We can go.
「野球って11人でやるんじゃないのか?」
そんな夏目の発言に、目を丸くしたのはクラスメイトの北本と西村だった。
なんでもない日の昼休み。校庭が見渡せる教室の窓際で弁当箱を広げていたら、突然メロンパンをほお張っていた西村が「野球やりたい!」と言い出したのであった。目線を窓の外にやったと思ったら、いきなり立ち上がってメロンパンのカスをぼろぼろさせながら勢い欲そう告げた西村に、危うく夏目は紙パックのジュースを吹く所であった。ちなみに飲み物を口から吹くのは夏目の得意技である。
西村の言い出すことはいつも突然である。やれうどんが食べたくなったから今からうどん屋に行くだの、やれ釣りがしたくなったから川へ行くだの。彼の有限実行率とその唐突さは半端ではない。
そんな訳で明日の土曜日、学校のグラウンドを借りて野球をすることになったのはいいのだが、そんな折、今まで黙っていた夏目が北本の発した「でも9人ずつで18人集めるのは難しくないか?」という言葉に反応し、言った言葉に2人は驚く。
「夏目、お前それマジで言ってんのかよ?!」
「それは野球じゃなくてサッカーだな、うん」
「…すまない、野球をやった事がないんだ」
寂しそうに夏目がそう答える。
野球はいつも遠めから見ているだけでやったことがなかった。盥回しにされた中の何件目であろうか。記憶はおぼろげであるが、その地域に越してきて間も無い小学生の頃、一度だけ遊びの野球に誘ってもらった事があった。当時は誘ってもらったことに喜んだびいさしんで集合場所である空き地に行ってみると、そこには自分だけにしか見えない『なにか』がいた。おそらくそれは妖の類。真っ黒い塊がうごめく姿は恐怖以外の何者でもなく、悲鳴を上げてその場から逃げる様にして立ち去った俺にそれ以来遊びに誘う者はいなかった。
だから人数がどれだけいるのかも知らないし、ルールも殆ど知らない。かろうじてバットで球を打って走るくらいの知識はあるものの、あとはさっぱりだ。
大体、野球には攻守があった事すら今知った事実だ。
空気を気まずくしてしまったろうか。
野球という国民的スポーツを高校生にもなってやったことがないないんて、やっぱり変だろうか。少し変わった自分の過去を知ってこの和やかな雰囲気を壊してしまっただろうか、と夏目は手にじっとりとした汗を感じた。
「じゃあ尚更野球やらなきゃだな」
「夏目のデビュー戦だな!」
ハッとして顔を上げると、笑顔で応える北本と西村。
18人は無理だからタキや田辺も誘って夏目に教えてやろうぜ!と盛り上がる2人に、夏目はただただ相槌を打つので精一杯であった。
いつも、上手く気持ちを伝えれたらどんなにいいだろうと思う。口下手で、相手を喜ばせる方法がわからないこのおれを支えてくれるみんなに、こんなにも救われているのだと、こんなにも幸せなのだと伝えたいのに、語彙の少ないおれにはこんなありふれた言葉しか浮かばない。
「ありがとう」
その素直な言葉と笑顔だけで、まわりの人間がどれだけ胸を熱くしているか、夏目自身は知らない。
その日の夜、ニャンコ先生に明日野球をする事を伝えたら「ちったあ運動して体力つけんかい!バットみたいな身体しやがってっ!」と言われ、いつものごとく取っ組み合いの喧嘩になったのは言うまでも無い。それを言うならニャンコ先生は真ん丸い「ボール」だ。そんな言葉が夏目から出た時のニャンコ先生は大層怖かった。
「夏目ー!いったぞー!!」
キィインと金属音と共に白球が空高く飛び、ライトにぽつんと立っている夏目の元に吸い寄せられるようにして落ちてゆく。
「わーー!!!」
「夏目ー!もっと右だ右!」
「夏目君頑張ってー!」
初めての野球はちっとも上手くいかなかったけれど、みんながいるだけで楽しいと思えるんだ。
おわり
作品名:We can go. 作家名:幹 葉子