想い人鹵獲計画
星奏学院に転入してから、まだほんの少し。
けれどその短い夏の期間は、とても濃くて充実してた。
本気で音楽に向き合って、本気で音楽に取り組んで。
…いろんな人の音楽に触れて、いろんな角度から音楽を見た。
その中でも一番、いろいろと考えさせられて…影響を受けたのは、今目の前にいるこの人に、だ。
「ん、どうした小日向?」
西日本代表、神戸神南高校管弦楽部部長…東金千秋。
人の才を見切る力と、プロデュース能力に長けた、自身も屈指のヴァイオリニスト。
そして、いろんな意味で私の心を引っかき回した人でもある。
「いえ、夏ももう…終わりなんだなぁって」
しみじみ呟いたかなでの言葉に、千秋はわずかに目を瞠目させた。
…なんというか、コイツらしい。
人の顔をじっと見て、何を考え込んでるのかと思いきや、そんなことか。
「そうだな。…俺たちもそろそろ神戸に戻らねぇと」
新学期が始まっちまう、そう呟くように言った千秋はどこか遠くを見る目をしていた。
「東金さんには、本当にいろいろ助けてもらって…」
感謝してもしきれない。
言葉で伝えるには大きすぎるこの気持ちを、どうやって表わせばいいのか…それすらも分からないくらい。
「あぁ、まぁ気にするな。
俺の方こそ、楽しい夏を過ごさせてもらったしな」
清々しく笑う、千秋の表情にほんの少しだけ、寂しさを覚える。
いつもならこの笑顔を向けられたら、じんわりと胸の奥が暖かくなるのに。
それなのに、別れが近づいた今は反面、どうしてかもやもやとした感情も湧きあがって。
どうしたものかと、この悩みはそっと、気付かれないようにしまい込んで。
彼が神戸に帰ってしまうまでの、もう少しだけの間…その間だけでいいから、気付かれないように。
痛みをこらえるような、切なさのにじんだ表情を浮かべるかなでを横目で見て、千秋はそっと嘆息した。
せっかく自分といるなら、いつものようにあのくるくる変わるあどけない表情を見せて欲しいと思うのに、それが叶わない。
だから、悩んで悩んで…結局言葉にできなかったあの想いを、口に出しそうになる。
俺と一緒に、神戸に来ないか…と。
そんなことを考えている間にも、曇る彼女の表情に、耐えられなくなって千秋はおもむろに口を開いた。
「おい、地味子!
…最後にもう一回、お前の演奏を聞かせろ」
不遜な表情を浮かべて、悟られぬように。
弾かれたように立ち上がったかなでは、ヴァイオリン取ってきます!と言い残して、小走りで駆けていった。
「なぁ千秋、もうそろそろちゃんとあの子に伝えたれば?
…女の子にあんなカオさすんは、男の方が悪いんよ?」
小さな靴音と同時に、聞き慣れた声が降ってくる。
「悪かったな、あそこまでニブいなんて思ってなかったんだよ」
蓬生の顔を見ることもせずに、千秋は不満げな声を返す。
自分は一体何のために、祝賀会の後かなでに想いを伝えたのか。
あそこまでストレートな告白で気付かないものだから、アレは自分の夢だったのではないかと思ったほどだ。
「ふふ、小日向ちゃんのことに関しては、千秋の読みが外れてばっかりやね」
心底楽しそうにそういう蓬生に、ちいさくうるさいと反論して。
うだるように暑い、8月の空を見上げた。
横浜に滞在できるのも、あと少し。それまでに、決着はつけておきたい。
「ほな、そろそろ小日向ちゃんも戻ってくるやろうし、ここらで退散するわ」
「…お前、何しに来たんだよ」
「そら、煮えきらへん千秋に、発破かけに来たに決まっとるやろ?」
ひらひらと手を振りながら、返ってきた返答におもわず頭を抱えそうになった。
「お待たせしましたっ」
パタパタと軽快な足音が聞こえて、次いで聞こえたかなでの声。
「…遅い」
決意をそっと心に秘めて、意地の悪い返事をする。
「すいません…。あの、で、何を弾けばいいですか?」
ヴァイオリンを弾くときだけは、いつも通りの表情を、見せてくれるから。
それと、ヴァイオリンソロの決勝で、こっそりと小日向に感謝の気持ちを込めて、曲を捧げたから。
無償奉仕なんて、割に合わないことはするもんか。
キスの分のお返しはした、だから次は、俺のために曲を捧げてもらわないとな?
「それじゃあ…、セミファイナルで、お前が弾いた曲を」
弦の上を滑り出す弓に、風に乗って流れ出す旋律。
そっと目を閉じて、聴きいる。
誰のものとも違う、お前の解釈。小日向かなでの持つ「花」が、そこにはあるから。
後半に差しかかって、ゆっくりと瞳を開ける。
ほんの少し、気が引けるがお構いなしに声をあげた。
「芹沢、いるか?」
声をかけて数秒後、ヴァイオリンケースを持った芹沢がやってくる。
「どうぞ」
手渡されたそれを受け取って、再度旋律に耳を傾ける。
ヴァイオリンケースを開けて、出てくるのは見慣れたボディ。
(…本当は、調弦した方がいいんだけどな…)
小日向の奏でる音に合わせて、旋律を刻みだす。
異なる弾き方、異なる解釈…俺の「花」で。
一瞬驚いたように千秋を見たかなでも、すぐに演奏へと意識を戻した。
(東金さんと弾くのは、嫌いじゃない。
私の知らない表現方法を、たくさん乗せて響く音が…するから)
「やっぱりお前、合うな。演奏が合わせやすい」
ヴァイオリンをケースに戻して、またベンチに腰を下ろす。
ほんの少し、短くなった夏の日が夕暮れ時の涼しげな風を運んでくる。
「私こそ…っ!ありがとう、東金さん」
はにかむような笑顔に、胸が締め付けられる。
なんだってこんなに無防備なんだ、こいつは。幼馴染だっていうならそれくらいの躾はすべきだろう、如月!
沈黙が訪れる前に、この想いを言葉に。
きっと、今しか言えるチャンスは残されてない。
「…なぁ、小日向?
お前、本当に……神南に、来ないか?」
言えた。ここ数日、特に神戸に帰る日が近づいて、言うべきか否か、迷い続けた言葉。
でももう、我慢できそうもないんだ。
逢いに来るって、言ったけど。それだけじゃ足りない。
毎日お前に逢って、話して、触れて、触れられて。
…――とても、逢いに来るだけじゃ間に合いそうにないんだよ、もう。
「…あのっ、でも……っ」
戸惑いと、嬉しさがない混ぜになったような表情を浮かべ、もどかしそうに口をぱくぱくさせて。
確かに、今までずっと一緒だった幼馴染といきなり離れろ、とか転入してきたばっかでまた学校変われとか、酷なこと言ってるよな。
でも、それでも…だ。
「反論は認めねぇぜ?…気持ちが、揺らいでるなら俺についてこい。
お前を俺のモノにしないと、気が済まないんだよ……」
ふわり、触れるだけの口づけを落として。
すっぽりと腕の中に収まってしまう華奢な身体を、抱き締めて。
「なぁ…俺と一緒に、神戸に来てくれるやろ?かなで…」
気付いてないんだったり、勘違いだと思ってるのなら。
何度でも俺が好きなのは小日向かなでなんだってこと、気付かせてやるさかい。
「まぁ、返事なんて求めてへんけどな。
…問答無用で攫ってったるわ、覚悟しとけよお姫様?」