墓前の花
俺がまだ近藤さん達と出会っていない頃は、姉上だけが俺の世界だった。
父親も母親も、俺が本当に小さい頃に死んでしまって、俺の家族は姉上ただ一人だった。
俺は姉上が大好きで、世界で一番大切で、姉上だけいればそれで良かった。
姉上だって同じだと信じていた。
あいつに出会うまでは…―
「ねぇ、総ちゃん、どうしちゃったの?道場で何か嫌なことがあったの?」
「何でもないです。姉上は家に戻っていてください。」
あの日は、雨だった。
そして、5月ももう終わりに差し掛かったというのに、雨のせいでそこはかとなく肌寒かった。
あの天候で長時間外に立っていたら、病弱な姉上の体に障るということは、理解していた。
苦しむ姉上の姿は見たくなかった。
でも、どうしても家には帰りたくなかった。
思えば、あれは初めての反抗だった。
それまでは、ワガママは言っても、姉上が強くノーと言えば、それに従ってきた。
「ねぇ、総ちゃん…?」
今思えば、どうでもいいことだった。
誕生日に友人にささやかなプレゼントを貰った、それだけのこと。
でも、俺は昔から…もちろん今も、アイツが気にくわない。
幼いながらに、姉上がアイツに向ける思いと、アイツが姉上に向ける思いは同じだと気付いていた。
姉上が、俺の世界が、取られる気がしたんだと思う。
結局俺はその場で居眠りをしてしまっていたようで、気が付いたら、温かい布団の中だった。
姉上の為を思って拾って握り続けていたはずの綺麗な花は、いつの間にか、机の上の小さな花瓶に挿されていた。
布団に潜ったまま、周りを見渡していたら、パタパタという軽い足音がして、襖がそっと開いた。
「あら、総ちゃん、起きたのね。」
姉上は、少し冷たくて、でも優しい手で、俺の頭を撫で、
「総ちゃん、お花ありがとう。嬉しかったわ。」
と笑いかけてくれた。
それから十数年。
姉上はもういない。
近藤さんに特別に休みを貰って、久しぶりに故郷へと帰るけど、もう俺の頭を撫でてくれる人はいないのだ。
「姉上、あの時はごめんなせェ。」
答えは、ない。
「お誕生日おめでとうございます、姉上。」
あの日姉上に贈ったあの花、何の種類だかもう覚えていないけれど、代わりに俺の気持ちを詰めた花束をここに置いていきます。
「これからも、ずっと、姉上は俺の自慢の姉上です。」
来年はアイツも連れてきてやろうと思うので、おしゃれして待っていてくださいね。
【終】