05.08.1968
「俺が起こしたかのように言うな。こっちだって迷惑してんだ」
「だって君んとこの人間も扇動役にいるみたいじゃない」
「それで俺のせいかよ」
「反発が大きすぎるのは上のやり方に問題があるからじゃないの」
てめぇにだけは言われたくねぇよと吐き捨ててやっても良かったが、今回は
こちらが頼み事をする側なので舌打ち一つで済ませる。
重たそうなばかりで俺から見ると粗い装飾にみえるテーブルを挟んで、総皮
のソファに背を預けるイヴァンに焦りは一切見られない。
革命にも暴動にも慣れっこだということか、それとももう一方の超大国も自
分と同じく複雑な趨勢で手一杯だからか。
「随分と余裕じゃねぇか」
「うん?まぁ……そうだね、今回は味方もたくさんいるし」
ね、とウィンクを寄こしてからギルベルトと名前を呼ばれる。ちょいちょいと
手招き付きで。うんざりして大袈裟に溜め息を吐いてやっても動じる相手では
ないと分かっているので、しばらくイヴァンの招いた手をじっと見つめてから、
組んだ足を解いた。
低いテーブルを回り込みきらないうちに、ぐいと座ったままのイヴァンに手首を
捕まれ強制的にヤツの両膝の間に引き込まれた。よろけながら逆らわずその
位置に納まったのは、こんな事は初めてではなく、それどころか俺がモスクワ
に滞在するか、ヤツがベルリンにいるかする間は日常茶飯事だからだ。
背中から抱きこまれる形は俺には好ましくないが、イヴァンは気に入りらしい。
「でも、そろそろ片付けちゃいたいかなぁ。この間のはちょっと頂けない」
「行動綱領か?そうだろうな、虚仮にされたようなモンだ」
ははっと嫌味たっぷりに笑って俺の手首を掴んだままの手をばしりと叩く。
「おら、とっとと離せよ。そろそろだろ」
「……まだ大丈夫だよ」
叩いても右手が離される気配はなく、それどころか後ろからぎゅっとくっついて
首筋に体温が伝わったかと思うとべろりと耳の裏まで舐められた。
「……っ!」
ひくんと体が竦んだ。それを今度はふふっと笑い返される。
「……てめぇな…」
「まだ大丈夫だってば」
「こういうのは後にしろ。早めに来たのはこんな事の為じゃねぇ」
「出し惜しむなって言いたいんでしょ?」
口唇を首筋に押し当てたまま、ちらりと上目遣いのイヴァンと視線が合った。
見透かされてることは構わない。この状況では当然で、俺だってさっさと国内を
安定させてしまいたい時期だ。
「他国の体制改革に一々引き合いに出されてウチにまで不満分子が溜まるの
は避けたい。ウチの警察もピリピリしてるしな」
「君んとこはいつだってそうじゃない」
「うっせー。大体俺は国内の反乱とか暴動とかは得意じゃねぇんだ。」
起こすのも鎮めるのも。そう肩を竦めると「嘘だぁ、荒っぽい事大好きじゃない」
などと失礼なことを言われる。
俺自身の国であったころは、軍人の暴動すら稀で軍事クーデターなど夢にも思った
ことはなかったし、民間人の暴動鎮圧も経験は少なかった。
だから、そう素直に吐露してしまう。預けられたイヴァンの頭に少しだけ首を傾げる
風にして寄りかかりながら。
「慣れてねぇんだこういうの……。だからさ、頼りにしてんだぜ…?」
もぞっと頭があげられ、振り仰いだ俺と正面から見つめあう位置で止まる。それで
俺は目を少しだけ細めるようにして、自由な左手でさらさらしたイヴァンの前髪を
ちょっとだけ撫でる。
「な…頼むからさ……さっさと片付けてくれよ」
「なぁに、どうしたの?やけに殊勝でコワイなぁ」
「お前にとっちゃ演習レベルだろ」
「ギルベルトのお願いを片手間で片付けたりしないよ。君そんな安くはないでしょ?」
「それはありがてぇな」
「でしょう?お礼は君でいいよ。モスクワ滞在2週間でどう?」
「長ぇよ。ウチも出すんだから1週間だな」
「なら君は出さなくてもいいから」
すり、と頬を合わせてくるのにまかせて、瞼を伏せた。淡い色の細い髪はふわふわ
して頬と額をくすぐるのが猫のようで悪くない。
「そうはいかねぇだろ。1個大隊くらいは出すぜ」
「じゃあそれは国境配備に回してよ。命令伝達の遅れとか理由つけてさ。ね?」
「お前んとこじゃねぇんだから、ウチに限ってそんな理由は付けられねぇなぁ」
わざと交わす言い方をしてやってても、イヴァンは苛つきもせず、ならあれはこれは
と代替案を打ち出してくる。こんな態度は俺にだけで、これは少々気分が良かった。
「じゃあどうしたらいいの……」
しょぼくれたイヴァンにぶっと噴出して腹を抱えて笑い出してしまった。それでもイ
ヴァンは俺の腹に回した手を離しはしなかったが。
ははははと笑う俺に真面目に聞いてよギルベルト!と耳の後ろで怒鳴られた。
「はは、ワリィ。あーえーっと何だっけ」
「もう!どうしたらモスクワにずっといてくれる?って話だよ」
「ずっとではなかったよな……。まぁいい。それなら簡単だぜ」
「何?」
「さっさと片付けろ。迅速に整然と。それだけだ」
ちゃんとできたら、俺の時間を2週間分お前にやるよイヴァン。そう耳元で囁いて、
頬に軽いキスをしてやり、勢いよく立ち上がった。
「おら、もうすぐ会談だ。他の奴らも来てんだからびしっとしろよ」
「も〜すぐに雰囲気ぶち壊すんだから」
テーブルに広げられていた二人分の資料をとんとんと端を揃えながらまとめて、ん、と
イヴァンに差し出せば、渋々立ち上がった。
俺は、ははっと笑って資料を掴み、
「続きがしたかったら、目障りな改革派の連中をさっさと潰してくれよ」
待ってるぜモイ・ミールィと指2本分のキスを投げた。
<05.08.1968>
作品名:05.08.1968 作家名:_楠_@APH