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背伸び

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「これは?」
「moneto…丘だね」
「じゃあ、丘、の…南に?」
「そうそう」
軽く頷いて目を細める彼の顔に、リディルは思わず目を反らした。それから辞書にかけていた指をするりと外すと、ペンを置き首を捻る。
「お茶でも入れようか」
「うー…うん。いいか、休憩にする」
「それじゃ、お菓子も出すね」
そう、くるりと綺麗にターンを描いて背を向けたシュレをリディルは目で追う。茶葉を開ける手の動き、ほんの僅かな髪の揺れ。楽しそうだなあ、と机に肘をつき、ぼんやり見ていたら急に彼が振り返ったので、思わず口を開いたまま見詰めあうこと暫し。
「どうしたの、そんなに見とれて」
リディルが我に返ったのは、さらりと笑顔で首を傾げて言われた一言だった。確かに見とれていたのかもしれないが。
「誰が、見と……っいや、見てたのは確かだけど」
「じゃあどうしたの?」
「いや…」
カタン、とティーポットにカップ、スプーンの一式を乗せてシュレが戻ってくる。流石に目線を合わせにくいリディルは、ややそれを泳がせたまま溜息をついた。
「物知りだなあと思ってさ。僕もけっこう勉強してる方だと思うんだけど、まったく追いつく気がしない」
「…十分、勉強してると思うよ。今だってそう」
そう、静かにデスクにプレートを置き、シュレは指で辞書をなぞった。分厚いその本は、ところどころ綴じを繕われるほどになっており、相当使い込まれていることが解る。
「僕は勉強したわけじゃなくて、ただ経験しただけだよ。この言葉だって、昔他の場所で使われていた言葉だから知っているだけ。君はそれを紙の上で学ぼうとしているんだから、本当に大変だなって思うよ」
言って、シュレは首を少し回してリディルに向けると、静かに微笑んだ。覗き込まれた瞳は淡い青で色素の黒いリディルの姿ははっきりと映りこんで見える。
シュレの瞳を介して自分の姿を見てしまい、思わずリディルはそっぽを向いた。それから、小さくぽつりと漏らした。
「…だって追いつきたくてさ」
聞かせるつもりはなかった。言うつもりも勿論なかった。そうしてリディルは我に返る。思わず目線を合わせたら、きょとんとしたシュレが目に入った。
「えっと」
「何でもない!蒸らし、そろそろ良いんじゃない?」
思わず声がひっくり返り、即座にそれを誤魔化すようにリディルは目をティーポットに向けた。
同じように視線を流したシュレが、あっと小さく叫んでポットに鼻を近づける。それから軽くふたを開いて、平気、と笑った。
誤魔化せたのだろうか、リディルは胸をなでおろす。別に何も恥ずかしいことではないのだが、口にするのは気が引ける。年長者が博識なのは当然だ。テッドだってよくものを知っていた。年齢を偽っていたから、あまりおおっぴらに披露してくれることはあかったけれど、きっと彼はシュレ以上にものを知っていたに違いない。シュレは、そういうことを何も隠さずに教えてくれた。話し難いことも、少しずつ。
またぼんやりと思考に沈むリディルに、ヨンは僅か苦笑を漏らす。先ほどのあれは、本当は聞こえていたのだけど。ただ、彼がものすごい勢いで隠そうとしたので追求しなかった。意地悪もたまにはいいが、あまりいじめるのもどうかと思う。それはそれでかわいいのだけど。
そこまで考えて、ふとシュレは一つ楽しいことをひらめいてしまう。ティーカップに紅茶を流し、給仕をしながらシュレは隣の少年をまた覗き込んだ。その顔にうかぶ、楽しそうな笑顔にリディルは訝しげな表情を浮かべる。
「じゃあ、休憩したらまた頑張ろう。僕も目いっぱい協力するから」
「うん」
「それで、最後にご褒美が欲しいなあ」
言われた言葉に、思わずリディルがえ、と呟く。相変わらずにこにこと笑うシュレは企み顔だ。ちょっと付き合いが長くなって、笑顔の種類がわかるようになってきたリディルは思わず身構えて、眉を寄せる。
「ご褒美…って」
「キスでいいよ。ほっぺで。知ってること教えてるだけだもの」
「なにそれ」
思わず呆れた声で、リディルが呟く。駄目?と笑って首を傾げるシュレは、たぶん断られるだなんて思っていない。だから、ちょっと不意をつきたくて、
「…べつにいつだってしてあげる」
そう言うと同時に、リディルはシュレの横顔に唇を押し付けた。
作品名:背伸び 作家名:ゆきおみ