飛ぶ鳥の夢をしばらくみない。
どんな種類の鳥かは知らない。
私の寝室の前にある、兄様が緋真様が亡くなられた年に植えたという
大きな藪椿の木によく止まっていて、かわいい声で鳴いていた。
朽木家に藪椿は相応しくない、と異を唱える者もいたが
そんな声をよそに、兄様は大層、この木を愛でていらしたようだ。
時折、それは、決まって私が屋敷を空けているときなのだが、
盛りを過ぎ色褪せた緋色の萼と遊ぶその鳥を兄様がどこか愛しいものを見るように
一人眺めていらっしゃったのを覚えている。
ある日、朽木家の屋敷を流れる美しい小川のほとりを散策した際に
羽の表面には血がにじみ、鳴くこともできない鳥を見つけた。
どこかに羽を強くぶつけたのか、それとも何者かに踏まれたのか、
私は、身動きできないその小さな鳥を両手に包んで屋敷の
侍医の所まで運び、手当てを受けさせた。
傷は大したことはなかったが、まだ飛べる状態ではないということで
小さな鳥篭に移され、拾った私が面倒を見ることになった。
鳥を愛でる私を見て、口さがない屋敷の者は、
「飼い猫が鳥を飼っているよ」などと陰口を叩いたようだが、
小さな鳥篭に入れられたそのか弱き存在に、自分の置かれている
立場を重ねたりして、心が慰められることは多かった。
「大空を知って鳥篭に身を置くのと、生まれたときから籠の鳥であるのと、
お前はどちらが幸せなんだろうね」
鳥はチチチッとだけ鳴き、私の問いかけは空に消える。
鳥が空に放たれた時のことをよく覚えている。
緋真様が兄様の元をお離れになって30回目のあの冬――
私が空座町に赴任し、朽木家を離れることになったあの日、
私は兄様の肩越しにそれを見た。
兄様が私の唇を塞ぐ。
やや固く冷たい兄様の唇が私の唇の熱を静かに奪う。
「お許し下さいませ」
言葉とは裏腹にこんな感触は初めてながらも、どこか許している自分に気づく。
兄様の舌が私の口の中を優しく時に乱暴に掻き回す。
初めて、経験するこの何かを呼び覚まされるような変な感覚に
私の体は力を失っていく。
そして次の瞬間、
急に重みが加わって、天井が消えた。
その拍子に鳥篭がガタンと音をたてて倒れる。
どうしても兄様の顔を見ることができなくて、
私は私を抱く兄様の肩にしがみつきながら、
肩越しに青い青い空を見ていた。
突然自由になった鳥は、まるで怪我をしていたことを忘れて
しまったかのように空を舞う
鳥は高く飛んで、やがて姿が霞んで遠く見えなくなってゆく。
高く遠く飛ぶ鳥から見た私達の姿はどんなに滑稽なモノだろうか。
笑え。笑うがいい。この様を。
深く漆黒の兄様の瞳に私が映る。
いや、私が映っていたと信じたい。
私を通して私以外の誰かの姿を映していたというのならば耐えられない。
私の姿が少しでも兄様の目に映っていったならば、
このみじめな茶番も少しは救われるだろう。
兄様は二度と私に触れることはなかった。
それどころか、まるで私を避けるかのように進んで遠方の任務に
出かけられたり、屋敷内でもほとんど顔を合わせることがなくなった。
私の気持ちと、空になった鳥篭が置き去りになった。
その頃から、私は飛ぶ鳥の夢をよく見るようになった。
狭い籠から自由になった夢の中の鳥は、私の姿など映さない。
空も海も木々の緑もすべてこの小さな鳥のものだった。
しかし、鳥はなぜか落ち着かなかった。
それならば、どこか遠くに己の宿り木があるのだろうと信じて
ひたすら空の青の中を彷徨っていた。
しかし、見つけることはできなかった。
空座町に派遣され、どんな因果か死神の力を失い、
その罪状が兄様の口から告げられたとき。
ほっとした反面、飼い猫の役割すら果たすことができなかったのだなと少し自嘲した。
猫にもなれず、自由に大空を舞う鳥にもなれず死によってのみこの命は解放されるのだ。
流魂街で育ち、飼い猫として朽木家に引き取られ、
己の狭小な恐怖心ゆえに憧憬と敬愛の対象であった男を刃でもって絶命せしめた
この私にふさわしい末路であると、思った。
――いやそう言い聞かせた。
なぜ、私は納得しない?
なぜ、私はそう信じない?
この後に及んで生への憧憬など薄汚いだけなのに。
その欺瞞の先に見えるのは、いつもあの方の姿。
銀白の風花紗と牽星箝で冷徹なほど己が秩序に遵っているあの方のどこか孤独なお姿を
私は知らず知らずのうちに繰り返し思い返している。
どこまでもいつまでも続く懺罪宮の白の中で、
私はあの方の白をただ重ねていた。
また飛ぶ鳥の夢を見た。
白く、奇妙な空間の中をただ飛んでいた。
白い空間は明らかに鳥のものではなかった。
しかし、なぜか鳥は大きな青い空を彷徨っていたときより
どこか居心地のよい自分に気づいていた
鳥はまだ宿り木を探していた。
その宿り木は遠くに見えるがなぜか近づくことはできなかった。
でも、宿り木がちゃんとあることを知ってほっとしていた。
尸魂界における藍染の反乱が幕を引き、それぞれが
あるべきところに収まり、また新たな道を選択をするときがきた。
私は結局、尸魂界に残ることにした。
誰が決めたわけでも、強制したわけでもない。
初めて、決めた私の道。
命を賭して私を守り、そして「すまぬ」と許しを乞うた
どこまでも孤独に一人佇むあの方の傍に私はいよう。
己が運命を籠の鳥に重ねて、憐憫に耽るなどということはもうしない。
私は私の意志をもって、あの方だけのために鳴く鳥となるのだ。
ふと空を見上げると、あの鳥が飛んでいるのを見たような気がした。
青空を高く高く飛ぶ姿はとても美しくそして自由だった。
でも、もう飛ぶ鳥の夢は見ない。
ああ、兄様が私を呼んでいる。
籠の中の鳥は、ただ愛しい人のために。
作品名:飛ぶ鳥の夢をしばらくみない。 作家名:梶原