夜うぐいすとめくらのとかげ
きのしたのすにあるよるうぐいすのたまごを喰らうようになりました
木々は青々と茂り、夕陽の光を柔らかく落としていた。
此方の森は暖かい。単なる身贔屓かもしれないが。
佇んで耳を澄ませると、どこからともなく囀りが聞こえた。場所は違えどあの時と寸分変わらぬ鳴き声を耳にすることが出来る。
あちらの物語は童話というには、なんというか直接的な表現が多いのではないだろうか。
まあ此方にも人のことは言えない様な話が数多く存在するが、
例えば可愛らしい子どもや美しい娘がぞっとすとるような復讐劇を演じる様な、差異が激しい話が多い様に思う。
童話ではなく、寓話という方が正しいのか。此方で言うところの説話だ。
話の中の到るところに教訓が潜んでおり、
子供達はそうとは気付かぬ内にそれらを、半ば刷り込みの様に聞きながら育つ。
ならこの物語の教訓は何だというのだろう。
語り継がれる物語として、教訓として、子供達に必要な結末は?
――― 貴方、にとって望ましい結末は。
~ 夜うぐいすとめくらのとかげ ~
* * *
森はひんやりとした空気に満たされ、高い梢が我先にと空を覆い隠していた。
欧州の森は黒い。適切な表現ではないがそう言うのが一番しっくりくる気がした。
自国にも深い森や大きな森は山ほどあるが、欧州のそれと似ていると感じた場所はなかったように思える。
「どうかしたか?」
どうやら物思いに沈んでいたらしい。一対の碧眼が気遣わしげにこちらを覗き込んでいた。
「いえ、大した事ではないんです。同じ森でも随分趣が違うものだ、と思いまして。」
そういって木々を仰ぎ見ると、傍らの青年も頷いてそれに倣った。
「気候のせいかな、こちらの方が針葉樹が多いからじゃないか?」
なるほど、それもあるのだろう。昼下がりだというのに辺りは薄暗かった。
「そうかもしれません。あちらこちらに見慣れない草木が群生していますしね。」
しかし、それだけではない気がする。単純に明暗の問題ではなくて、もっと感覚的な、色彩的な何かが違う気がするのだが。
冷え冷えとしていてどこか他人を寄せ付けない風な何かがあるような。そう感じるのは自分が余所者だからだろうか。
ぽつりぽつり、とりとめのない事を話しながら歩いて行く。
踏みしめた落ち葉は露に濡れ、しっとりと大地を覆っていた。
と、不意にそう遠くない木々の間から鳥の鳴き声が聞こえた。聞き覚えのある囀りに思わず足が止まる。
「ああ、あの鳥ならこちらにもいます。」
急に立ち止まった私を振り返った青年もまた、その鳴き声に気付いた様だった。
「ナイチンゲールのことか?」
「こちらでは小夜鳴鳥とか夜うぐいす、といいますが。」
軽く頷いてからそう答え、しばらく並んで鳥の止まっているであろう梢に目を凝らしていた。
すると、青年が何か思い出したように呟いた。
「そういえば……」
しかしそれ以上は口を開こうとしない。続きを促すように目線を向けると、青年は困った風な顔をして、
「いや、ナイチンゲール…夜うぐいすだったか、の童話を思い出したんだ。子供のお伽話だよ。」
青年はバツが悪そうに笑った。
今となってはいかにも彼の好きそうな話だと頷けるが、その頃の私は彼がそんな話をするところを見たことがなかった。
「それは是非お聴きしたいですね。」
逡巡の後、彼はその童話を語り始めた。
昔ある所に、それぞれ目玉を一つしか持たない夜うぐいすと盲(めくら)とかげが仲良く暮らしていた。
ある時うぐいすは婚礼に招かれるが、自分の目が一つしか無いのが気になり、とかげに一日だけ目を貸してくれと頼むんだ。
とかげは承諾し、自分の目をうぐいすに貸す。
ところがうぐいすは両目で物を見られる素晴らしさを知り、翌日になってもとかげに目を返さない。
そのため二匹は仲違いし、以後、盲(めくら)とかげはうぐいすを恨むようになる。
だが、うぐいすにとって空を飛べないとかげは怖くない。
だから夜うぐいすは「高いぞ、高いぞ」と鳴き、盲(めくら)とかげは巣のある木の下に潜み、うぐいすの卵を襲うことがある。
青年は語り終わって更に気恥しくなったようで、俯くように早口で喋り出した。
「くだらない話をした、すまない。少し前まではどこの家でもよく子供にこんな類の話を聞かせたものなんだ。
今ではそれ程でもなくなったが。」
「いえ。興味深いお話でした。こちらの童話は示唆に富んでいて考えさせられます。」
そう言って微笑むと、彼は軽く唇を噛んだ。紅潮した頬を隠すようにして、慌てて話題転換する。実に彼らしい照れ隠しだった。
* * *
我ながら取るに足らない出来事だと思う。
おそらく彼は自分がそんな話をしたことさえ覚えていないに違いない。私とて忘れていたのだ。
それを、今になって思い出した。
友になら、と何の衒いもなく片目を差し出すとかげと、友と呼びながら欲に溺れてその片目を奪う夜うぐいす。
今私が彼にこの話を語って聞かせたら、彼は何を思うだろうか。
私が夜うぐいすだというのなら結構。
声が枯れるまで、翼が折れるまで飛び続けるまでだ。
立ち上がり歩き始めてしまったのだから、止まるわけには、倒れるわけにはいかない。
囀りが聞こえる。小夜鳴鳥の鳴き声が。
辺りがしんと静まり返る中でその声だけが物哀しげに空気を震わせた。
哀しい?否、それは聞く者の心に拠る処だろう。
どうして?私は哀しいのだろうか。
何故?
おかしなものだ。利益を甘受したあげく掌に噛み付いたのは此方だというのに。
公私共に――うぬぼれるわけではないが特に私的な面では少なからず彼を傷付けただろう。安らぎを得られる数少ない友だった。
お互い、そういった相手を心底欲していた。
ああ、どういうわけか先刻から酷く感傷的になっている。
どうやら知らぬうちに持っていかれてしまっていたようだ。
何を、と言われても困るのだが。
風を受けてそよぐ見慣れた木々ですら、空虚でどこか余所余所しい。
痛手を受けたのは彼だけではないらしい。
森からは相変わらず鳥の囀りが聞こえる。
それを耳に残しつつ、日が暮れきる前に戻ろうと踵を返した。
1923年 日英同盟 失効
作品名:夜うぐいすとめくらのとかげ 作家名:shelly