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この手が届くかぎり

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 響く銃声。
 煙る砂塵。
 劈く悲鳴。


 あの日の情景は瞼を閉じただけでは決して消えぬ。
 忘れようとも思わないが。
 蜃気楼のようにゆらゆらと現の狭間で見え隠れする。

 たとえば寝食削って体が強制的に睡眠を貪ろうともそれは足元からじわじわと血液をたどって蝕み、やがて心を苛む。
 安寧の日々などまやかしだと。
 笑い声の響く日常。
 穏やかすぎる日々。
 猜疑心あまねく中にあって枯渇した泉が再び湧くことも無い。
 そう思っていた。

 あれに出会うまでは。


 不足すぎる睡眠の足しにようやく手近なソファーに身体を横たえ
 意識を絞り出して混沌の淵を目指そうかという時に騒々しい気配がした。
 不揃いの足音にげんなりする。
 普段ならからかいがてらに言葉遊びをするのも一興だったが。
 今はその余裕がなかった。

 己の不平不満を改革というオブラートに包んでやたらめったら人の血を流すことなど厭わない連中を完膚なきまでに叩き潰して。
 おまけに上層部の膿も焼いて。
 そんな血なまぐさいところを見せるわけにも行かない。
 とっととお帰りいただくに越したことはなかった。

 ああ、ここにあの親ばかでもいれば適当に相手させるのに。
 今頃書類に埋もれてくしゃみをしているであろう悪友を思い浮かべる。


 「おーす。何か情報もらいにきたぜー。」
 ドアをノックしろとかその前に何か言うことはないのかとかその言葉使いを直せとか言いたいことはいくらもあれど、今はただ口をあけるのも億劫で。
 ソファーの背もたれから手のひらだけ見せて邪魔だとばかりのジェスチャーをする。
 「ん、だよ!疲れてんのか。」
 成長途中の背筋を命一杯伸ばして覗き込んでくる。
 「・・・・・」
 続けざまに文句の一つでも出るかと思えば、そんなにひどい惨状だったのか生意気な子供はかける言葉を考えあぐねているようだった。


 正直、相手するのも面倒なので無視を決め込んで寝入ったフリをした。


 あきらめて帰るかと思えば。
 「あの・・さ。疲れたときは甘いものがいいっていうぜ?俺いつも非常食用に持ち歩いてんだ。」
 そういってなにやらごそごそ物色をはじめた。
 「アンタ甘いものなんて嫌いそうだけど、糖分は頭の養分だと思って食え。」
 有無を言わさず口の中にほおり入れられる。
 「あま・・・・っ」
 思わず眉根を寄せてしまうほどの甘さだったが次第に舌になじんだ味がした。
 「身体あっためるにもいいだろ、それ。」
 野宿生活の多い身としては必需品だとか。
 本当かどうかは定かではないが。
 チョコレートにくるまれた洋酒、ウィスキーボンボンとか言うやつだった。


 子供が食べるには喉を焼く感じからしてアルコールが強い気がするがそこはあえて言わぬが花というやつか。
 ただそれだけのことだったが。


 子供だましのお菓子にだまされてやるのもいいかと。
 その時に沸きあがった苦味にも気づかないフリで。



 いつも一定の距離を保っていた子供が珍しいまでの接近振りに思わず腕を伸ばして捕獲してみた。
 「うわ、なにすんだっ!」
 「なぁに、たんなるお礼だよ。」
 思ったよりも小柄で酷く驚く。
 いつも無意識のうちにか背伸びをして踏ん張っている姿から受ける印象とは違ってい た。
 暴れる子供を絡め取って大人しくさせる。
 鼻先を掠めるまばゆいばかりの金糸からは先ほどのようなカカオの香りがした。
 軽い違和感を覚えてそういえば、久しく人に触れていないことに気が付いた。
 腕の中で漂う香りが花の香りではなく香ばしいカカオというのもたまにはいいかもしれない。

 そうしてこの腕の中、この手が届く限りの限られた中で。
 甘い夢を見るのも。

 単なる興味本位だとか。
 きまぐれだとか。

 きっときっかけなんてそんなものだ。

 手を伸ばせば。

 そこにある蜃気楼。
作品名:この手が届くかぎり 作家名:藤重