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【ヘタリア】heroine

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 零時を過ぎると田舎への道は明かりがなくなる。今日は月もないから本当に真っ暗だ。
「よう」
 その闇に呼び止められた。
 音もなく浮かび上がった白い顔にびっくりして悲鳴も出なかったけど、育ての親と違って、僕もアメリカも霊的なものは不可視だ。近づいてくるにつれて、幽霊もような物は人の形になっていく。その姿は見たことがある。
「トルコ……」
「知ってたかい」
 白い仮面の男が笑う。頷いて、お化けじゃなかったと安堵して息を吐き出す。
 彼とは直接の面識はないが、一目見ればこんなに特徴的な姿は忘れられない。オペラ座の怪人と見紛う仮面もだが、赤白の帽子まで加えると、もう表しようがない。あの姿で海に出ていたときの存在感は異常だった。
 今日は仮面以外は一般人と同じだ。だけどやっぱり仮面のせいで浮いてしまっている。
「お前さんは……ええと……」
「カナダだよ!」
「んなこと聞いてんじゃねぇやい、人間名だ、人間名」
 まあ人がいないからいいかとトルコは笑う。そのまま連れ立って歩いてくる。
 少し困る。トルコは目立ちたがりでアメリカと似たタイプだけど、年齢が離れているせいで接し方がわからないから苦手だ。どうしているんだろうか。仕事の話なら、昼間に時間を取るはずだ。
「お前さんに会いたかったんでぇ」
「僕、もう帰るんだよ」
「つれないねぇ、お喋りもしてくれねぇのかい」
 楽しそうに笑われると、ざわざわと不快な感覚が全身を走る。なんだかとても恐ろしいものを見ているみたいだ。
「しかし、色が白ぇな、お前さんは」
 病的な白さってやつだと、くっくと喉を震わせながらトルコが言う。かっとして、人種の差だろうと吐き捨てた。
 何だかわからないが、いらいらする。窪みからじろじろと見られていて、観察されているというよりセクハラを受けている気分だ。トルコの言葉も何を言っても気に障る。
「人種、ねぇ」
「そうだよ」
 噛みしめるような言い方がまた気に障る。ねっとりと笑いを含んでいて、いやらしい。きっと仮面で隠れている目も同じなんだろう。
 帰ると言って走った。本能的な何かが、ここにいるのは嫌だ、危険だと警鐘を鳴らす。帰らなくてはと焦燥に駆られてくる。トルコはいやだ。けど。
「逃げんなよ」
 けど? そうだよ、けどどこに帰ればいいんだ?
 帰りを待っている家族はいない。クマたちは冬眠しているし、今日はアメリカも自宅に帰っている。
「は、離して」
 のろのろしていたわけじゃないのに、すぐ腕を掴まれる。手袋をしていない手は大きくて節張っていて力が強い。汗をかいていない、けれども熱い体温が伝わってくる。
 混乱しているうちに壁に背をつけていた。凍りついた壁は冷たい。握られた腕が震えている。なんだろうか、これは。僕は怖がっているのかい? それとも単に――
「アメリカの坊っちゃんは、なんで気付かないんでぇ」
「知らないよ、体質なんだ!」
 単に? 単に、何?
 両腕を封じられ、抱き抱えられるような体勢になる。せめてと顔を背けるが、大きな手に顎ごと掴まれて、無理矢理トルコと向き合わされる。トルコの顔が近づくと、それこそ不健康な色の仮面の窪みから、ちりちりと静かに燃えている色の瞳が見えた。
 喉がひくつく。トルコの虹彩はイギリスと正反対だ。光の下で輝く色ではなく、暗闇の中で煌めく色だ。恐ろしくて仕方ない。
 男の唇が動く。目に比べて、唇の色は悪かった。
「あの白い熊か」
 身を捩った。トルコの手はびくともしなかった。
「おかしいと思ったんだぜぃ? お前さんが坊ちゃんの目を盗んでどう始末してんのか。けど、なるほどな、あの熊は頭が良いもんなぁ」
「離せっ、離してよっ!」
「冗談だろ?」
 嫌だ。今日は早く帰らなくてはいけなかったのに、こんな状況。トルコの温度は生温くて、怖くなる。ずきずきして壊れる。
 どうしたんだろう。怖い、そして痛い。
「笑わせんなよ。人種や体質だぁ? 違うね。お前さんのはそんな健康的なもんじゃねぇ」
 何のことだろう。また肌の話に戻ったんだろうか。
 わからない。掴まれている関節が痛くてたまらない。どきどきして気持ち悪い。
「麻薬だな」
「違うッ!」
 叫ぶ。往来の誰かが気付いてくれないかと視線を送るが、そもそも人通りの少ない道なんだ。冬のこんな時間に、誰かいるはずない。
 トルコは無駄だというようにまた笑った。
「違わないね、俺んとこのだろ? お前さんとこのは意識が覚醒するタイプじゃねぇもんな」
 笑うな、いやらしい。怒鳴るとトルコは今度は口笛を吹いた。
 わざわざ待ち伏せていた理由がやっとわかったが、僕は、していない。たしかに薬は飲んでいるけど、それは病院から出してもらった処方箋だ。麻薬なんてしていない。
「お? もう投薬治療かい、つまらねぇなぁ。それとも国民の行動が反映されてんのかね」
「いい加減に……」
 睨みつけようとしたトルコの瞳が、蒔きをくべられた焔のように色を増す。燃え立つ視線に支配されそうだ。
「けど気持ちぃいんだろ? なら規制なんてかけんじゃねぇぞ。そうすりゃまた、夢が見れる」
「あ……」
 ぞくりと背筋を走った悪寒に、この男は祖国の悪魔なんじゃないかと本気で思う。彼の悪魔は人に夢を見せる代わりに魂を削っていくのだ。
 同時に思い出したように関節が軋む。かじかんでしまった全身が痛い。痛くて、怖い。
 欲しい。
「何を考えた」
 仮面の男が耳元で囁いた。寒気で全身が震えた。
「あなたは、悪魔なのかい……?」
「さあ?」
 どうだろうねぇ。口元が月の形を作る。そう言って悪魔の唇は僕の唇と重なった。





補足
1960年代は麻薬大流行期で米加が使っていたのは主に土製。


作品名:【ヘタリア】heroine 作家名:十色神矢