かえり道
初夏の、工場見学の帰り道だった。並んで歩くふたりのかばんには、工場でつくられた海苔ががさがさと揺れている。ふたりの歩みに合わせて聞こえるそれは、新羅を少しだけ憂鬱にさせる。家族へのお土産よ、と先生は言っていたけれど、どうしようかなあ。はあ、とため息を付く彼に、どうかしたのかと声をかけられたので、少し驚いて静雄の顔をじいと見つめる。なんだよ、と怖い顔をして言う静雄は、けれど本当はやさしい少年であることを新羅は知っている。彼をみているともうひとりの、強くてやさしい彼女を新羅は思い出すのだ。
「平和島くんって好きな子いる?」
そういえば、の続きを新羅が首をかしげて問うと、はあ?、と静雄は彼と同じように首をかしげてみせた。新羅もまた、あれ?、と意外そうな表情で静雄を見つめ返す。新羅の足がぴたりと止まってしまったので、つられて静雄も少し遅れて歩くのをやめる。
そっか、好きな人、いないんだ。何か重大な発見でもした学者のように新羅は呟き、まるでそうでないことが当然だと思っているように、呆然としてしまう。その様子がまるで大人のようで、静雄は少し眉を寄せる。子どもは誰だって不思議なことに、はやく大人になりたい、と思ってしまう。いつかはそうなってしまうと知っているはずなのに。
「お前はいるのかよ」
そう静雄は声を投げ、もちろん否定の返事が返ってくると静雄は予想していたのだけれど、新羅はとても素直にその問いに頷いた。落としていた視線を戻して、うん、と、まるでお昼休みのドッジボールに誘われたときみたいな返事なする。え、と驚く静雄を置き去りに、あのね、と新羅は笑顔で話し始める。
「僕の家でね、一緒に住んでるんだ。すごく綺麗で、強い人で、とにかく、僕はね、好きなんだ」
拙い言葉を紡ぐ新羅の、その表情はけれど子どものそれではないのだ。それに気付きたくはなくて、だけど、と静雄は言う。
「家族でも、そういう意味の、好き、なのか?」
家族?、と新羅は、まるで初めて聞く言葉だというように静雄に問い返す。だって、一緒に住んでるんだったら、家族だろ。父さんと母さんと、弟の幽。家族のことはもちろん好きだけれど、それはきっと、教室で女の子たちが集まりこそこそと話しているそれとは違うことを、静雄はきちんと知っている。けれど、その言葉を聞く友人は、それを知らない。
かぞく、。新羅はもう一度それを呟く。
「…そうだね、うん、セルティは、僕の家族だ」
だけどね、と彼は続ける。
「好き、じゃないなら、なんだろう、愛してるっていうのかな」
「あいしてる、?」
そう問い返す静雄は目をまんまるにして、それこそ初めて聞く言葉だ、とうろたえる。その言葉はおかしな重みを持っていて、静雄にはとてもじゃないけれど支えきれない。重いそれはけれど手のひらからこぼれ落ちるようにぼとぼとと彼から離れた場所へ逃げてゆく。その先はやはり、彼の友人なのだった。新羅は、あ、と静雄の顔をみて驚いたように声を落とす。
「この前ね、父さんもいまの平和島くんとおんなじ顔してたよ。なんでだろ」
「…わかんねえ」
「そっか、父さんもわからなかったのかなあ」
大人なのに変だねえ、と新羅は笑う。わからないままの静雄はそれをただ見つめることしかできなかったのだけど、まあ、僕の父さんはもともと変なんだけど、という新羅の言葉には簡単に頷いた。友人の父親に会ったことは一度もないけれど。無意識のうちに、ああ、と納得したかのような声も出していたらしく、それを聞いた新羅はけらけらと子どもらしく声を上げて笑った。
「父さんが聞いたら怒るなあ!」
「じゃあ、なんで笑ってるんだよ」
「だって父さん、あんまり怒らないから」
新羅はそう言い、静雄が何かを問う前に、せーの、と前へひとつだけ跳んでみせる。半分ほど重なり合っていた影がぷつりと切れ、ふたりの間に赤がとたんに現れる。鮮やかなそれには目もくれず、自分の影をうっとりと眺めながら新羅は言う。
「セルティはね、海苔よりお花の方がずっと喜ぶと思うんだ。セルティ、海苔は食べられないから」
だからこれは平和島君にあげる。がさがさと鞄の中を漁りはじめた新羅は、白いビニール袋を取り出すとそれを静雄の目の前にさし出した。その白もまた赤い光に染まっている。静雄は少し迷ったけれど、その赤をそっと受け取った。かさり、と自分の手に馴染んでいく袋を見つめながら、ありがと、と呟くと、どういたしまして、と新羅もにっこりと笑う。
その髪にぱちぱちと跳ねる光を視界のはしにとらえながら、静雄は、外国人だから海苔が嫌いなのか、と友人の愛する人について考えている。