週末の恋人
大きく手を振りながら向かって来るのは、千景の姿だ。
京平はもたれ掛かっていた壁から背を離して、千景の方へと体を向ける。
顔を見ると、自然と表情がほころんだ。
「こら。年上を呼び捨てにするんじゃない」
そうは言っても、勿論本当に怒っている訳ではない。
千景もそれは分かっていて、軽く笑いながら答える。
「京平さん、遅れてごめん。ちょっと集会が長引いちまって」
集会、と言う単語に、京平は片眉を上げた。
千景は埼玉にある、To羅丸と言うチームの総長だ。
いつも顔や腕に巻いている包帯を、京平はなんとも言えない気持ちで、見て見ぬふりをしている。
「それはいいが、・・・千景?顔色悪くないか?」
千景は咄嗟に、かぶっていたストローハットを更に深く被ろうとして、つばに指先をやる。
その動作を制止させようと、京平は千景の腕を掴んだのだが、顔色よりも今掴んだ腕にぎょっとする。
「千景」
「・・・はは、慌てて手当て受けてきたからさ。」
そう言って千景は苦笑いをした。
京平の手のひらには、薄っすらと血液が滲んでいる。
包帯でも押さえ切れない傷口が、その皮膚にあると言う事だ。
ふと胸元にも目線を配ると、シャツの隙間からガーゼが目に入る。
京平は深く溜息を吐き出すと、掴んでいた腕を離し、手を繋がせた。
「京平さん」
歩き出す京平に、ストローハットを押さえながら付いて行く。
「映画は止めだ。怪我人連れて歩くほど、俺も鬼じゃねぇよ」
「大丈夫だって、これぐらい。いつもの事だからよ」
「いいから、来い」
「どこに?」
千景は首傾げた。
京平は足を止めて振り返る。
「俺ん家だよ」
一瞬時が止まったように硬直して、千景は視線を地面に下ろした。
顔の赤さを、京平に知られたくなかったからだ。
◆◇◆◇◆
「腕、上げろ」
京平に言われた通りに、 千景は軽く腕を上げる。
胴体に新しい包帯が巻かれて行った。
「怪我はこれだけか?足は?」
「平気」
簡素なベッドに乗り上げ、治療をするその手つきは、手馴れているように見える。
ふと、近くで自分の半裸を見ている京平の視線を意識すると、なんだか気恥ずかしくて目線を反らした。
周囲を見ると、 部屋は男の一人暮らしの割りに片付いていて、清潔な印象を受ける。
「ほら、これでいいだろ」
救急箱に余った包帯をしまう京平を、千景ははにかみ笑いをしながら見つめる。
「ん、ありがとな。随分上手いじゃねぇか。なんかやってたのか?」
「やってたっつかーか、まぁ、やらされてたっつーか・・・」
「あぁ、ケンカで?」
「俺じゃないんだけどな。一人手の掛かるやつが居たんだよ」
京平は何か含むような言い方をすると、救急箱をしまおうと立ち上がった。
千景は眉を寄せて京平の背中を見やる。
(なんだよ、手の掛かる奴って。てか俺は仮にも恋人だっつーの。部屋に上げといていつも通りかよ!・・・まぁそれが京平らしいけど)
胸中で一通り文句を言うと、すっきりした気分になった。
京平は救急箱を棚に戻しはしたが、背を向けたまま動こうとしない。
疑問に思って、問いかけてみる。
「どうかしたのか?京平さん」
「いや」
背後からでも、京平が口元に手を持っていった動作が見て取れた。
「服、着ろ。早く。俺の理性が保てる内に」
京平の言っている言葉の意味が分かると、千景は無造作にベッドから立ち上がった。
足を進め、京平に近寄って行く。
大きい背中に、背後から手を回し抱き付いた。
京平は拒否をする訳でも驚く訳でもなく、ゆっくりと千景の方へ振り返った。
千景の細い輪郭へ、吸い寄せられるように無骨な指が伸びる。
ほんの少しだけ、京平が背を屈めたその時。
来訪を告げるチャイムの音が鳴り響いた。
何も悪い事をしている訳ではないのに、二人ともびくっと体を震わせた。
無視してしまおうか、と思っていると、立て続けにチャイムの音がうるさく鳴る。
「・・・ったく。あいつか」
京平は小さく呟くと、千景から離れて玄関へ向かった。
(あいつ・・・?)
千景は引っかかりを感じて、今立っている場所から扉の方へ目線を向ける。
「ドタチンー。開ーけーて」
「分かった分かった」
カギががちゃっと開き、京平はドアを押した。
そこには満面の笑みを浮かべた臨也が立っている。
「何度もチャイム鳴らすクセやめろって」
「だってドタチンが出ないんだもーん」
「そんな待たせてないだろ。それより急にどうしたんだ?」
「借りてたCD、返しに来た」
「・・・わざわざ?」
「なんで?駄目だった?」
「いや、・・・そう言う訳じゃないが」
臨也が差し出してきたCDを、少しの疑問を残しつつも受け取った。
京平は一度後ろを振り返ってから、もう一度臨也を見やる。
「よかったら上がってお茶でも飲んで行くか?中に一人いるが」
「えー、いいよ。俺おじゃまでしょ?今日天気いいから、このまま出かけようかなーって。ドタチン達も、家に引きこもってなんかいないでさ。散歩でも出かけたら?」
「あぁ、そうだな」
「じゃ、まったねー」
「臨也」
すでに歩き出している臨也を呼び止める。
臨也は顔だけ振り返った。
「気をつけて帰れよ」
その言葉に応えるように、臨也は手を振って去って行った。
京平は一つ息を吐き出すと、部屋の中へと戻って行く。
「誰だったんだ?」
千景は当然の疑問を投げかける。
「ああ。高校時代の友人だ」
それ以外、京平は何の説明もしなかった。
ベッドの上に放ってあった千景のシャツを取ると、 肩に被せてやる。
「・・・出かけるか。移動は車ですれば、怪我も大丈夫だろ」
なんとなく、このまま二人きりで部屋にいるのも、とお互いが思っていた。
臨也の来訪で、場の空気が少し変わってしまったようだ。
「おう。そうだな」
千景はシャツのボタンを閉じながら、明るい口調で答えた。
◆◇◆◇◆
(あれが六条千景くんね・・・)
臨也は歩きながら携帯の画面を確認する。
画面には、千景の氏名、年齢、住所、家族構成、学歴まで事細かな情報が羅列していた。
(可愛い顔してたな。まぁ、俺には負けるけど)
開いていた携帯を器用に閉じると、小気味のいい音が鳴った。
「人の物を横取りするなんて、許されないよねぇ」
臨也は一人呟き、肩を揺らして笑った。