒っているわけではないようです。彼には彼女は見えませんが、日本さんが彼を好きなようなので、わたしも彼女もプロイセンさんが好きです。
　それに、彼はとても優しいです。乱暴なように見えて、わたしの頭を撫でる手つきはとても優しくて、わたしは日本さんの次に彼に撫でられるのが好きです。

「うちのやつらも可愛いけどたまには別のとこのやつも可愛いよなー。ポチはもふもふだし。触り心地が俺好みだぜー」

　ひとしきりわたしを撫でた後、彼はきょろきょろと部屋を見回します。たぶん、日本さんの姿を探しているのでしょう。
　こっち、とばかりに走り出した座敷童さんを追いかけて私が走ると、プロイセンさんもそのあとを着いてきます。いつもならすぐに日本さんもやってきているはずなのですが、どうしたんでしょう。
　結局日本さんの部屋の前まで来てしまって、わたしはとりあえず日本さんに鳴いて呼びかけます。が、部屋から出てくる様子はなく、後ろからやってきたプロイセンさんがおい、開けんぞ、と声をかけながらゆっくりと襖を開きました。

「おや、いらしてたんですか、ギルベルトさん」
「ポチが鳴いてるんだから気がつけよなー」
「あいにくと年寄りなので耳が遠くなったみたいですねぇ」

　実に曖昧な笑みを浮かべてみせた日本さんは、散らかっていますがまあどうぞ、とプロイセンさんを部屋の中へ通す。
　原稿中だったようで背の高い机の上には道具と紙がごちゃごちゃと並んでいて、プロイセンさんは仕方なく、と言った様子で床に座る。外国であるプロイセンさんにとっては正座もあぐらも厳しいものがあるみたいだ。
　それでもまだマシなのか、あぐらをかけば日本さんが出涸らしで済みませんけど、とプロイセンさんにお茶を出す。悪いな、と言ってお茶を貰ったプロイセンさんはひとくち飲んで、完全にお湯じゃねえか……とぼそりと呟くのが聞こえた。

「……なあポチ、あれ、怒ってると思うか？」

　わたしは怒ってると思います。日本さん、ちょっと機嫌が悪そう。座敷童さんはあーあ、みたいな顔をしてくすくす笑いながら部屋から出て行ってしまいました。
　だよなぁ、とわたしの様子で返答を察したプロイセンさんは小さく溜息を吐くとうーん、と首を傾げます。たぶん理由を考えていらっしゃるのでしょう。

「……なあ菊、お前怒ってるよな？」
「おや、どうしてそう思われるんですか？」
「……勘っつーか……この態度どう考えても怒ってるだろ」
「そうだとして、ギルベルトさんはどうして私が怒っていると思われるんですか？」

　にこり、と微笑む日本さんにプロイセンさんはう、と言葉を詰まらせて、また頭をひねり始めます。ぽちくんいらっしゃい、と日本さんに呼ばれ、わたしが日本さんの膝の上に乗ると日本さんは優しくわたしを撫でてくれました。

「……わかん、ねえ」
「わからないんですか」
「怒られるようなことした覚えがないんだよ。垣根を越えて入ってくるなんて今更だろ？」

　他って何かしたか？　と首を傾げるプロイセンさんに日本さんはふぅ、と小さく溜息を吐く。

「愛が足りませんねえ」
「は？　愛？」
「ええ。愛です。ギルベルトさんは私に対する愛が足りていないと思うんですよ」
「……なんでまたそんな話になるんだよ」
「だってそうでしょう？　私とあなた、どのくらいの間会っていなかったと思います？」
「ええと…………三ヶ月、くらいか？」
「違います。四ヶ月と二週間ぶりです」

　正確に時間まで申し上げましょうか？　と笑顔のまま言う日本さんにちょっとした恐怖を感じたのか、プロイセンさんは顔を引きつらせながらいや、いい、と僅かに後ずさりしました。
　けれどそれで引くような日本さんではなく、すみませんね、と一言断ってわたしを床に降ろすとがし、とプロイセンさんの肩を掴んでそのまま床に押し倒してしまいました。

「ちょ、え、おま、き、菊っ、まて、待てって！」
「待ちましたよ。四ヶ月と二週間と十時間ほど。正確に分数と秒数も申し上げた方がよろしいですか？」
「わ、わかった！　お前が怒ってるのはわかったから！　俺が悪かったから！」
「いいえ、ギルベルトさんはおわかりになっていませんよ」

　私が怒っている理由はそれだけじゃないんですから。そう言った日本さんはプロイセンさんを押さえつけるように上に伸しかかったまま、プロイセンさんのこめかみに唇を寄せました。

「まだあんのか！？」
「ギルベルトさん、我が家に来て一番始めにどうされました？」
「始めにって……そりゃ、ポチが目の前にいたからポチに構って……」
「そう、それですよ。ぽちくんは確かに可愛らしいですけれど、どうして一番最初に私のところに会いに来て下さらないんですか」

　日本さんの言葉にわたしも、プロイセンさんもきょとんとしてしまいました。つまり、日本さんはわたしに嫉妬をした、ということなのでしょうか。

「……ポチに、嫉妬？」
「ええ。悪いですか？　大人げないのは理解していますよ。でも、嫉妬してしまうものは仕方ないじゃありませんか」

　それだけあなたが好きなんです。言い切った日本さんはプロイセンさんの指先に唇を触れて、やっと満足そうに笑いました。

「……まあ、それなら、怒った事も許してやる」

　押し倒されたままのプロイセンさんが笑って、日本さんも目を細めてプロイセンさんに唇を寄せます。
　ぽちくん、と座敷童さんに呼ばれたのでわたしはその後すぐに部屋から出て行ったので二人がどうしたのかは知りませんが、その後に会った二人はいつもどおり、幸せそうに笑っていました。


タイトルby　確かに恋だった　様　【そうですね、愛が足りません。】