それでも進むよ、君が居てくれたから
…身も心も、けれど私は戦い抜いてまだ、立っていた、確かに、ここに。
あぁ、愛する我が祖国、私が不甲斐ないばかりに、傷つきボロボロだ、
民は困窮し、大地は荒れ、疲弊しきった躯、
それでも、アメジストの輝きだけは…失われなかった。
敗れたオーストリアは、統一国家として、ドイツとして、新たな一歩を歴史に刻むことは、ない。
しかしそれは逆を言えば、彼のように国としてなくなるわけでは、ないのだ、
プロイセン、
そう、あの燃えるような赤の瞳、その持ち主と違って。
統一国家として、新たなる国になろうとオーストリアとプロイセンは刃を交えた。
未だこのドイツはたくさんの小国家が集まったにすぎない国で…、同じドイツ民の多い2国が名乗りを上げた。
しかし、それをすべてドイツが受け入れられるはずもなく。
戦った、戦うために生まれてきた、その意味を痛感するほど…激しく、何度も、剣を交えて、
そうして思い知ったのは、己の本性。
戦いの中で高ぶる、鼓動、闘争心、
それに気付きながら、私は勝つことができなかった、彼に。…ギルベルトに。
けれど結局…、彼はもうここにはいない。
「…プロイセン、」
呟きは掠れて、音になったかすら危うい。
けれど、その名を呼ばずにはいられなかった、ただ…理由もなく。
何度も、何度も、何度も、
「……っギルベル、ト…」
零れる、溢れて、落ちる、唯一の好敵手、その名が。
ついこの間まで、プロイセンだった土地を見つめて、声を洩らす。
まるで嗚咽、声にならない声に、滲み歪みおぼろげに揺れる視界。
「…お馬鹿…っ、お馬鹿…!」
本当にあなたは、馬鹿だ。
「…私が、ボロボロで…どうしようもないときに死ぬなんて…ギルベルト、あなたは本当に、」
救いようのない、馬鹿です。
お馬鹿、お馬鹿、お馬鹿、
今まで何度交わしたでしょう、"戦うために生まれてきた"、その関係を。
「せめて、私の目の前で、果てなさい…お馬鹿ッ」
戦うために生まれてきた、そんな立場の我々が…戦わずして死んで、どうするのです。
あぁ、プロイセン、この地は…この空気は、太陽は、人々は、
自分がプロイセンであったこと、覚え続けていてくれるでしょうか、
それとも、彼の存在など、忘れ去ってしまうのでしょうか、
……もしも、忘れてしまうのならば、私は、
「どうしようもないお馬鹿のこと、私は忘れられそうにない、」
あぁ、どうして彼だったのか、どうして私たちがこの宿命の元に生まれたのか、
せめてもう一度、あの不遜な態度で呼んでくれてもよかったものを。
「坊ちゃん」と、その声で、
徐々に元通りの生活を取り戻していくオーストリアに、安堵する。
私はまだ、生きている、立っている、
プロイセンはなくなり、今はドイツとして…新たな統一国家として、その国は進み始めていた。
じくり、
けれどまだ、心が癒えることはない。
突然失った、最大の好敵手、そして…恋しく思っていたヒト、
虚無感と喪失感は、心臓にぽっかりと大きな穴を穿ち、その傷は一生癒えることは、ない。
「…この曲も、もう弾きませんね」
呟いたオーストリアの手には、楽譜があった。
タイトルもない、彼のほかにこの曲を、聞いたことのある者すら…いない曲。
それは、想い人へ向けた想いを音に乗せ、伝えるべく響いていた曲だから。
もう彼に、この曲を弾くことはなかったのだ。あの日から、ずっと。
バサリと大きな音を立てて、楽譜が捨てられる。
無造作に他のゴミと混じったそれは、物悲しげに見えて。
「……」
無言で見下ろして、瞳を閉じる。
浮かぶのは、彼が生きていた時のことばかり、
立ち直りかけている己のことなど、放ったままだ。
本当に情けない、こんな姿をあなたが見たら、いったい何と言ったんでしょうか、
「…そんなことを考えている場合ではなかったですね、」
呟いて踵を返すと、コツコツと足音だけが響く。
日の光に照らされて楽譜が煌めくなか、ピアノの音が、響き渡った。
ポーン、
それは。
物悲しく、亡くなったものを追悼する、鎮魂歌だった。
作品名:それでも進むよ、君が居てくれたから 作家名:紫苑