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はつこい

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 愛することは、傷付けること。血を欲して、手にした妖刀が打ち震える。ぶるり鳥肌が全身に染みて、少女はよろける足を刀で支えた。自分の意思で、人を斬るのはこれで二度目だ。けれど一度目は状況に迫られて仕方ない事態であったから、私利私欲、我侭で事をなすのは初めてである。しかも、罪も無く、むしろ恩人たる人であれば、自分勝手にも程があるとは理解していた。理解を超えて、なお、行動する強い思いを持つのは初めて、あるいは幼少のみぎり以来だ。何度も泊めてもらって勝手知ったるマンションは、カーテンはびりびり、床には無数の刀傷、ソファは中身が見えている。
「どうして僕を斬るのかい?」
 切り刻まれた白衣、しかしあと一歩肌には届かずすり抜けられる。荒い息遣いは少女だけのもの、夜の静謐に流れて響く。彼だって闇医者なんて職業、修羅場もそれなりにあったろう、いくら妖刀に身を任せても少女の力では及ばない。躊躇なんてしなくていいのよ、身の内から、沸きあがってくる言葉。愛の為に、躊躇なんて必要ないの。今までは分からなかった狂気の台詞も今の少女なら理解できた。そして、自らの感情が妖刀の言う愛とは違う感情なのだということも。刀傷でささくれだった床を、ぱたむ、スリッパで踏み込む、右手に忍ばせた刀をすっと伸ばす、彼はネクタイを残してさらりとかわす。
「君に僕は斬れないよ」
 哀れむような瞳が、こちらを見ていた。いや、違った。視線は、少女を通り越して、その奥を見ていた。振り向くと、闇が、影があった。女性を象る美しい影。少女は刀を取り落とす、目を見開いたまま、震える膝が崩れて、スカートから剥き出しの足にささくれが刺さる。彼女に見られてしまった、一番知られてはいけない、彼女に。嗚呼、口から声が漏れたのを、まるで他人事のように認識して、行動なさい、叱咤する声ごと、平常どおり、額縁の向こうに少女は全てを押しやった。怯える指に触れた刀は、右腕に吸い込まれて消える。
 木屑に溢れる床を踏んで、影が近付いてくる。もう自発的な衝動も消し去って、能動なんて単語も無く。動かない少女の前に、影が止まって、しゃがむ。意識的なのか、無意識なのか、涙がこぼれた。恋を、していた。愛などではなく恋だった。闇医者を妖刀で支配できれば、彼女に愛されるとでも思ったのか。分からない。けれど斬らずにはいられなかった。湧き出す情動なんて、少女は初めて知ったから、赤子のように駄々を捏ねる感情に、彼女は妖刀の行為を重ねるしかなかった。
 背後で闇医者が動いて、扉が開いて逃げていく音。けれどそんなのもうどうだって良い。影が、自分を見つめている。怒られるのか、軽蔑されるのか、呆れられるのか、もしくは妖刀に支配されたと思って優しい影に心配でもされるのか。全ての結果が恐ろしくて、体が震えた。影は、いつもの携帯端末に、迷いつつ、文字を打ち込んでいく。差し出された画面を、直視するなんて勇気は無くて、俯いた顔を上げられない。嫌われても、殴られても仕方の無い事をした。額縁の向こう側に押しやれない感情が、あふれて床のささくれに涙が染みこむ。俯いた前髪の向こうで、影がかすかに動く。殴られるのか、いや優しい彼女は野蛮な真似はしないだろう、しかし肩が怯えてすくむ。嗚咽に合わせて震える体、ずっと永遠に続くかと覚悟させる沈黙、しかし、ふわり、少女は目を開く、温かい、全てを吸い込む影が、自分を包んでいた、抱きしめられていた。床に置かれた携帯端末に浮かぶ文字が、涙でぼやけた視界に映る。
『ごめんな』
 恋を、していた。愛などではなく恋だった。何もかもを傷付けたって叶わない、恋を、している。
作品名:はつこい 作家名:m/枕木