レンアイカンジョウ
「シズちゃんは考えたことがあるかい?」
そこはとある雑居ビルの屋上だった。貯水タンクに背を向けて臨也はすぐ反対側にいる静雄へと声をかける。
「どれだけの人が『愛』を語るのかって」
「んなもんどうだっていいだろ」
追いかけっこの行きつく先はいつもここだった。どんよりとして雲の立ち込める夜空のもと、彼らは言葉を交わす。顔は合わせない。
「でもさあ結局のところ『愛』なんてものは人間のエゴに過ぎないよ。相手のことを思ってるようで結局自分のためなんだから」
だから――と言いかけてやめた。
「でもシズちゃんは誰かを愛することなんてないもんね」
そんな風に馬鹿にする。それでいい。臨也は頬に浮かんだ擦り傷をこすった。
だから愛することに意味などないのだと。そんな自己否定のようなことは心の中に留めておく。
「お前は?」
「俺? 俺はシズちゃん以外の人類すべてを愛してるよ。まあこれも結局は俺自身のためなんだろうけどね」
世間で絶対的に美しいものとして言われる『愛』は所詮は身勝手でどうしようもないものだ。それなのに人間は『愛』に踊らされる。本当に――
「馬鹿みたいだ」
口から零れる嘲笑は他人に向けたものなのか、自分に向けたものなのか臨也自身にもはっきりはしなかった。
反対側にいる静雄が立ち上がる気配がした。このまま臨也を置いて帰るか、はたまた殺されるか。逃げようと思えば逃げられそうだったが、彼はただ静かに目を閉じた。
「『愛』ってのは相手を傷つけちまうかもしれなくても自分の身勝手でも……それでもどうしようもなくなる感情じゃないのか?」
目を開けた。目の前にいた静雄の表情は予想を裏切るものだった。
どこか優しげで、悲しそうで――憐れみの色をこめた瞳が臨也を捉えていた。
「怖いのか? 誰かを愛することが。それとも……」
目を反らしたかったが出来なかった。
「そこまで強い感情を向けられるのが怖いのか?」
「違う」
「俺は怖い。愛するのも愛されるのも怖い。自分がどうなるのかが怖い」
池袋最強と呼ばれる男は怖い、と何度も何度も呟いた。
「だけど俺は足踏みだけしてる気はねーよ」
他人の存在で自分の心を満たすことは恐ろしい。けれどもそれが悪意だったならば、嫌悪感だったならば。自分自身をしっかりと保っていられる。だからこうやって恋愛感情にも似た想いでくだらない追いかけっこを続けているのだろう。
わかっているのだ。自分たちの関係は酷く安心できる。けれども静雄はそこからいつか抜けて行くのだろうと。だからいつも繋ぎ止めようと彼にちょっかいをかけ、怒らせる。
「臨也」
「シズちゃん、いいよ。俺は帰る」
続きなど聞きたくはなかった。きっと聞いたら心は揺れるであろうとわかっていたから。
もしも愛してしまったら傷つけるのが怖くなる。もしも愛されてしまったら傷つけられるのが怖くなる。
初めて会ったときからずっと恐れている。それぐらい彼は平和島静雄を――。
自分も彼も臆病なのだと、煙草をくゆらせながら静雄は思った。楽な状態に満足して同じような日々を繰り返す。
この関係に決着をつけるまであと――。