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六月の花嫁

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 お前って指輪とかも作れるの、二人きりのワゴンで聞かれたから、掠れた声に気付きもせずに、もちろん、と胸を張った。身内からの仕事なんて面倒だと重々承知している筈なのに、金欠が頭を占めていた。アニメのDVDボックスが三つも発売したのがいけない。恨むなら魔法少女を恨もう。
 あの時と同じ、昼間の明るさ、騒がしい町の喧騒は視界のみに自明の、二人きりのワゴン。久しぶりの割の良い仕事に、胸が浮き立つなんて不謹慎な女ではない。もちろん二次元だったり三次元だったりは異なるけれど、金銭よりも、大事な物品について、確かに狩沢は理解していた。
 無言になることが珍しい、上下左右が区切られた小さな空間、に、響くのはエンジン音ばかりである。二分の一の人数であるとか、そういう些細は関係ない。聖辺の曲はおろか、ラジオも鳴らさないで、運転席の彼はずっと無言で、危ないんじゃないのと注意したくなるぐらい俯いて、ハンドルを握っていた。異常は、手に文庫の一冊も持っていない自分も同じだ。早く目的地に着けば良い。門田や、遊馬崎が恋しい。このワゴンの中で、居心地の悪さを感じるのは初めてであった。その理由は、別に男と、渡草と二人きりなんて日常的な場面ではなく、狩沢の鞄の中で、きちんと契約書として残っている。
「お兄さん、幾つ違うんだっけ」
 おもむろに、口を開いてみる。舌も、喉の奥までもが乾いていた。多分、声も同じにカサカサであろう。肌まで乾燥したら、文句だって言えるのだけれど、ポケットに入れっぱなしのリップで唇を湿す。
「三つ年上」
 運転席から聞こえた声も、また乾いていた。いつにも増して喋らない彼の、触れて良い境界線が曖昧で、面倒だな、と帽子を脱いだ。喋らないのは空腹のせいだと言い訳してみようか。二人を拾うまで、無言で、いや、自分が堪えられない。
「何ヶ月だっけ」
「四カ月」
 金属加工で傷ついた指を広げて昼の強い日差しに手をかざして見る、人差し指に残る温かな感触。幸せそうに笑う女性の、膨らんだ腹に触れたのは初めてであった。小さくびくんと弾んだ、その中に生命がいるのだと、南中した太陽のように、全てが祝福されなければならない成長が、誰かを傷付けるなんて災難も初めて知った。今は座席で阻まれて見えない、彼の表情があんなにも複雑に歪む、悲しさも。
 なぁ狩沢、止まれの信号にエンジン音が落ち着き、俯いていた彼が赤色を見上げる。返事を億劫がって、黙っている。自分の無言に、自分で嫌気が差した。鞄の中の、一対の指輪の契約書。
 後ろから警笛、青への点滅から数秒遅れて車が発進した。契約の時に描いたスケッチブックを取り出して見る。なぁ、返事をしない自分に、再度声が掛かる。すぐにまた赤信号に引っかかって車は停車。
「赤ん坊用の、揃いで指輪って作れるか」
 金は俺が出すから、漏れでた声は掠れていた。幸せと、複雑さが入り混じった場所で、彼から目を背けなければ良かった。狩沢は、彼が兄を見ていたのか、義姉になる人を見ていたのかさえ覚えず、契約書とデザインを書き込むスケッチブックばかり見ていたのだ。余りに深い思いは、呪いみたいだと狩沢は思う。本の中でなら直視できる思いは、文章を通さねば目を焼いてしまう。
 前から、降る日光が目を焼く。梅雨に入る前の、春の名残の美しい季節。六月の花嫁はきっと幸せになるだろう。運転席で発せられる思いは、きっとワゴンが優しく包んで、隠してくれる。呪いみたいな、深い思いを、せめて美しく刻もうと思う。
「結婚式、晴れるといいね」
 返事は、無かった。
作品名:六月の花嫁 作家名:m/枕木